縁のある人とは縁がある

合気道の師匠であるセップ先生とは、よく行くサウナで出会いました。2年前にインドから引っ越してきたということをポロッと聞いて、どこにいたんですか?って聞くと、南インドだという。


南インドといえば、僕が唯一行ったことのあるインドの地域。まさかそんな近くにいたなんてねーなんて思って、「僕は2年前に南インドに行ったんですが、どこにおられたんですか?」と聞くと、チェンナイよりも南だというから、まさに僕もその辺りを回っていたんですと話が続いた。

「ポンディチェリーっていう名前の街あたりだね」というので、ポンディチェリーはまさに僕が友人たちと合流することになった思い出の場所じゃないかと思って、嬉しくなって、「ぼく、まさにそのあたりで泊まって、オーロヴィルっていう面白い場所にもお邪魔してて」っていうと、「オー、私はオーロヴィルに住んでたんデスヨ」と。「えー、まじですかー!!」と。


なんとまさに、唯一のインド旅行である2週間の南インド滞在の際に、すでにニアミスしていたということが発覚。そしてその際はもちろん出会うこともなかったわけですが、それがなんのご縁か、日本に戻ってきてから合気道の師匠になってもらっているわけです。

ちなみにオーロヴィル周辺の滞在時に関する記事はこちら。


今日はエア寺:いのちの会もありました。一大事っていうテーマで話しているとき、その人生の一大事ってのは「いま」だということを感じました。

いまをどう生きるか。そしてなにを感じるのか。だからこそ、常に何を感じられるようにしておくのかだってことだなと。アウトプットするとは言うけれども、結局のところは身体はフィルターでしかない。身体を通り抜けていくものが、自分の言葉として、文字として、表現として、表出していく。


だからこそ、なにが五感を通り抜けていくのかを大切にしなければと思う。つまりは自分が感じたいものは何かを大事にしておくこと。

そしてなぜそれを感じたいと思ったのかの答えを出す時期は、あまり焦らないほうがいいと思う。だって感性はスピーディに働くのに、理性は感性に比べると少し動きがスローで、さらによく働くためにも情報やヒントが必要だと思うから。


徐々にそういう、すぐには答えが言語的に表現しづらかったり、理性的には納得のいく理由がみつからなかったり、目に見えないものだったりするものを、怖くてもつかんでいくことが大事だと思う人が増えていく。

理由に納得できるよりも先に、感性がそれを求めたかどうか。そんなふうにしていると、そういうものを大切にしている人たちと出会っていく。


急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。