
エッセイ『品のカケラ』エコノミークラス症候群
ずいぶん昔に死のうかと思ったことはある。60年も生きていれば誰しも一度や二度はあるだろう。今は露ほども思わない。かといって必死に生にしがみついて長生きしたいとも思わない。頭ではそう考えている。だが実際に死が現実のものとなると、理屈は吹き飛ぶ。死ぬのが嫌とか仕方ないとか、そういうことじゃなくて、ただ恐ろしい。未熟さが露呈する。
これは2024年4月の出来事である。
肺塞栓症が8年ぶりに再発した。以前とよく似た変な痛みと圧迫感が右ふくらはぎに1週間ほど続いた。ホームドクターに血液検査をお願いした。その二日後の仕事中に電話が鳴った。『血栓の数値を示すDダイマーが9もあるので、紹介状を書くから、それを持って大きな病院へすぐ行ってください。』と言われた。Dダイマーの正常値は1以下である。9という数値を告げられた途端、血栓が今にも肺に飛ぶのではないかという恐怖が全身を襲った。「血栓」「数値9」「肺に飛ぶ」「動脈で詰まる」「突然失神する」「誰も気がつかない」「道端で死ぬ」、、次から次へと嫌な妄想が頭の中に浮かんだ。後学のために今回の出来事を書き留めておく。忘れないうちに。誰かの役に立つかもしれないし。
電話を切った後、急いで仕事を切り上げ、その日の午後の予定を全てキャンセルし、紹介状をもらうためにホームドクターのところへ急いだ。クリニックまでのタクシーは最近では記憶にないほど優しく安全運転な人だった。縁起が良いと思った。少しでも縁起の良さそうなことは全て余すことなく担ぎたい心境になった。ホームドクターは沈着冷静そのもので「今ならまだ午前中の診察に間に合うから行ってくださいね〜。」と笑いながら茶色い封筒をぼくに差し出した。優しさが余計にぼくの恐怖心を煽った。お辞儀をしてお金を払い、外に出て、またタクシーを拾った。「○○○病院お願いします。」「はいはい。ほんなら土佐堀通りを通って行きますわな。」と返してくれたのは禿頭の元気そうな小柄な爺さんだった。「ちょっと血栓が静脈に詰まりまして、割と大きな病気ですわ〜。今から精密検査ですわ〜。まいりました〜。」「あら、そうですか。まだお若そうやのに。僕は今80ですわ。今まで大病はしたことがありませんなあ。若い時からずっと、タバコも酒もやりませんのでなあ。でもその分、いまでも彼女が二人おりましてなあ。毎週2回欠かさずやってますよ。要するに女が好きなんですわ。つい最近、一人には振られまして。そやから今は彼女は一人、嫁が一人です。僕が80、嫁が70、彼女は65ですわ〜。僕の女遊びは、嫁公認ですよって。『このエロジジイ』っていっつも言われてますけどね。でもね、酒もタバコもやらん分、そのお金で彼女と遊んでるんやから、なんら家計には迷惑かけてませんよって。それくらいさせてえなあ、とおもてます。はっはっは。」無茶な理屈も80歳という年齢が笑いに変える。普段なら俄然盛り上がる話だが、今は血栓が飛ぶ恐怖に怯えている最中で、笑うに笑えず、力なく相槌を打ってモゴモゴしているうちに病院に到着した。「この爺さんの元気にあやかろう」と思い、この話も一応担いで、タクシーを降りた。運賃を100円負けてくれた。
