名取さなに救われた話
※旧題「名取さなにライフイズフリーを歌ってほしいなあと思った話」。ふと自分の記事を見返したら「主張が強すぎる!」となっちゃったので変えました。
記事を書くに至った動機
名取さなの誕生日イベント、「さなのばくたん。」が中止になり、下記リンクの配信から一カ月ほど。さすがに感情は落ち着いたものの、こういうときに感じたことは書き残しておかないと気づかないうちに消えてしまうと思って焦って書き始めた次第です。
(そのため、もし読んだ人から反応があったとしても反論反証ではないとありがたいなという気持ちもあり、ほかの人の意見も聞いてみたいという気持ちもあり……。公開してしまったら最後、これはぼくのタトゥーになるし、この感情がまったく価値のないものであることに異論はないものの、記事である以上どうしてもネットコンテンツになってしまうので迷いましたが、たまにはこういうのもいいかなと思ったので公開することにしました。言い訳終わり)
うっかりこの記事を開いてしまった方は本当にいい配信なので観て。
あと新曲「PINK,ALL,PINK!」のMVもすごくよかったのでこちらも是非に。
配信を追うようになった経緯
さて。長々とオタクが自分語りします。
ぼくがVTuberの存在を知ったのはキズナアイで、初めて動画を観たのは鳩羽つぐで、初めて配信を観たのが名取さなでした。
そのため、日常的に触れるようになった最初のVTuberが名取だったわけで、いまとなってはそれなりの数のVTuberの配信を観ますが、その最初は名取だったと思っています。
当時ぼくはVTuberに対していまよりもうがった見方をしていました。ざっくりいうと、ガワが二次元なだけでやってることは生主と同じだろとか、キャラクタにがちがちに縛られた一方通行的なコンテンツなんだろうとか、そんな感じのところです。(前者についてはいまも思うことはあるけど)
そんなときに名取の配信を観て、「あ、そうでもないんだな」と思った衝撃はいまも覚えています。ヴァーチュアルな存在として確かに「生きているキャラクタ」という印象を受けました。コメントとバチバチにやり合う形式はとても楽しく、決まりきったやり取りではないインタラクティヴな形式は配信の醍醐味だよなあと感じ、すぐにのめり込んでいきました。
(配信形態に関しては他のVもそうだろといまでこそ思いますが、当時はまったく何も観ていなかったので許して)
もちろんVTuberは配信だけでなく動画など、さまざまな活動形態があるとはわかっています。ただぼく個人の感覚としては、配信というリアルタイム性を土台として逐次的にキャラクタ像が形成/展開されていくからこそ、より「生きている」という印象が強固になるものだと思っています。そのため、動画=すでに出来上がってしまっているものという印象もある以上、そこからはあまり生きている人間であるという実感を得られないんですよね。この辺はあまりにも個人的思想に依拠していそうなのでここまでとします。
脱線しましたが、そんな衝撃を初めて与えてくれたのが名取さなだったから、ぼくのなかでVTuber=名取さなという等式が成り立っており、そしていまも変わらずそう感じさせてくれているからこそ、ぼくは名取の配信を追っているのだと思っています。
名取の好きなところ
配信でいちばん好きなところは名取がコメント待ちの話し方や発言をする瞬間です。明らかにこちらの出方を期待している/待っている瞬間を感じられると、確かにいまこの場で配信を作っていっていることを感じられるというか、そういうところがすごく好きです。
配信だからこそできる/やる意味があるというところを実感できるのが、名取の配信のいいところだと思っています。
配信に対する姿勢も、自分が楽しいことをしよう、そしてそれが視聴者にとって楽しめるものにしようという感じが伝わってるくるので、安心して配信を観に行けるところもいいところだと思います。その点に関してはほんとうにどの配信も楽しくて、感謝ばかりです。
それから、名取が言ったことばのなかでとくに好きなことばがあって。それが「生きててよかった」ということばなんですよね。
そう思えた経験がほとんどない自分はとても羨ましく思えますし、デビューしてからの軌跡をある程度知っている身としては、「生きててくれてありがとう」しか出てきません。そんな瞬間を共有させてくれてありがとうと、そしてこれからもそんな瞬間に何度も遭遇してほしい、できれば一緒に共有させてほしいという気持ちがあります。
名取さなにライフイズフリーを歌ってほしいなあと思った話
そういうわけで長々自分語りしましたが、それらを前提とした本題です。
ぼくの好きな曲のひとつに「ライフイズフリー」という曲があります。声優の新谷良子さんの曲であるとともに、作曲者の桃井はるこさんがセルフカバーもしている楽曲です。
もともとぼくは新谷良子さんの楽曲が好きで、桃井はるこさんはそのうちの何曲かを書かれていました。「ライフイズフリー」はそのうちの一曲で、いちばん新谷さんの曲を聴いていた高校生の頃によくリピートしました。
「生きてるだけでいい/生きてるだけでいいんだよ」というフレーズに、当時高校生だった頃のぼくは救われました。「ぜったいにしなきゃいけないことなどこの世界にはない」という歌詞に、ちょっと甘えながらも、好きなことをしようと思えました。
そんな記憶があの日の配信のあとに去来して、思い出補正とともに、この希望を見据えているあたたかい曲が、名取のこれまでの姿に重なって、ぼくはひとり自分勝手に感傷的になりました。そして、自分が名取さなをなぜ好きになり、上述した理由とは別の、気づいていなかったひとつの理由に初めて気づきました。
それは、名取の姿を見ていると、ぼくがぼく自身が生きることを認められるようになれそうな気がしたからだと思います。
生きてるだけでいいんだから、ぼくは生きててえらいし、なにをしても全面的に許してくれてもいいと、そう思えました。
こんな自分でも、生きていていいんだと思わせてくれました。それは、「生きててよかった」と言う少女のおかげです。
また、この曲は桃井はるこさんのバージョンだとより名取さなに重なるイメージがあって、それも感傷的になってしまった原因のひとつかもしれません。なんにせよこれは自分勝手にぼくが印象を押しつけてしまっているというだけの話なんですが、楽曲のイメージと、ぼくが勝手に名取に押しつけているイメージとがぶつかってしまったという話でもあります。
この曲を歌ってくれたら、ぼくは完全に自分を認められるようなるんじゃないかと思います。
ぼくが歌ってほしいなと思った理由は、そんなところです。
こういう話って、たとえばアイマスであればこういうとき、「これこれこういう理由でこの曲がこのアイドルのイメージに重なるから、なんかの機会に歌ってくれないかなあ」と比較的簡単にツィートなりをしてしまうのですが、前述の通りぼくの思うVTuberは名取さなで、名取さなは生きているから、あまりこういう話を軽々しく外でしたくないなあと思っていました。生きてる人に対して自分のイメージを押し付けることはしたくないから。たとえこの記事が読まれないものだとしても。でも書いてしまったのは、単純に自分の考えをアウトプットしてすっきりしたかったからなのか、ほんとうにお願いしたかったからなのかは、答えが出ていません。
いずれにしても、ぼくはこれからも名取を追いかけて、そんななかですこしずつ自分を認められるようになれたらいいなって思っています。
さいごに
名取さなさん、お誕生日および活動二周年、おめでとうございます。これからも王の楽しんでいる姿を見せてくれると嬉しいです。これからもひっそりと応援し続けます。
と。
届かない(届かせようともしていない)ことばを吐いて、この記事を終えさせていただきます。ありがとうございました。
(ほんとうにありがとうな名取)(MVめちゃくちゃよかったし衣装めちゃくちゃかわいかった)(生きててよかった)
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