競技生活を振り返って④
ヒートテックで寝ると体が冷えるというお話を治療院の先生から聞いてから寝る時は脱ぐ様になりました。
・高校3年生
ついに、何事にも高校「最後」という言葉が前に付いてきます。
相変わらず地区大会は体が動かないなりに県大会出場を決めます。
県大会ではピークがしっかり合いました。
とは言っても1500mは予選敗退、5000mは7位で関東大会には進めず…
試合後に泣いたのはこの時が初めてです。
この時代は、15'24で7位でしたが数年前からはこのタイムじゃ確実に入賞も無理ですね。
高校生の時が1番ピークを合わせられて体が軽くて研ぎ澄まされてる感覚さえありました。
高校でのベストは15'21。
1秒以下のタイムはさすがに忘れました。
10月の駅伝では県大会の絶好調をさらに上回り1区で4位という結果になりました。
体が軽過ぎて前半フワフワしていて地に足が付く感覚になったのは5キロ過ぎからでした(笑)
力を出し切れたので楽しかったです。
この頃は32'04でも4位に入れました。
サカモトが駅伝の閉会式で脚を攣ってたのも懐かしい思い出。
・茨城県での陸上
どうしてそうなったかまでは覚えていませんが、県大会などで競技場周りをグルッと1周すると他校での友達が沢山いる状態に。
東洋大牛久や水海道一、鹿島学園、佐和、多賀など陸上を通して友達が増えました。
今でも連絡を取る人もいます。
同じ部活の1人からは「自分の高校より他校の方が友達多いんじゃない?」と言われて納得しそうなくらいでしたね(笑)
そういえば持丸とかとくむね、鎌倉は元気かな?と思い出しました。
競技だけで振り返ると高校生の現役期間は短くてあっという間に感じます。
さて、高校生活についても触れてみましょう。
・高校生活
高校生活は部活中心で寝なかった授業は無かったくらいでしょう。
気づいたらコックリコックリガクッと。
レースの翌日に体育があって自由に種目選択の時、体育館の2階で体がキツすぎたので寝てた事もあったくらいです。
周りからも先生達からも「よく寝る」と印象づいていました。
陸上を生活の中心にしていたからなのか学校行事はもう少しハメを外しても良かったんじゃないかな?と思い返します。
遊び方が分からなくなるくらいでしたから(笑)
高3の夏に野球部が甲子園に出場し応援に行ったりもしましたね。
受験生は?と思われてしまうくらい10月31日まで部活を続けてました。
とは言え、夏からはポイント練習だけ参加しそれ以外は1人でjogしていました。
5月の県大会、7月の県選手権と学年別大会と段階を踏みつつ勉強へのスイッチも入れていきました。
しかし、ここでも大きな壁に当たります。
「英語」です。
模試ではここだけの話、全く読めず理解できずで20〜30%しか取れていませんでした。
定期テストは何とかなっていましたが模試になると国語の古文漢文と英語はズタボロでした…
古文と漢文は実践練習不足、英語は基礎からボロボロで夏から本格的に勉強しても追いつけないくらいでした。
何より、教科書の長文をSVとか細かくやって読解してもテストの問題を解く方法に繋がる感覚が無かったです。
学校の授業って模試の問題を解くのには向いているのか、今でも疑問です。
高校の勉強というのは範囲も深さも段違いで中学校程甘くはありませんでした。
陸上中心の生活をしていた為、準備不足で自業自得と痛感しました。
この頃の私は、頑固でここ!と決めたらそこしか頭になく視野の狭い人間でした。
さらに、箱根駅伝の出てる大学にも行きたいし体育の教員免許も気になっていたので陸上の事しか見えていなかったのです。
そのまま模試の点数も上がらず大学入試を迎えます。準備不足なのに上の大学しか受験しなかったせいで全部落ちます。
次回は1年間の浪人生活に突入です。
足止めというよりは助走の1年にしようと心がけていました。
自分の中でその1年間ののおかげで考え方も含めて成長できました。
匠
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