結実するかしないかを超える
眠い。。。なぜこんなに眠いのだろうかと考えると、思い当たるフシがあって、5時起きで黒井城跡に登ったからだ。
そこから家の草刈りを少ししたあと、丹波コミュニティカレッジの説明会から、子ども起業塾「寺子屋トガリ」の説明会、我が家ですこし話をしてから、夜のご飯会とずっとスイッチオンだったなーと思う。眠すぎ。
ばたばたといろいろなことをやっていると、ふと「一体何をしてんだろう」という虚無感に襲われることがまあまあの頻度で起こったりする。なんとなく虚しさを感じさせる発言が聞こえてしまうことがあったり、保身を感じさせる様子が伺えたりすると、それがきっかけになることが多い気がする。
結局は周囲への期待値が高くて、当たり前にこれくらいは思っていてほしいとか、当然のように自分の気持ちに対して前向きに考えてほしいという気持ちがあるから、それが想定通りにならなかったときに虚しくなるのかも。
ここのところちょっと寝不足だったりもするが、眠る時間が短かったり、体調が悪かったり、空腹だったり、身体が冷えたりすると、人間はわりと攻撃的になったり、周りの言葉や振る舞いに対しても好意的よりも危機的に捉えてしまいがちになる気がする。今日は眠たさが作用している気がする。
とにかくそういう時は客観的に自分を捉えて、状況に対して批判的・危機的に捉えすぎないように、また周りに対して攻撃的にならないように気をつけておこうと常から意識している。今日もわりと意識して過ごせたと思う。
気をつけたいのはそうした考え方に加えて、「成果にこだわるマン」が自分の中で発生して自分を攻撃しようとすることに対してである。
ついつい成果になることを焦ってしまったり、結実することにならないと、やってても何の価値もなさそうな気持ちになってしまうことだってある。
でもそれに騙されてはいけないと思っている。成果を考えるのではなく、機会に対して真摯に取り組もうと考え、行動できたのかを問い続けたい。
結実するときは、自分の努力の大小にもかかわらずうまくいくことはある。だからこそ、それが自分の努力の結果なのかどうかは、純粋にそうであるとは言い切れないものがある。調子に乗ってる場合じゃないということ。
また一方で完璧に努力をしたとしても、ありえない展開から結実はしないってこともあることを知っている。それが起こっても、今回はそのタイミングではなかったなと気持ち穏やかに過ごせるかどうかが大事だと思っている。
決してなにかがうまくいってないというわけでもなければ、むしろいい感じで過ごせている今日に限ってそんな気持ちになるってこともあるものだ。
それでも焦ることなく、落ち込むこともなく、ただ明日もできるだけのことを機会に応じてやらせてもらうだけだと思っている。ありがたい機会をつくってくださる人たちのため、できるなにかがあれば、それをやろうと思う。
明日は人生初の白川郷へ。
きっと雪はまだ降ってはいまい。