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宝塚雪組公演『ファントム』 人物視点て熱く語る

忘れもしない、初観劇の2019年1月29日。この月の前半にはパリに旅行で訪れ、作品の舞台となったオペラ座(ガルニエ宮)の内部を見学し、準備万端での観劇だった。あの日鮮烈に心と記憶に刻まれた作品を呼び起こすため、今再び筆を執る。
(※ネタバレ含む)

【作品紹介】
脚本/アーサー・コピット 作詞・作曲/モーリー・イェストン
潤色・演出/中村 一徳 翻訳/青鹿 宏二
ガストン・ルルーの小説「オペラ座の怪人」をもとに、脚本アーサー・コピット、音楽モーリー・イェストンによって1991年に初演、米国内ツアーでの好評を受け、その後世界各地で上演されてきたミュージカル『ファントム』。宝塚歌劇では2004年に宙組により初演、怪人の心の葛藤を鮮明に浮かび上がらせ、悲劇の結末をよりドラマティックに描き出した宝塚歌劇ならではのロマンティックな舞台が高い評価を得て、その後の再演も好評を博し常に上演希望が寄せられる人気ミュージカルとなりました。伸びやかな歌声に定評のある望海風斗がファントム役に挑むにあたり、この度の雪組公演では新たな『ファントム』の世界をお届け致します。
(宝塚歌劇公式HPより)

外国人キャストでのケン・ヒル版『オペラ座の怪人』は一度観たことがあったため、話の大筋は分かっていたが、構成やナンバー、一部登場人物も異なる『ファントム』を観るのはこの日が初めてだった。

『オペラ座の怪人』では終始“怪人”として存在する主人公だが、『ファントム』ではその怪人にはっきりと“エリック”という名がついており、彼が一人の“人間”として描かれているという点において、両者は異なる描き方となっている。

通常宝塚公演では、トップスターによる開演の挨拶の後、幕が開いてすぐ物語が始まる、あるいはプロローグとして作品を象徴するダンスナンバーから始まることがほとんどだが、今作は新たな取り組みとして作品を象徴する“映像”から始まった。これは、韓国の映像ディレクター、チョン・ジェジンにより制作されたもの。オペラ座の地下に潜った先に広がる、怪しくも美しい広大な地下空間を探索するようなカメラワークで展開していき、舞台上では表現しきれない細部の装飾等を見るものに一気に擦り込んでいく。映像の最後、地下空間に広がる揺れる水面にエリックの仮面が映し出され、悲しみをたたえながら静かに潜むエリックを印象づけた。

主演の望海風斗は、その圧倒的歌唱力が最も注目されているが、それと同じくらい、役が憑依したような繊細な芝居も注目されるべき点だ。

エリックは、十数年間、ほとんど人との関わりもなくオペラ座の地下に閉じこもって(顔がただれていることにより閉じこもらざるを得なくて)生きてきた。そのため、年齢はある程度重ねているものの、心はまだ子どものままで、純真無垢なのだ。
一幕前半では、後に自身の父だと分かるオペラ座の支配人のキャリエール(彩風)に対して「(新しく支配人になるアラン・ショレ(彩凪/朝美)に自身を幽霊と信じ込ませたい一心から)幽霊を信じるかな?」と言ったり、「これから僕はどうなる?」と急に弱々しくなったり、従者を遣ってカルロッタをおどかさせたりなど、まるで子どものような言動の数々。その冒頭の場面により、観客は一瞬にしてエリックのキャラクターを掴むことができる。声のトーンで激しい感情の起伏や、視線の変化で感情の切り替わりを表現した望海の役者としての力量が存分に発揮されていた。

エリックの幼い内面を映し出した場面は、他にも劇中の随所に見られる。
二幕では、新たにプリマドンナを演じることとなったクリスティーヌ(真彩)を妬み、彼女に毒を飲ませた元プリマドンナのカルロッタ(舞咲)のことを、エリックは何の迷いもなく、残虐な形で殺害してしまう。つまり彼は、「人を殺してはいけない」という、いわば当然とも言えるルールを知らないのだ。一人孤独に地下で生き続けてきたため、それを誰からも教わっていないのだ。
そのすぐあとの場面では、「僕の領地」と誇らしげに言いながらオペラ座の地下にクリスティーヌを案内し、無邪気に、幸せそうな笑顔で会話を進める。
エリックは、幼さゆえの残虐さや脆さ、愛らしさが一人の人物の中に同居するという、非常に難しい役どころ。これを見事に演じ上げた望海には、万感の思いが込み上げる。

