必要のない仕事
ローテーブルの前で片膝を立てて、僕はネタを考えていた。
無音にしたテレビ画面には、津波の映像や、悲しみに暮れる人々が映っている。
東日本大震災から、数日が経った夜だった。
ゴールデンウィークに単独ライブを控えており、そのチケットはすでに発売されていた。
僕はその台本を書かなくてはならなかったが、どうにも集中することができないのだった。
こんなときに、自分はいったい何をやっているんだ?
いま「面白いこと」を考えるなど、許されるはずがないだろ——。
いっそテレビを消してしまえば、いくらか現実を忘れられるのかもしれないが、僕にはそうする勇気も持てなかった。
このまま当日を迎えたら、一番困るのは自分だ。何より、チケットを買ってくれた人たちにどんな言い訳をするつもりなんだ?
そんなふうに自分に言い聞かせながら、目の前に広げられた大学ノートを睨んだ。そこに書かれたコント設定やセリフの断片を、頭の中で膨らませていく。
面白いことが浮かんでくすりと笑うたびに、自分が血も涙もない冷酷な人間に思えて苦しくなった。
しかし、それだけで済めばまだマシだった。
救助活動をつづける自衛隊員や消防隊員、
物資を運ぶトラック、
被災者に食べ物を振る舞う人たち——。
無意識にテレビ画面を見つめているとき、僕は気づいてしまった。
自分は、必要のない仕事をしている。
ずっと、人が生きていく上で必要のない仕事をしていたのだ。
早くして結果を出せたことで、自分はネタをつくる力を持っているのだと思っていた。
だがそんなものに、価値などなかったのだ。
芸人を目指すと告げたとき、「売れるわけない」と表情で言ってきた奴らに勝ったつもりでいた。
だがそんな勝負など、ただの一人相撲だったのだ。
自分は、必要のない仕事をしているのだから。
食べ物をつくるわけでも運ぶわけでもなく、ましてや人命救助をするわけでもなく、いざというときには何の役にも立たない、いや、有事でなくとも無力な、はじめからなくても誰も困らない仕事だったのだ。
平穏な日常が成り立った上で、はじめて娯楽は必要とされる。
生活基盤が安定しない状態で、いったい誰が笑えるというのか。
翌日、家を出て仕事に向かった。
番組収録はほとんど中止になったものの、ぜんぶというわけではなかった。
収録するバラエティ番組は決まって「こんなときだからこそ笑いを!」と、そんなセリフを頭にくっつけてから始めていたが、僕にはそれが、自分たちだけ通常営業するための言い訳のように、そして攻撃を受けないようにするための詭弁に思え、復唱することはできなかった。
帰宅して、またニュース番組を流しながらネタを考えた。
夜中になり、腹が減ってきたのでコンビニに向かった。
本当は出前を注文したかったのだが、やっているはずがないと思った。
コンビニに着き、そのドアをくぐった瞬間、僕は唖然とした。
食料品が見当たらないのだ。
チンするごはんを買って、それにふりかけでもかけてしのごうかと思ったのだが、甘かった。
普段チンするごはんが置かれている棚には、商品名の記された札しかないのだった。
これが、買い占めというやつか——。
平時からチンするごはんを食べていた僕にとっては深刻な事態だったが、不思議と気持ちが楽になった。
たぶん、自分より身勝手な人間が存在することを実感できたからだろう。
それから何日も仕事はなく、家にあった食料がとうとう尽きてしまった。
コンビニには相変わらずまともな食料は売っておらず、僕はダメで元々といった気持ちで、寿司のチェーン店のメニュー表を取り出した。
携帯電話でその番号にかける。
『はい、○○寿司です』
若い男性の声だった。
「え? やってるんですか?」
自分からかけておきながら、僕は無意識に訊いていた。
『あ、はい。——ご注文は?』
助かった。これでようやくまともな食事にありつける!
