長い、短いは存在しない‥?
先日、
地域おこし協力隊同士の交流会に参加するにあたっての自己紹介のようなアンケートを書いてた時のこと。
アンケートには「名前」「趣味」などの項目があり私はそれらをつらつらと書き連ねていた。
が筆は「長所」と「短所」を前にピタリと止まってしまった。
むむ、書けない‥。
えぇっ?なんで?
書けない自分に自分でもびっくりしていた。
思いつかない、という訳ではないようだ。
質問の意味はわかるけど答えるのが難しい、ではなく、
質問の意味がわからなくて何を答えていいかわからないようだった。
いやいや、長所や短所という単語の意味は分かっているのだから、「長所は?」「短所は?」というほぼ単語だけの質問の意味なんて最早わかるだろうよ。がんばるのだ、もうゴールはそこじゃないか!と自分に叱咤激励するも、筆は地蔵のごとくピタッとそこに留まる。なんでやねん。
あれっ今までどうやって長所と短所を書いていたっけ…。
‥あっそうだこの手のものを書くときって、いつも面接のような目的がはっきりしている場面で書いていたのか、なるほど。
求められているだろう事とかやる事がはっきりしていれば、それに沿うような自分の傾向を長所として提示すればいいし、沿わないものは短所とすればいい。
よしよし書けるやん、今回の目的は…、交流?
なるほどどんな人たちが交流するのかわかればその人達全体の傾向に沿わせればよいかな。
交流するのは、あぁ地域おこし協力隊ね。えっ?でも地域おこし協力隊って…それぞれ様々なミッションを携えてて目的も価値観もバラバラな人たちじゃん全体の傾向…なんてないよな。
この場合の「長所」「短所」って誰にとっての?
どういう状況の時の?
書けないわけが観えてきた。
「長い」か「短い」かは状況によって変わる。
例えば、私は躊躇なく人を殺せます、という能力をもつ人がいたとして。この能力は平穏な社会を維持する時には短所になるかもしれない。
じゃあ戦場では?一瞬の躊躇いが自分の命や仲間の命を危険に晒す状況では、長所になるかもしれない。
僕たちは長い短いを持って生まれてきていない。
確固たる長い短いは存在しない。
物差しがあって初めて、長いか短いかが現れる。
部分的な世界には物差しが溢れているかも知れない。
社会で生きることは、色々な物差しによって長いか短いかを測られ続けること。測られ続けて僕らはここにいる。
だからこそ、いつしかそれが、あたかもずっと在るかのように錯覚してしまうけれども。
ただ、ここに、そこに、在るのは、
ある能力、ある傾向、ある偏り、だけだ。
其が長いか短いかは、我預かり知らぬものなのだろう。
花の香りをその花自身が知らぬように。
とそう感じたところで、猫がババに砂をかけるかのごとくおざなりに「長所」と「短所」の項目を埋めた。
適当でごめんよ、主催者様。
おわり
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