そして、望海の大の得意分野であると同時に、作品としても最も重要な要素の一つであるのが、歌の存在だ。
名曲が多すぎて一つ一つ挙げていたらキリがないため、悩みに悩み抜いた結果この一曲を例として用いる。一幕前半、キャリエールが支配人を解任されたことを知った直後に、自身の今後に絶望して歌い始める『Where in the World』では、最初は悲劇的な曲調とともに「生きる道は閉ざされ」や「どうしてこの世に生まれてきたのだろう」といった絶望に満ちた言葉たちが並ぶ。しかし途中から曲調が変化し、言葉もエリック自身が得意とする歌への想いや美しい歌声を追い求め続けたいという希望に変わっていき、「たとえこの地の果てまでも 限りなく求め続ける 天使の声を」という言葉で終わるのだ。たった2分程度のナンバーで、エリックは地獄から天国へ這い上がったのだ。聴く側も同時に、沈んだ気持ちだったところから、一気に身体中に熱いエネルギーがほとばしり、思わず身がのけぞる。自分はいらない人間なのかという思考からは、一見生命力の弱さを感じるかもしれない。しかし実は、そう考える人間は、常に自分にとってのただ一つの何かを探し求める気持ちが誰よりも強い。彼にはどれほどのエネルギー、生命力が宿っているのだろう。そこには確かに望海自身のエネルギーと、歌い手としての技量も加わっている。巧みな強弱の付け方、どこまでも豊かに伸び続ける声、クセのない真っ直ぐに届けようとする歌い方。これらを兼ね備えた望海と、エリックの組み合わせが、想像し得ない化学反応を生んでいる気さえした。

ヒロインであるクリスティーヌを演じた真彩も、宝塚の娘役きっての歌い手だ。

エリックとクリスティーヌが出会うきっかけとなるナンバー『Home』は、望海と真彩がまだ花組にいた2014年、番組の企画の中でまさにこの二人がデュエットして歌っている曲だ。この当時、二人は互いに、『ファントム』に主演することが夢だと語っていた。その夢が、4年後の2018年、叶ったのだ。そんな思い入れとともに観劇していたからだろうか、まさに“天使の声”の持ち主である2人が出会った、奇跡とも言える光景だった。
クリスティーヌは、胸いっぱいに希望を抱いてオペラ座の門を叩き、衣装係として働けることとなった。『Home』は、彼女が舞台裏で一人片付けをしながら、「いつも待っていた 心の中では 夢に手が届くその時を」と口ずさむように歌い始めるナンバー。普段の話し声は比較的低めな真彩だが、歌い始めるとどこまでも高音が出る。宝塚では女性が男性役を演じている都合上、基本的には女性役を演じる娘役があえて普段より更に高い声を出し、男女差を表現しなければならないため、訓練を重ね音域を広げていったのだろう。「きっと叶うはずよ 夢は」という歌詞には、天性の歌声を持ちながらも、努力で更なる歌唱力を習得していく2人の女性の想いが強く込められているように感じた。更にナンバーの後半では、望海と真彩の息のあったハーモニーが見る者の心を鷲掴みにしていくという、大注目の一曲だ。

真彩の歌唱力にが際立つナンバーはまだまだある。
一幕後半のビストロの場面では、オペラ座関係者皆の前で歌を披露することとなる。歌い初めは、どこか自信なさげで弱々しく歌うのだが、途中でいつものエリックからの歌唱指導の日々を思い出し、自信を取り戻せた結果、高音の美声が爆発するという場面。明るく楽しい場面なのだが、涙と鳥肌なしにこの場面を観ることはできない。声がいつもの調子で出せるようになってから、彼女の表情の明るさは増していき、心から歌を愛しているというような表情で、生き生きと歌うのだ。その彼女が持つ歌の力と内面の魅力が、周囲をどんどん巻き込んでいき、最後はビストロにいる全員で大合唱する。極めて美しい光景や歌声に触れ合った時、魂が激しく揺さぶられて身体すらも感動するという人間本来の反応を、無意識のうちにしてしまった感覚。いつまでも拍手をやめたくない、そんな気持ちにさせられる、この上なく愛すべき場面だ。

真彩クリスティーヌのナンバーについて、最後にこれもどうしても伝えておきたい。
クリスティーヌがエリックに対して、仮面を取って顔を見せてほしいと懇願する場面では、仮面を外すことを拒否し続けるエリックに対し、優しく語りかけるように『私の真の愛』を歌う。20代半ばほどの年齢の女性の声とは思えないほど、深く、やわらかく、包容力のある声色で、エリックはおろか劇場の観客2,000人を一瞬にして包み込むのだ。この歌によりエリックは仮面を取って彼女にだけ顔を見せることとなるのだが、観ている観客側まで、クリスティーヌに心を開き、身を委ねたくなる感覚に陥るのが不思議だ。望海に負けず劣らず、真彩の歌の力も限界が見えない。

望海と真彩二人ともに言えることだが、劇中歌の難易度が、元々非常に高かった歌唱力を更に引っ張り上げているのだ。これまで何作も観てきたファンからすると、まだ上手くなるのかと言いたくなるほどの上達ぶり。チケット代はどの公演においても一律だが、プラス料金を率先して払いたいと、ここまで痛感した公演は初めてだった。

