坊主が実家にきた
実家にお坊さんが来たわけではなく、坊主頭の三男坊が実家に帰っただけのことです。ぼくは三男坊でして、だんご三兄弟の一番下で、最後のひとりは別にどうとなっても構わんってことで自由奔放に育てて頂きました。
大学4回生の就職前にインディアンに会いに行きたいという理由で三週間の旅に出まして、免許取得後の人生初めての運転がラスベガスで、そこから4000㎞くらいは運転して、ネバダ州~アリゾナ州を駆け抜けたわけですが、その際にも「死んだと思っておくわ」とオカンが言うておりました。
いまも相変わらず意味不明な生き方を続けており、今日も今日で、名古屋にふらふらと出かけてきて、「知り合いで校長先生をしていた人がこれから、新しい仕事を始めるっていう話をするイベントをサポートしにきたんや」と言うたところで、「ふーん、いろいろ仕事あるんやねえ」と言われるだけでそれ以上はもはや聞いても仕方がないとあきらめてくれております。
そんなわけでふらーっときて、股間の破れたもんぺだけはきっちりと忘れずに持って帰ってきては「ごめん、また股間が破れたわ」と報告して、さっと縫い合わせてもらうという相変わらずの末っ子根性が染みついております。
とはいえ、オトンもオカンももうすぐ70歳です。コロナにでも感染したらたちまち逝ってしまうのも現実的な年齢ですし、相変わらず我が家はヤニの匂いがつよく、壮健な両親はプカプカとタバコをふかしておりますので、輪をかけてコロナでイチコロで逝けるメインターゲットです。
まあそんなわけで、さすがに自粛期間中は顔を見せることもありませんでしたけれども、とはいえたまには顔を出しておき、壮健な爺様婆様が健在であるうちの姿を目に焼き付けておきたいというのも子供心であります。
といっても家に帰って何をするというわけでもなく、家に変えればとりあえず仏壇に向かって、帰ってきたよーと報告の合掌を行い、オカンのつくったご飯をいただき、ビールをもらって飲んで過ごすという末っ子暮らし。
折々に誕生日祝いを送ることもあるものの、こうして日常で世話になっていることを考えると、昔と変わらず投資対効果の低い三男坊だなあと反省をしてはいるものの、態度が一向に変わらないところに反省のなさを感じます。
くわえて、桑名駅に到着したら、坊主頭で笠を携えて、作務衣で颯爽とニコニコしながらゴキゲン良さそうに登場するこの三男坊をどんな風に両親は眺めているのだろうなあと思いますが、敬虔な態度で仏壇に手を合わす態度を見るにつけ「そのうち坊さんにでもなるんかな」と言われております。
実は父親の2つ上のいとこが、京都の清滝のほうで天台宗の尼さんをされておりまして、まだご健在なのですけれども、ほんとしばらく行ってないんですが変わらず尼さんをされているようです。
しかも今日初めて聞いたと記憶していますが、どうやらそのいとこさんの母が尼さんだったため、それを引き継いだんだってことで、どうやら僕の周囲では意外に仏教は深く存在していたんだなと気付かされたのでした。
しかも修行のきびしい、あの天台宗。まったく知識の乏しい僕ではありますが、ご健在のうちに再びお目にかかる日を作らねばなと思っているところであります。
なんせ実家に帰ってくるといろいろと思い出深いものが多いし、いろんな自分の知らない家の話がいっぱいありますので、いまになって面白くなってきたりするものです。
両親の記憶が定かなうちに、いろいろとまとまった話でも聞いておきたいなーと思いつつも、結局はなんだか真面目な話もしないままに志村けんの番組を一緒に見ながらカトちゃんが牛乳を吹き出すシーンで爆笑したりして過ごしてしまうのでありました。
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