51.またまた帰国してイタリア大使館へ
日本のパスポートだけではイタリアの個人識別番号は発行されず、正式な賃貸契約を結ぶことができません。
役所の窓口でそれを指摘され万事休すと思ったとき、神のひと声が下りてきたかのような助け舟が出されました。
イタリア人のユニークな法解釈
私たちの不毛な押し問答の一部始終を聞いていたのでしょう。
となりの窓口に座っていたその人は、日本はシェンゲン協定国であること、そのため90日以内なら滞在ビザの発行が免除されていること、なので日本パスポートを持っているならそれは滞在ビザが発行されているのと同じことである、と言うのです。
そんな無茶な、そんな屁理屈のような言い分が通るものかと思いましたが、なんと最初の窓口の人はその法解釈をすんなり受け入れました。
そして、実際には発行されていないシェンゲン協定によるビザをイタリアに滞在するための正式なビザとみなし、個人識別番号を発行してくれたのです。
その人は別に意地悪をしていたわけではなく、真っ当な理由なしに法を犯すことができなかっただけのようでした。
イタリアに暮らすようになって分かったのですが、法律の解釈が杓子定規に決まっているのではなく、状況に応じて変化させられるようにわざと抜け道が用意されているのかと思うほどです。
法律家たちは個人のクリエイティブな感性を駆使して法解釈しています。
その解釈は本当に個人の経験やセンスに左右されるので、誰に頼むか、ということがとても重要になってきます。
そして、そうしたちょっとズルい抜け道を知っている専門家のほうが「優秀な人」として評価されるのもイタリアの面白いところです。
さて、イタリア人のユニークな法解釈に助けられ、こうして無事に不動産賃貸契約書を手にし、今度は東京のイタリア大使館へ出向くため、12月31日の飛行機で日本に戻ります。
その前に、ローマのアパートの部屋に置いてあった荷物を引き揚げたのですが、引っ越す私に大家さんはとても親切でお皿やカトラリーなど新生活に必要なものを何でも持っていくように言ってくれました。
もちろん何ひとつ、いただきませんでしたけれど。
そして、ローマでもし急に宿が必要になったらいつでも連絡するようにとまで言ってくれて、いま考えてもなぜ1週間という短さで退去しなければいけなかったのか本当によく分かりません。
2度目の留学ビザ申請
12月31日の午前中にローマ・フィウミチーノ空港を発ち、ドイツ経由の全日空便で東京に着いたのは1月1日の早朝でした。
日付変更線を超えたのでいつの時点で年越ししたのか不明ですが、無事に2014年を迎え、そのまま日本の家族と一緒にお正月気分にひたります。
そして、イタリアでそろえてきた留学ビザ申請用の書類を一式持って1月の半ば、東京のイタリア大使館へ行きました。
このとき私が持って行ったのは、学校の入学許可書、1年間の保険加入証明書、銀行の残高証明書、前回留学したときの学校の修了書、そして、例の賃貸契約書などです。
アラフォーで最初に留学したときから約8年の年月をまたぎ今度はアラフィフでの留学になりますが、本来の目的は学業と言うより移住になります。
しかし、もちろんそれを大使館で疑われてしまったらアウトです。
イタリア語はできるようになったので、今度はあくまでアートを修めるための留学になります。
大使館の窓口では、やはり前回留学したときのことをあれこれ聞かれました。
今回の留学の目的や、ブラッチャーノから学校までどうやって通うのかなど突っ込んだ質問をされます。
一応そうした問答は想定していたので、答えを用意していきました。
そして、1週間ほどで2度目の留学ビザを無事に取得します。
大使館の窓口で言われたこと
今度の留学ビザは2014年2月から365日間有効、というものでした。
アートスクールは1年ごとの更新になり、私は2月から通うことになっていたので、そうした期間で発行されたのだと思います。
そして、大使館の窓口でまったく聞いたことのない言葉をかけられとまどいました。
それは、2年目以降は改めて留学ビザを取るためにここに戻ってくる必要はない、現地で更新手続きができるから、というものでした。
当時の私は、そんな先のことまで考えていません。
1年も先のことなど、現時点ではどうなるか全く分かりませんでしたし、想像することすらできませんでしたから。
いずれにしても留学ビザは更新できるものだということを、そのとき初めて知ります。
そのためにはまた面倒な手続きが待っていたのですが、その話はまた改めて。