キュレーションは情報から人へ
情報が氾濫している現代では、何が価値ある情報なのかを見極めることが重要になります。
ちょっとしたことでもネットで調べるとすぐに様々な情報がたくさん得られますけれど、その中のどの情報が信頼に足りるかは量が多くなればなるほど難しくなってきます。Googleで出てくるのは参照されてる数の多いものであり、そこに真実があるわけでもないし、質の高い情報があるわけでもありません。
また、ニュースひとつとっても同じ状況を全く異なる視点・意見から書いているものがあり、その一部は根も歯もないフェイクだったりすることもあります。
何が信頼に足る情報なのか、ニュース・ソースなのかを適切に評価できるキュレーション能力を自分で付けられれば良いのでしょうけれど、それに自信がない場合はソースをいくつかに絞ってそれらを拠り所ということになるのではないでしょうか。
21世紀に入ってからは、テレビや大新聞のニュースよりもSNSの方がスピードも早く、生きた情報(加工や編集されていないという意味で)が得られるということでそちらが拠り所になってる人も多いのではないでしょうか?
私自身も、イベントや事件が起きるとその最新情報を取るためにはニュースよりもTwitterでハッシュタグで検索して今何が起きているのかを知ろうとします。
実際の例で言うと、話題の展覧会を見にいくときに行列に並んでいるときは先頭の方で何が起きているのかが見えなかったりするのですが、Twitterで検索するといつから待っているのかとか、早めに入口が開く気配があるのかとかがわかったりするので便利です。
同じSNSでもFacebookやLinked-inになると、繋がっている人の書き込みやコメントを通じて自分の興味あることのトレンドや友人の行動を見てそれにフォローすることができます。
しかし気をつけないといけないなと思うのは、自分と繋がっている人自体が偏っており、そこからとれる情報も偏ってしまうと言うことがあります。
例えば、私とFacebookで繋がっている人は、人に関わる仕事をしていたり、その分野に興味がある人がほとんどですが、Facebookばかり見ているとその感覚が当たり前になってきて、会社で仕事をしているときに著しいギャップを感じることもあります。
例えば、私は当たり前のように人の可能性を拡げることから考えますけれど(いわゆるGrowth Mindset)、組織の中には人は変わるものではないという考え方(Fixed Mindset)にたって人事異動を計画する人が人事の中にすらいます。
Clubhouseを始めて思うこと
1月の終わり頃からClubhouseを始めました。
最初は「公開生放送のラジオみたいだな」と思ってリスナーに徹していましたが、自分でのルームを開いてみて分かったのは、これは情報鮮度の非常に高いSNSなのだと言うことでした
TwitterでもFacebookでもテキストベースのSNSは読み手がいつ読むかによっては同時性はありません。むしろそれが自然であり、情報の受け取り手は記録として残っているスレッドを追いながら情報を得ることができます。
YouTubeやInstagramはライブ機能があり、そこでチャットが流れてゆくのでその部分は同時性があるように感じられるかもしれませんが、アーカイブされていますし途中から入っても最初から見ることができてしまいます。流れていっているように感じられても記録として残りますし、後から参照が可能です。
Clubhouseは録音の機能がなく、チャットの機能もありません。
音声でその場かぎりで発言や蒸発してゆきます。Clubhouse側が録音などで内容を外部に出すことをルールとして禁じているので、内容が外に漏れることも後から参照できると言うこともありません。
ライブで聞いているかどうかが勝負であり、その意味で情報鮮度(話したことがすぐに消えてしまって後に何も残らない)と言えるかなと思っています。
ルームに入ってみると、会話(というかお喋り)の内容やクオリティはかなりまちまちです。ラジオ番組然としてモデレーターが良い仕事をしているルームであっても、スピーカーが何を話すのかはその人次第になってしまいます。
オーディエンスの多いルームは、著名人や芸能人、あるいはフォロワーの多い人がスピーカーとして入っていることがほとんどですが、必ずしも用意してきたことを話すわけではないこともあり、中身のないお喋りで終わってしまっている場合も少なくありません。
オーディエンスにとっては、スピーカーの素の一面が垣間見えるので親近感も湧くようでそれも人気の秘密なのかもしれませんが。
人をキュレーションする時代になってきたのか?
Clubhouseでどこのルームに入ろうか誰をフォローするかを考えるとき、著名人や有識者だけでなく、プロフィールを見て決めてしまいがちです。その結果、実は残念なルームだったと言うこともしばしばです。
巷に出ている著作物や番組できちんと話せていて、しかもライブでもちゃんと話ができる人というのはなかなかいないのかもしれません。
「○○万部突破の△△先生が伝える◆◆のノウハウ」みたいなタイトルになっているルームほど、その傾向が強いなと思うのは私だけでしょうか?
このような状況を見ていて思うのは、「名前」「肩書き」「提灯記事的評判」に騙されることなく人をみることがますます必要になってきているのではないかということです。
これから私たちは大新聞やテレビ局や雑誌というニュース・ソースではなく、特定の人から直接加工されていない情報を取れるようになってきました。そうなった時に加工しないでも話せる人、もっと言えばAuthenticな人からでないと価値と真実味のある情報は得られないのではないかと私は思います。
情報のキュレーションから人のキュレーションへの変化。
情報であればそれが正しかったのかが後から検証が可能ですし、それによって評価も可能でしょう。
人のキュレーションの場合は、その人のAnthenticityでありコミュニケーション能力であり誠実さをどうやって見極めるかなので簡単にはいかないかもしれません。特に外面の良い人のキュレーションは難しいかもしれません。
自分自身がキュレーションに自信がない場合は、キュレーション力の高い人を見分けるチカラというのが必要になってくるのかもしれません。
でも、よく考えるとコンピュータやインターネットなどの情報革命が起きる前は人を見定める力の重要性は当たり前でした。
それがいつの間にか顔の見えない情報だけで物事を判断するようになってしまっていたのではないでしょうか?人間すらも、その人自身を見るのではなくその人についての情報で判断をしているということはないでしょうか?
情報に踊らされずにその人自身の今をしっかりと見る。
基本中の基本なのでしょうけれど、今一度心に刻んでおきたいなと思うのです。