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映画『ウエスト・サイド・ストーリー』人間の永遠の課題が再び令和の時代に突きつけられる

2022年2月11日の日本公開日から2ヶ月以上経って、ギリギリ滑り込みで映画館で観ることができた。

シェイクスピアが生きた時代から変わらない、人間にとっての永遠の課題である本作の内容の所感を、これを機に記しておきたい。

【STORY】
夢や成功を求め、多くの移民たちが暮らすニューヨークのウエスト・サイド。だが、貧困や差別に不満を募らせた若者たちは同胞の仲間と結束し、各チームの対立は激化していった。ある日、プエルトリコ系移民で構成された“シャークス”のリーダーを兄に持つマリアは、対立するヨーロッパ系移民“ジェッツ”の元リーダーのトニーと出会い、一瞬で惹かれあう。この禁断の愛が、多くの人々の運命を変えていくことも知らずに…。

公式HPより


ブロードウェイミュージカル『ウエスト・サイド物語』の初演、1957年から数えて早65年。この年月を見ると、一瞬、令和の時代においては少し古臭い作品と身構えてしまう方もいるかもしれないが、決してそうではない。

この作品が、1595年前後にシェイクスピアによって生み出された戯曲『ロミオとジュリエット』から着想を得ていることは有名な話であろう。65年前どころか、400年以上も昔の作品と、伝えたいメッセージは概ね同じであるのだ。

20代後半の私であるが、この世代だと、もうロミジュリもウエストサイドも、作品名を聞いたことはあるが内容は知らないという人が多い気がする。そんな同世代の方々にも、今の時代だからこそ観てほしいと心から思う作品だ。


『ロミオとジュリエット』の方はと言うと、14世紀のイタリア ヴェローナが舞台。同地域に長年住む、「モンタギュー家」と「キャピュレット家」の一族同士の代々続く激しい対立が背景だ。

一方の『ウエスト・サイド・ストーリー』の舞台は、1950年代のニューヨーク マンハッタンのウエスト・サイド地域。この地域には世界中から多くの移民が集まっており、アメリカがどんどん発展を進めていく一方で、差別や貧困等の問題を抱える若者たちは取り残されていた。そんな中若者たちは同胞とグループを作り、白人であるポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」は激しく対立。一触即発の状況の中物語が展開していく。

ロミジュリの方は両家とも裕福な一族であるため、人間が本来持つ縄張り意識や、自分とは異質の他者への不理解などが根底の問題として存在している。

ウエストサイドの方は、上記に加え、時代の激しい移り変わりや育ってきた環境などの影響による若者の心の荒廃といった問題も入ってくるだろう。


人間が持つ縄張り意識については、正直取り除きようがない。人間だけでなく、その他多くの動物にも備わっている本能だからだ。そう客観的に話す私にだって多少の縄張り意識はある。長い長い歴史の中で、自分達の領地を拡大して自分達が多くの富や資源を得るために、戦争が繰り返されてきた。世界の全ての国、地域がそこそこに裕福であれば、争いは格段に減るだろうが、なかなかそんな時代は訪れない。

自分とは異質の他者への不理解については、完全には無理だろうが、自助努力や教養を備えることなどによりある程度理解することはできるはずだ。この作品の主人公 トニーとマリアにおいては、一目で劇的な恋に落ちたことにより、両者を隔てる「人種」や「縄張り」という大きな壁が一気に取り払われることとなった。トニーとマリア以外のメンバーからこの壁がなかなか取り払われないのは、(本人が望むと望まざるとに関わらず)異質な相手との劇的な出会いもなく、常に非常に狭い同胞間だけでのコミュニティで生きているからだ。


縄張り意識と異質な他者への不理解を、並大抵ではないほどまで増長させてしまったのは、時代の激しい移り変わりや育ってきた環境だろう。作中、ジェッツのメンバーが歌うナンバー内で、「親は酒浸り、ヤク中」などといったような話が出てきて、青年たちは皆劣悪な環境で育ってきたことが窺える。それぞれに何か辛い背景があり、心が荒廃していく中で、そこから救い出してくれるような「希望の光」は恐らく彼らにはなかったのだ。


ジェッツとシャークス、それぞれが大切な仲間を奪い合ったことをきっかけに、両者を隔てる「人種」や「縄張り」という大きな壁が一気に取り払われることとなった。トニーとマリアのように、ポジティブな意味での大きな衝撃で壁を取り払うことができれば、誰も傷つかなかったのに…。

言うのは簡単で全ての人間がこれを実行するのは現実的ではないことを重々承知した上で話すが、憎しみにより他者に傷を負わせることは、次の憎しみを生むだけだ。でもマリアは、憎しみが全身を蝕んだ瞬間にも、復讐をすることを踏み留まり、負の連鎖を断ち切った。

そんな彼女を見て、もし自分に激しい憎しみに侵される瞬間が来ようとも、それを断ち切る心の強さを身に付けようと思わされた。より多くの人が『ウエスト・サイド・ストーリー』を観ることで、そのような覚悟を持つことができれば、徐々に憎しみの連鎖による悲劇は減っていくかもしれない。

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