「のどちんこ」に告ぐ。「のど」さえつければ何を言ってもいいのか?
セクハラや不謹慎な発言に対してきわめて厳しいこの時代に、見事なまでに非難を浴びていない言葉がある。
「のどちんこ」である。
読んで字のごとく、「のど」にある「ち〇こ」みたいなやつという意味だ。
正式には「口蓋垂(こうがいすい)」と呼称するらしいが、そう言ったところで「え? 何それ」と返されてしまい、けっきょくは「のどちんこのことだよ」と言い直す羽目になるだろう。
ならばやはり、あれはもう「のどちんこ」以外の何物でもないのだ。
仮に公然の場で「ち〇こ」と言い放ったとしよう。
間違いなく、周囲の人々に白い目で見られるだろう。
とくに女性は嫌悪感や不快感をおぼえ、最悪の場合、警察を呼ばれてしまうかもしれない。
だが、「のどちんこ」と公然の場で言ったとしても、スルーされるのだ。
「のど仏」や「のどごし」、「のど自慢」などと同じように、ただの言葉として受け取られることになる。
しかしいま一度考えてみてほしい。
明確に、「ち〇こ」と言っていることを。
洗脳は解けただろうか?
「のど」をつけたからといって、「ち〇こ」は「ち〇こ」なのだ。
「のど」をつければ何を言ってもいいのだとしたら、次に挙げる下ネタはすべてOKということになってしまう。
「のどちんちん」
「のどちんぽ」
「のどちんげ」
「のどチンゲール」
「のどハンキンポー」
いいはずがない! そう感じたことだろう。
我々はいまを生きる現代人として、決してこんなことを許してはならないのだ。
そもそもあれは、そんなに「ち〇こ」に似ているだろうか。
先入観を捨てて注視してみれば、さほど似てはいないことに気づくはずだ。
一足早く洗脳が解けていた私は、もっと似ているものがあるという事実にたどり着いていた。
そう。鍾乳洞(しょうにゅうどう)である。
この言葉の要素から新たな名前をつけるのだとしたら、
「のど乳洞」
とするのが自然だろう。なんだか語呂もいい。
しかし、致命的な問題が生じていることに、私は気づいてしまった。
鍾乳洞とは、あの空洞そのものを指す言葉であるし、何より「乳」という別のハレンチワードが飛び込んできてしまっているのだ。
これでは元の木阿弥である。
いっそのこと「のどつらら」とする手もあるにはあるが、「つらら」は先端が尖っている印象が強いため、思うように浸透していかないだろう。
悔しいが、手詰まりか……。
おっと、ペンを落としてしまった。
よいしょっと。
失礼、レポートのつづきを書こう。
新たなネーミングを考えなくてはならな――いや待て、いま私は、あれにとても似ているものを見た気がする。
!
足の小指だ!
造形もそっくりだし、サイズ的にも近い。
まさかペンを落としたことで発見できるとは運がいい!
「のど足の小指」
これでどうだろう。
いや、「ノドアシノコユビ」と読んでみると、なんだか昔の人の名前のように感じられる。
どうしても、中臣鎌足(ナカトミノカマタリ)や、竹取の翁(タケトリノオキナ)などが浮かんでしまう。
せっかくの幸運だったが、私を答えまで導いてはくれなかったようだ。
八方塞がりとなってしまった。
こうなった以上、ひとまずあれの名前は、「ぶらさがりモンキー」としておこう。
ところでこの世の中には、完全に「ち〇こ」と言っているのに下ネタとして受け取られない「のどちんこ」とは、正反対の扱いを受けている、つまり損をしているものが存在する。
決してそういう意味ではないのに、変な目で見られつづけてきた「チンアナゴ」の無念を、我々は忘れてはならない。