脇を固める出演者についても言及したい。

エリックの父親であることをエリック本人を含め誰にも言わず、オペラ座の支配人を長年続けてきたキャリエールを熱演したのは、雪組の2番手男役スターの彩風咲奈だ。

エリックの父親であるということは、日本で言う還暦前後の年齢であろうと想像できるが、その半分程度の年齢の彼女がこの役を演じることに。エリック役の望海よりも年齢が下であったが、彩風は声色や所作、表情から、品と渋みを携えた大人の男性を見事に表現した。キャリエールは決して明るい人生を歩んできたとは言えない、複雑な想いを抱き続けながら生きてきた人物のため、常にどこか苦悩をまとっている様子を醸し出すのは簡単ではなかったはず。ただ、若くから抜擢され、同期の中で首席入団した彩風本人にも、表には出さない多くの苦悩はあったはず。そんな彼女自身の内面ももしかしたら反映されていたのかもしれない。

キャリエールが中心となる最も大きな場面は、エリックとの親子の場面だ。ここでキャリエールは、初めて自分が父であることをエリックに直接言葉で伝えることができ、父と息子の絆が初めて目に見える形で浮かんでくる。ここで歌う『You are My Own』は、この作品の中で最も人々の涙を誘うと言っても過言ではない。かすれたような、囁くような「エリック」というキャリエールの歌い出しと共に、劇場中から一斉にすすり泣く声が聞こえるほどだ。初めて面と向かって心を通わせることができたと同時に、親としてはあまりに残酷すぎる決断をしなければならず、希望と絶望が入り混じる状況の中でも、何より子のためにという信念を感じさせる熱い芝居。その後すぐに訪れる結末にも直結する非常に重要なこの場面で、役割を十分に果たすことができた彩風に対して、観客の評価が一層高まったようにも感じた。

クリスティーヌを愛する、オペラ座の有力なパトロンであるシャンドン伯爵は、彩凪翔と朝美絢が役替わりで演じた。ともに顔立ちが華やかな二人だが、役作りは全く別。彩凪は、華やかさの中にも少し落ち着いた雰囲気を感じさせ、品良く、でも心は熱くクリスティーヌに向き合った。一方の朝美は、持ち前のアイドルのようなキラキラとした華やかなオーラが抜群に生きており、少々肉食な印象で、熱心にクリスティーヌを追いかけた。二人は、オペラ座の新支配人のアラン・ショレも役替わりで演じた。

アラン・ショレの妻で新たにオペラ座のプリマドンナとなった難役カルロッタは、ベテランの舞咲りんが好演。はちゃめちゃにクセの強い歌い方をするカルロッタのナンバー『This Place is Mine』は、経験を積んだ実力のある歌い手でなければ担うことはできないないが、雪組の中でも熟達した歌い手として重宝されてきた彼女ならではの表現であった。

その他にも、周囲を固める様々な役どころを雪組メンバーが演じた。圧倒的実力を見せつけるトップコンビに何とか食らいつこうと、各々がもがきながらも生き生きと演じていたように思う。

アーサー・コピットとモーリー・イェストンの稀代の名コンビが生み出した作品の一つである『ファントム』。原作である小説『オペラ座の怪人』や『オペラ座の怪人』という題のミュージカル作品は、正直主人公である怪人に共感しづらい部分が多い。しかし、視点を変えて誰しも多少は共感ができてしまうように、彼の人間性の部分にフォーカスし、琴線に触れる多数の極上のナンバーまであてがってしまったというのは、天才以外の何者でもない。

ミュージカル界でもトップクラスの難作であり、主人公をはじめとしていくつもの難役が存在する本作。既にこの作品の素晴らしさを知る者たちは、毎回出演者に対して期待を寄せるため、これを演じることになった者たちには相当なプレッシャーがかかることは、容易に想像できるだろう。しかし、そのプレッシャーを跳ね除けて絶賛の嵐を巻き起こし、チケットの転売価格が日に日に高騰するまでの事態になったのは、紛れもなく、主演二人の存在によるものだ。望海と真彩の舞台人としての並外れた能力と、アスリートのように上限を決めず互いに高め合いながら努力を重ねてきたことの賜物なのだ。

観劇の後、望海と真彩のあまりの好演ぶりに、他のキャストでは見たくないという気持ちになった。それどころか、この当時数ヶ月間は、雪組『ファントム』以外のミュージカルを一切受け付けたくないというところまでいってしまった。

ミュージカル『ファントム』、少なくとも宝塚ではしばらくの間は上演封印必至だ。『ファントム』という作品を作り上げるにあたり、望海エリックと真彩クリスティーヌに匹敵する、あるいは彼女たちを超えるトップコンビは果たして今後現れるのだろうか。

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