私にとっての銀座の味 しゃぶせん
Vol.049
ちょうどイタリア人が来日したこともあって、ウエルカムディナーをどこにしようか悩んでいた。
いや、悩んでいたというのはウソで、基本的にイタリア人が来日したその日は、たいてい予定を入れていないので、仕事とは関係なく観光的にも楽しめる場所にする。
ではお寿司がいいんじゃない? って思うかもしれないが、生魚を日々食べる習慣がなかったりする場合は、お寿司は胃もたれすることがある。
そんな時に一番最適なのがしゃぶしゃぶだ。
銀座の一等地にある抜群のしゃぶしゃぶ
銀座しゃぶせんは、銀座大通り交差点のすぐそばのコアビルの地下二階にある。
しゃぶせんはコアビルでは2つ入っていたが、今は地下二階のカウンター席のみ。
でもこの地下二階の店舗がいいのだ。
なぜならしゃぶしゃぶの鍋が個別になっているので、外国人であっても躊躇なくしゃぶしゃぶができる。
そしてしゃぶしゃぶはお湯で肉の油を落とし、野菜を茹でて食べるのでヘルシーで消化にも優しい。
なので来日した外国人であっても、楽しくしゃぶしゃぶを食べることができると私は思う。
さらに、銀座という土地にあるため、ちょっとした夜の銀座歩きも観光的で楽しい。
そもそも欧州の人が日本に来ても、ブランド買いは一切ないといえる。
だって、ほとんどがイタリアとフランスのブランドばかりなので、イタリアから来日した人達にとっては、まったく無意味なことだからだ。
むしろ彼らが銀座でしたいのは、日本の味だったり伝統だったりを楽しみたい。
私にとって、しゃぶせんは育った味
銀座しゃぶせんは、もう創業52年にもなる。
そして私は八丁堀&銀座に住んでいたために、このしゃぶせんに3歳ごろから来ていた。確実に記憶がある。
しゃぶしゃぶの時はしゃぶせん、ビフテキの時はスエヒロ、釜めしは鳥ぎんというのが、我が家のお決まりの外食だった。
私の父は、ちょっと遅めの昼にしゃぶせんへ行き、ビールを飲みながらしゃぶしゃぶを楽しむことを今でもよくやっている。
父のしゃぶせんの楽しみ方は、ゴマダレにたっぷりのネギを入れ、さらに追いラー油をしていただくというもの。
子供の時は、なんでこんな辛いもの食べているのだろうか? と自称グルメな父を疑った頃もあったが、大人になった今は同じ味付けにしている。
それが実に美味しい。
そしてなんといっても〆はあずき粥だ。
これこそ、しゃぶせんでしか食べられない。
まったく甘くない小豆粥に、お砂糖をちょっとずつ加えながらいただく。
そのあとにデザートがあるのにかかわらず、この小豆粥の儀式だけは欠かさない。
なので、しゃぶせんは私の家族にとってはファミリーダイニングのようなものである。
昔話で店員さんと盛り上がれる特権
そしてしゃぶせんは、しゃぶしゃぶをしているうちに浮き出るアクを定員さんがすくってくれる。
そんな時に、「やっぱりいつ来てもいいですね」という話から始まり、「よくいらっしゃっていただき、ありがとうございます」というお決まりの返答が来れば、「はい、3歳からお世話になっています」と私も返す。
そうすると責任者のような方が寄ってきて、また話しかけてくれる。
そして、「あの頃は食べた後に子供だけお菓子袋をもらえていて、スエヒロさんがグリコのおもちゃ付きキャラメルだけだったのに対して、しゃぶせんさんは白い❝おかしぶくろ❞っていうのにいろんなお菓子が入ってたので、しゃぶせんさんの方が好きでした」なんて懐かしくて話してしまう。
そうすると店員さんが「そうでしたよね。でも今はこれなんです」とビスコを差し出す。
時代は変わったとしても、まだお菓子を提供しているというのがうれしい。
当時は「よくがんばって食べたね! はいお菓子」といって毎回くれたのが本当に嬉しかったのはよく覚えている。
そんなしゃぶせんだが、コアビルの立て直し(?) があることから、目の前にあるイグジットメルサに移転するらしい。
その際、同じように各自の鍋なのではあるが、ガス提供から電気に代わるらしい。
なので昭和の銀座風情のしゃぶせんを楽しむのならば、今行くことを強くお勧めする。