受付に紹介状を渡して待っていると黒縁の眼鏡をかけた看護師がやって来た。「今から採血、検尿、肺のレントゲン、エコー検査、それと造影剤を使ってCT撮りますね。」と優しく言った。ひと通りの検査を終え待合の長椅子にかけて待っていると名前を呼ばれたので診察室に入った。50絡みの男性医師がパソコンの画面を見ていた。「お座りください。今、足とか胸とか痛くないですか。」「8年前の時みたいには痛くはないです。でも足は8年前とよく似た痛みだったので血液検査してもらったら、、、って感じです。」「はいはい。右足にしっかり血栓ありますよ。今からすぐ入院です。」「えっ!。マジですか!。」「軽く見てたら前回みたいにまた肺に飛んで失神しますよ。意地悪で言ってるんじゃなくて。今回はしょうがないです。入院しましょう。」「わかりました。よろしくお願いします。」と言い終わると同時にぼくの横に車椅子が来ていた。車椅子に乗って処置室に連れて行かれた。ベッドに横になった。「点滴用のちょっとだけしっかりした針を入れるので、ちょっとだけ痛いかもしれません。」と看護師が言った。うまくいかなかったのか2箇所ほどグリグリグリグリやられた。看護師がとっても恐縮がっていた。でもこういう場合にはなぜか全く痛くない。むしろ針を刺すくらいで治るのなら100本でも200本でも刺してくれと言いたい気分だった。数分後、看護師は何事もなかったように普通の表情に戻っていた。
循環器病棟は9階だった。4人部屋に運んでいかれた。留置針からヘパリンという抗血液凝固剤を入れられ、エリキュースという錠剤を飲まされた。ベッドにぼんやり座っていると主治医がやってきた。歳の頃なら30歳、ずんぐりむっくりのドラえもんのような優しげな医師だった。そのぽっちゃりした手でぼくの右足を触り、両手を触った。「いま胸は痛くないですか?」「大丈夫です。」「足はどうですか?」「少し違和感があります。」「足にはしっかりと血栓ありますね。胸にはほんの少しだけ飛んでました。今回は1週間の入院です。この9階のフロア内だったら動いていただいて結構です。点滴の針も明日の朝には抜きますね。ではまた後で来ます。」と言って部屋を出て行った。胸の血栓はほんのちょっと、フロア内は動ける、明日点滴がなくなる、この3つの言葉で、ぼくの入院生活に陽がさした。急に元気を取り戻したぼくは、バックパックからやおらパソコンを取り出し、点滴の棒を転がしながら、電話をしてもいい場所へ移動して行って仕事を始めた。明日からの業務予定表を変更し、取引先にメールを打った。「いつもお世話になっております。今回少し異常が見つかりまして1週間ほど入院することと相成りました。業務予定を変更したものをお送りします。ご迷惑をおかけして大変恐縮しております。よろしくお願いいたします。」と殊更に軽症であることを強調しておいた。
8年前にも同じ病気で入院したことがある。あの時は最初の5日間、ベッド上安静を命じられ、オシッコも尿瓶を使った。ベッドに仰向けになって恐怖に怯え、天井の模様を睨みながらひたすら「ナンマイダッ。」と何百遍も声を出さずに唱え続けて過ごした。あれに比べると今回は天国だ。と思っていたら3日目の深夜にパニック発作が起きた。ナースコールを押して抗不安薬を持ってきてもらって飲んだら少し落ち着いた。ついでにパルスオキシメーターも借りて指にはめて過ごすことにした。5日目にはパニック発作もすっかり落ち着いてきたので看護師に「パルスオキシメーターお返しします。」と言ったら、「持っててくださって大丈夫ですよ。気になったらまたつけてください。詰所でモニタリングできてますから。安心してください。」と目を細めた。
入院5日目からはルーティンができた。
朝5時に目が覚める。向かいのベッドの爺さんも同じ頃にゴソゴソし始める。できるだけ音を立てないようにベッドを抜け出し、歯磨きをしてトイレに行き、水筒を持って給茶機のある面会室まで30メートルほど歩く。早朝の面会室の椅子にポツンと座り、淹れたての緑茶を水筒から飲んで、ひとつため息をつく。大きな窓ガラスの向こうには大阪城天守閣が手の届きそうな距離にある。お堀の水は鏡のように静かだ。石垣の曲線が美しい。
右を向いたら、むかし縁のあった女性が住んでいたマンションが視界の端に見えた。ゆっくりと病室に戻った。