72.すっかり気を抜いていたら人生最大の難関に遭遇する
ブラッチャーノを管轄しているクエストゥーラ(中央警察署)はローマの外港チヴィタヴェッキアにあります。
早起きしていつものように電車を乗り継いで行ったのですが、それまでの人生で最大のピンチに見舞われることになりました。
最低2回は出頭するクエストゥーラ
イタリアに移住する前、チヴィタヴェッキアといえばサルデーニャ島行きの船や外国クルーズ船が停泊する港町、ぐらいの知識しかありませんでした。
それがこんなに通い詰めることになろうとは。
1回の滞在許可証の更新にあたり、書類確認の面談と指紋登録のため、そして出来上がった許可証を受け取るため、最低でも2回は行くことになります。
しかし、書類の不備があったり、行っても受け取れなかったりということもあり、平均すると1年に3~4回は行ってる気がするので2024年5月現在、私は少なくとも通算30回はチヴィタヴェッキアを訪れていることになります。
最初のうちはミケランジェロの設計したという砦を見に行ったり、戦火を逃れて残る旧市街を訪れてみたり、支倉常長像を見に行ったりしていましたが、今では日本聖殉教者教会へ御礼参りに行くぐらいです。
この日もアポイントメントの時間に間に合うように早めに到着、そして、のんびりバールで朝ごはんをしました。
このあと人生最大の難関が待ち受けているとも知らず、海を眺めながら呑気に朝ごはんを済ませクエストゥーラへ出頭します。
永遠に感じた1分間
その日の私の担当面接官は若い男性で初めて見る顔でした。
空手をやっていたという中年男性の面接官はもう在籍していなかったらしく、その前年に訪れた時も顔を見ていません。
うっとおしく思っていた存在だったのに、このときばかりは彼がいてくれたらなぁと思いました。
今度は学生用の更新ではなく就労用としての新たな発行です。
それでも書類の確認などやることはこれまでと同じなので淡々と進められていきました。
すると、横から別の女性担当官が入ってきて私の書類を眺めながら、ずっと怖れていたので弁護士にまで確認した例の件について指摘します。
この人は大学ではなくアートスクールにしか行っていないのに求職用の滞在許可証が発行されたのはおかしいのではないか、無効なので今回の手続きもこのまま進めてはいけないのではないか、と。
顔から血の気がサーッと引いていくのが分かりました。
心臓が高鳴るというより、キュッとわしづかみにされて心停止した感じ。
2人の担当官のやり取りを、気が遠くなりながらも耳をそばだてて聴いていたら、私の担当面接官が言いました。
たしかにアートスクール卒業後に出たものだけど、もうこの年齢だし、きっと若いときにイタリアで大学を卒業したのだと思うよ、だから発給されたのではないか、と言ったのです。
彼らは私に対して、どの大学を出たのかとか、大学の卒業証明を提示せよ、などという問いかけは一切しませんでした。
あくまでも彼らだけの間で交わされた、たぶん1分ぐらいの短いやり取りです。
それでも私には永遠のように長く感じられました。
ここまで何とかすり抜けてきたのに、ついにここまでか、万事休すと腹をくくり、その女性担当官がどう出るか固唾を飲んで神妙な面持ちで、まるで天からの宣託が下るような気持ちで待ちます。
すると彼女は私のほうをチラチラ見ながら、「Va bene(ヴァ・ベーネ)」と言いました。
ヴァ・ベーネとは直訳すれば「うまく行く」ということですが、ニュアンス的には「ま、いっか」とでもいうような意味になります。
「ワタシの担当じゃないしアンタがそれでいいなら好きにしたら」という意味が言外に込められているであろうことは容易に想像がつきましたが、それでも事が荒立てられることなく済んだのでほっとして胸をなでおろしました。
今回も何とか切り抜けられたのです。
自営業タイプの就労ビザをゲット!
こうしてチヴィタヴェッキアのクエストゥーラでの面談を終え、あとは発行されるのを待つだけです。
しかし、このあとまた別の人が女性担当官のような疑問を持つかもしれません。
実際に本物を手にするまで不安な日々を過ごしていました。
そして、3ヵ月ほど過ぎた12月のある日、そろそろ発給されていて良いころだとチヴィタヴェッキアへ行きます。
冬の寒い雨の降る日で新しくコロナ規制が敷かれたばかりでした。
前日には700人近い人が亡くなっています。
そのためクエストゥーラの建物内で待つことはできず、傘をさして順番が来るまで外で待つこと小1時間。
名前を呼ばれ、オフィスの中に入り、いつものように記載事項の確認をします。
Tipo di Permesso(許可の種類)の欄には「Lavoro autonomo(ラヴォーロ・アウトーノモ)」で自営業と記載されていました!
あの時の安心感と達成感は今でもよく憶えています。
新しい滞在許可証を受け取って外へ出たら雨も小降りになっていて、海風に吹かれながらしばらくチヴィタヴェッキアの海を眺めていました。
泣きはしなかったけれど、移住7年目にしてやっと発給された就労ビザを手に、それまでの困難な道のりを思わずにはいられませんでした。