僕は興奮気味に注文を済ませて電話を切った。
しばらくして、若い男性配達員が品物を届けに来た。
僕にはその人が命の恩人のように思え、つい余計なことを口走っていた。
「助かりました。ありがとうございます!」
相手はおかしな人と接するようにぎこちない笑みを浮かべ、「またお願いします」と言い残して去っていった。
寿司を食べながら、ぼんやりとメニュー表を眺めていると、「甘エビ」という文字に違和感をおぼえた。
味が名前に組み込まれているじゃないか。
喰われることを前提に名づけられた「甘エビ」は、いったいどんな気持ちだろう。
これはネタになりそうだと思った。じっさいライブ当日には、「AMAEBI」というコントとして発表できるものとなってくれた。
しかし、これはいけるぞと浮かれた矢先、やはり罪悪感は襲いかかってくるのだった。
稽古が始まってからは、いくらか気がまぎれた。
一人で考える時間が減ったからだろう。
余震によって中止になるといった事態も覚悟していたが、ライブは三回とも無事に終わった。
幕が上がってしまえば、あれこれ考える余裕などなく、僕はただ演技に集中していた。
お客さんの反応もよかった(と思う)が、やはり自分が必要のない仕事をしているという意識は消えなかった。
そのぶん観に来てくれた人たちのありがたみを何倍にも感じられるようになったことは、思わぬ副産物といえたが……。
悲しい映像が流れる時間が短くなっていくのに伴って、思考の大部分を占めていた問題について考える時間も減っていった。
整理できない荷物にブルーシートを被せるみたいに、僕はひねり出した理屈で問題を覆い隠した。
人が生きていく上で必要のない仕事なんて、何もお笑い芸人だけじゃない。
大半の仕事がそうじゃないか——。
やがて、そこに何があったのかもわからなくなった。
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数年が経った夏、携帯電話にメールが届いた。
〈久しぶりに飲みにでも行かない?〉
高校時代の友人であるHだった。
(過去の記事、「偶然の実写化」に登場したHである)
電話をかけて近況を訊ねてみれば、Hはいま消防隊員をしているのだという。
ちょうど僕は『月の炎』の構想を練っている段階にあり、消防士に取材をしたいと考えているときだった。
数日後に会う約束をして、僕たちは電話を切った。
当日、座布団が湿った感じのする居酒屋で、僕たちはビールを飲みながら学生時代の昔話で盛り上がった。
Hと居て心地がいいのは、彼が「芸能界ってどうなの?」「誰誰と会ったことある?」というようなミーハーな質問を浴びせてくることがなく、高校時代の関係性のまま会話することができるからに違いなかった。
しかし裏を返せば、彼にはドライな面もあるといえる。僕が芸人になると言ったとき「へえ」くらいの反応だったし、駆け出しのときに誘ったライブを観に来たことはあるものの、それきりHは僕が出演するライブに足を運んだことはなかった。少なくとも、僕の耳には入っていない。おそらく僕の出演するテレビ番組なども、わざわざ観てはいないのだろう。
小説の取材はまだ済んでいなかったが、僕たちは店を移ることにした。
甘いものを食べたくなったのだが、その店には魅力的なデザートがなかったからだ。
カフェだかバーだか、とにかく開放感のある店のソファー席で、僕は向かい側に座るHに、消防士という職業について訊ねた。
消防士と言っても、消火活動をするポンプ隊員だけではなく、救急車で出動する救急隊員や、オレンジと呼ばれるレスキュー隊員も含まれるらしかった。
Hの場合はポンプ隊をしながら資格を取り、救急隊員になったのだそうだ。
Hの話を聞いているあいだ、頭が下がる思いだった。
Hは毎日のように人の生き死にに直接関わり、困っている人の力になっているのだ。
間違いなく、Hは「必要な仕事」をしている。
そう思った瞬間、覆い隠したあの問題が、ふたたび頭の中に表れた。
自分は、必要のない仕事をしている。
やがてHの話は東日本大震災のときの体験談に移り変わった。
「あのときはこっちも大変だったよ」
多くの消防隊員が被災地へ動員され、その影響で東京に残ったHも、ろくに休みも取れず働きづめだったのだという。
身体は疲れ果て、家に帰ってテレビをつければ悲しい映像ばかりが流れている。そして、自分が現地に行けないもどかしさも感じたそうだ。
「すごい仕事だな。俺なんかとは違う」
パンケーキを食べながら、思わず僕は言った。
「そんなことねえよ」
外国のビールを飲みながら、Hは即座に否定した。
「あのときマジで精神的にきつかったから、俺もう関係ないものが見たくて、よくツタヤでお笑いのDVDを借りてきて観てたよ。笑ってだいぶ楽になったんだ」
その言葉を聞いたとたん、あの時期にネタを考えて一人笑っていたことが、許された気がした。
そして頭の中にあるあの問題が、みるみる小さくなっていく感覚をおぼえた。
お笑いが、困った人を直接的に助ける男の救いになっていたなんて思わなかった。
そしておそらく、そのDVDというのは——。
Hはいままで、そんな素振りは見せなかったが、きっと僕の活動を気にかけていたのだ。
確信を事実に変えるため、僕は訊く。
「え、何のDVDを観たの?」
Hは嬉しそうにこう答えた。
「狩野英孝が淳にめちゃくちゃいじり倒されるやつ!」
いや旧友のつくったコントだと答える流れだろうが!嘘でもそう言えや!
という思いがこみ上げたが、口には出さなかった。
酔ってはいても、それがダサすぎる行為であることくらいはわかっていた。
「ああ、あれ面白いもんな」
そう返し、その話はお終いにした。
思わぬパンチを喰らいはしたものの、Hの話を聞いてよかったと、僕は心から思った。
お笑いが必要のない仕事という認識は、いまでも変わっていない。
しかし、あってもいい、あったほうがいい仕事だと思えるようになった。
英孝ちゃんは、Hの救いになっていたことを知らずにいる。
あの夜、寿司を運んでくれた配達員も、その寿司を握った職人も、その仕事が僕の救いになっていたことなんて知らないはずだ。
それに気づいたとき、僕はあることを確信した。
ただやっている本人に自覚がないだけで、きっとどんな仕事も、見知らぬ誰かの救いになっている。