もがく姿をさらけ出していくこと
今日は普段学びつつ遊んでいるスマホゲームの運営について、どんな工夫をしているのかというオンラインセミナーがありました。
このスマホゲーム「ロマンシングサガ・リ・ユニバース」をここ7ヶ月ほど続けており、すでに立派に習慣化しております。ヘビーユーザー。
ですがゲームを触り始めたときから、このゲームは習慣化に向けてめちゃ工夫しているなと直観していたし、遊べば遊ぶほど、その習慣化に向けた努力が目に見えるのでめちゃくちゃ勉強になるなあと思いました。
とにかく今日は一番勉強になったのは「運営そのものがコンテンツになる時代」という話でした。まさにそうだなと思ったし、そう思っていたけど、実際には実現をしていなかったことを、確かにこのゲーム会社の人たちは実際にやっているなと思いました。そしてそれが結果にもつながっている。すごいことだなと。
最近はこれでも柄にもなく、自分の困った姿を晒さない方がいいと思う時期がずっと続いていました。あまり誰かに協力を求めちゃいけないなと、この僕が、そう思って生きてきたという驚くべき時期が続いていて、できるだけ自分のことを自分でやろうと、これでもそう思って、なんとかやってきておりました。
いくつか近年で指摘されたことのなかで「君はもう少し自分のことを自分でやるべきだ」というアドバイスをもらい、その時はやっぱりそれが必要で、今もなおそれが必要だし、そこから学ぶことは多いなと思っています。
しかし、そろそろ僕自身はもう、僕にこだわることを離れる決意が固まりつつあります。そうしたとき、僕が僕のあり方にそれほどこだわらないとすれば、やっぱり僕は誰かと一緒にいろんなことをしていきたいと思います。
それをすべて隠すことなく晒け出し、アホがまたやっとるなーと思われながら、それでもなんやかんやと助けられながらやっていくような、そんな生き方そのものが僕というエンターテイメントやねん、と胸を張って生きていけばいいんだなと。
そうして助けられることを、多くの人が、「ひとりでなにもでけへんやつや」と、いうかもしれないし、それは今は良くないことだと思って最近やってきました。
そうして、振り返って、体験して、なるべくひとりでやってみて、わかった。
やっぱ一緒にやる方が楽しい。みんなでつくっていく方がもっと楽しいし、それをそのものドラマとして楽しんでくれやと、このエンターテイメントに観るアホウも踊るアホウも一緒になって、安心の立場でやってくれやと言いたいなと。
もがいている姿は、いつしか「あれは、下手くそながらなかなかオリジナリティのある創作ダンスだ」だと言ってもらえるかもしれません。
そう、そんな気がしてきました。
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