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20.留学を終えて帰国

半年間の留学を終え、ついに帰国です。
イタリア語でケンカができるようになりたい、それぐらい上達したい、と思っていたのですが……。


最初の2週間で終わった

やっぱり現地でイタリア語漬けの生活を送ると進みが早いです。
生徒2人だけという密な授業を受けることができたせいか、最初の2週間で新橋のイタリア語教室でやった半年の内容がすべて終わりました。

5月に入ったら過去形へと進みました。
これまで「今」のことしか話せなかったのが、一気に「昔」の自分を語れるようになったわけです。
これは大きな進歩。

現在形だけだと会話がもたないのです。
やはり留学に至るまでの経緯、私の場合は出張でイタリアに行ったことや仕事が忙しかったことなど語ることになりますが、これって過去形ができないと伝えることができませんから。

こちらで学び始めて1ヵ月半ぐらい経ったころでしょうか。
この辺りからイタリア語の上達を自分でも実感できるようになりました。

イタリア語の上達具合

ブログに書き残してあったエピソードからイタリア語の上達具合を探ってみようと思います。

2ヵ月目:ナンパが成立する

留学してから約2ヵ月、5月半ばのブログによるとテレビニュースやドラマのイタリア語はまだまだだけど、イタリア人との世間話ぐらいならこなせるようになったとあります。
そしてタオルミーナで出会ったイタリア男たちとわりと突っ込んだ会話もできるようになってきています。

ここで驚愕したのが、東京で通っていたイタ語教室、3人目の今では有名なあのイタリア男との会話クラスで習った「セイ・フィダンザート/タ?」を実際に言われたこと!
「スクーズィ(すみません)」と呼び止められ、
「セイ・フィダンザータ(婚約者はいるの)?」と聞かれました。
そして、いないと言うと、さらに
「ティアーモ。アイラヴユー!」って!

苦手だったあの授業はある意味、ホントのイタリア語会話教室だったのでした。

3ヵ月目:郵便局でバトル

日本宛てに荷物を送ったのが戻ってきました。
宛先と送り主を書く場所を間違えていたのです。
でも、郵便料金は日本宛ての高い国際料金を払っています。
それなら郵便局員が間違いを指摘すべきじゃないの?
と思い、郵便局へ文句を言いに行った、とあります。

私「なんで日本宛てに送ったのに戻ってきたんだ」
郵便局「なんでだろ……あぁ!書き間違えてるよ。シール貼ってあげるから書き直して。もう1度お金払ってね」
私「え?でも料金は日本宛てのを払ったんだけど?タオルミーナからタオルミーナの国内郵便だったのに」
郵便局「知らないよ。ここを出て戻ってきたんだから、もう1度払って」
私「でも私は日本宛ての料金を払ったよ。なんでもう1度同じ額払うわけ?」
郵便局「知らないよ。とにかく宛名を書き直して」
私「なんで、そのとき言ってくれなかったの?」
郵便局「知らないよ……」

……この繰り返しなのでした。

6ヵ月でイタリア語が話せるようになったか

6月半ばには未来形に突入。
これで過去、現在、未来の話ができるようになりました。
やっぱり未来を語れるってステキです。
コミュニケーションの幅がグッと広がります。

7月と8月は学校の生徒も増えて交流が盛んになったせいか、イタリア語を話す機会が大幅にアップ。
とくに7月はタオルミーナの共同アパートにいたので、一人暮らしとちがってふだんの会話が一気に増えました。

そしてこの辺りで自信がついたせいか、留学期間が終わってもそのままイタリアにいられる方法がないか探り始めています。
アパートの前に住んでいたおばちゃんが、家政婦の仕事ならあるよと教えてくれましたっけ。
学校の先生や周りの人に聞いたりして、とりあえず仕事探しならミラノへ行けと言われました。

このままイタリアに在留する方向で気分は高まっていたのですけど、ビザの問題や自身の現在のイタリア語力を冷静に鑑みて、やっぱり予定通り一時帰国することに。
ふだんの会話なら十分ですが、働くまでのイタリア語レベルには至っていないと思ったのです。

戻る場所がわからない

そんな決心をしてから1週間ほど経ったころ、賃貸に出していたマンションの契約が9月初旬で打ち切られることになったという、不動産会社からのメールを受け取りました。
やはり9月には日本に帰って、ローン返済のためにまた東京で働かなくてはいけない運命だったのだと思います。

帰国便の飛行機をトリノ~フランクフルト~成田で取っていたので、シチリアからピエモンテに移動しました。

そして懐かしのブラに3泊したのですが、この滞在中に日帰りでミラノを訪れています。
シチリアで言われた働くならミラノという言葉がアタマに残っていたからです。
はじめて見たミラノの町はまるで東京のようでした。
青山や表参道、外苑前みたいな感じで、まったく住みたいと思えず。

さらに、シチリアでの半年を終えて戻ってきたブラは、なんだか少しよそよそしく感じました。
懐かしさもある反面、気まずい思いで別れた元カレに再会するような。
あんなに好きだったのに、離れて冷静になってみたら、やっぱり運命の人じゃなかった、みたいな。

イタリア出張ではじめてブラを訪れたのは2003年の秋。
それから約3年、現時点でイタリアでできることはやりつくしました。
このあと再びイタリアに来るとしても私はいったい、どこへ行き何をすればいいのでしょう。
スタート地点に戻って、ますます今後のことが分からなくなってしまいました。

ここからローマに移住するまでさらに7年の歳月を要することになります。

そんな人生が待っているとは知る由もなく、次はいつイタリアに来られるのかさえ分からない不安を抱えての帰国です。
そしてこの7年間がまた波乱万丈で、今から考えるとホントによく移住できたなぁと思います。

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