
2023.03.31「日々」
最近在宅労のおひるねが止まらない感じになっていたので、今日は労働しなくてもいいから寝ないことを目指してやっていくぞと思っていた。(ハードルは下げれば下げるほど偉い界隈)
午前中、大したことないメールをもらって急に労働が怖くなって何もできなくなったんだけど、労働用PCの通知音をミュートにしたらかなり気持ちが楽になった。これまで昼寝したりなんか別のことしてても一応反応できるように在宅労のときは通知音デカくしてたんだけど、心の安寧のために今後は一切ミュートにする。
午後はセンバツ準決勝を見たりライブ映像を流して踊ってたりしたらなんやかんやでおひるねせずに過ごせてよかったです。
ガルラジが本日をもってプロジェクトを終了することが伝えられていた。
正直、それによってこの日何か感傷的な気持ちになるとは思っていなかった。最後にガルラジを、彼女たちの声を聴いてからどれだけ経っただろうか。TLのツイートに反応して時折思い出したりなんやかんやすることはちょくちょくあったけれど。
だが、運営側の文章が投下されて、なんだかあの狂っていた日々が急に思い出されて、そして我々だけではなく、いや我々と同じように運営側もガルラジのことを愛していたんだな、それが今日一区切りを迎えたんだなとあらためて思うと、何かこみ上げてくるものがあった。
今この地点から振り返ってみると、やはりあの熱量は異常だったと言っていいと思う。もし今ゼロから(リアルタイムだったとしても)ガルラジに触れて、ああなれるかはわからない。わからないし、全然自信がない。それくらいあの日々は振り返ってみると不思議だったとしか言いようがない日々だった。でも、自分のツイートとか、ブログとか、あるいは棚にある合同誌とか、まだ残っている自分がしゃべったラジオとか、確かに思い出すことのできる記憶とか、そういったものがあの日々を否応なく証明して、証明し続けているのだ。
ネットプリントでガルラジカレンダー2023を手に入れることができた。粋だよな。近くの公園で徳ちゃんのアクスタとカレンダーを脇に置きながら酒を飲んだ。ガルラジのキャラクターの名字って全員日本酒の名前から取ってるんじゃないかと初めてツイートで指摘したのはたぶん自分だ。ガルラジストという言葉を初めてツイートで使ったのもおそらく自分だ。たぶん、おそらくね。
ガルラジで一番記憶に残っていること、洞爺湖の宿ではち切れそうなほどメシを食った後、部屋で寝っ転がりながらリアルタイムで聴いた初めてのガルラジ徳光1-2、そしてその後洞爺湖の街を歩きながら、そしてサッポロクラシックとセコマのポテトを手に真っ暗な洞爺湖を眺めながら聴いた岡崎1-1
— ぬんさく (@nun_tya_ku) March 31, 2023
自分が愛した作品が今日で終わりですよ、と宣言したうえでスッパリと終わってくれることがどれだけありがたく、幸せなことであるかということを俺はよくわかっているつもりですよ
— ぬんさく (@nun_tya_ku) March 31, 2023
アイドルコネクトのことを想ったツイートでもあります。
新年度だということは労働柄多少意識することはあれど、生活のなかで意識に上ることはほぼなかった。でも2023年の今日だけは、そんなこともなかったのかもしれない。
ガルラジはわれわれの人生の交差点である。