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乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。1日目『ぐるぐるカーテン』

_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし

本題の伏線になる時とならない時がある雑談

▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報

▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察

▼おわりに
総括とキメ台詞


▼今日のこばなし

「たけしの挑戦状ビヨンド」

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本来ならば今日、舞台『たけしの挑戦状 ビヨンド』を観に行くはずだった。
しかし、新型コロナウィルスの影響で舞台は中止となってしまった。

率直に言って、だいぶショックである。
生まれてはじめての、自分でチケットを取って観に行こうとした舞台だったのだ。

こればっかりはしょうがない。誰も悪くない。それでもやはり悔しい。
しかし、いつまでも沈んでいるわけに行かない。

今できることを考えた結果、西野亮廣エンタメ研究所への入会を思いついた。  ⇦To Be Continued

明日(4月19日)21:00頃から、You Tubeにてスピンオフ企画が生配信されるので、みんなで見よう!


▼『ぐるぐるカーテン』の基本データ

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▼収録 / 発売日
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1stシングル『ぐるぐるカーテン』全てのタイプ / 2012年2月22日

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▼作詞 / 作曲 / 編曲
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秋元康 / 黒須克彦 / 湯浅篤

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▼歌唱メンバー
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生田絵梨花、生駒里奈、市來玲奈、井上小百合、川村真洋、齋藤飛鳥、斉藤優里、桜井玲香、白石麻衣、高山一実、中田花奈 、西野七瀬、能條愛未、橋本奈々未、星野みなみ、松村沙友理

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▼センター
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生駒里奈

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▼MV(ミュージックビデオ)
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監督:繰上和美


▼『ぐるぐるカーテン』を語る

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・2つのポイント

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『ぐるぐるカーテン』は、教室のカーテンにくるまって男子禁制のガールズトークに花を咲かす女の子たちを歌った曲である。

まず有権者に訴えたいのは、乃木坂46の記念すべきデビューシングルがこの『ぐるぐるカーテン』だということ。
欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』のセンセーショナルさに比べれば、『ぐるぐるカーテン』には少し地味な印象を受けるかもしれない。

しかし、この曲には乃木坂46(あるいは秋元康)の歌詞世界を語る上で避けては通れないポイントが2つも含まれている。

そのポイントとは、端的に言うとこうだ。

・アナロジー表現
・複数の主観

順に説明しよう。


・アナロジー表現

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Cメロの歌詞を見ていただきたい。

開いた窓
吹き込んだ風が
胸の奥のカーテン
恋の妄想膨らませてる

-出典:『ぐるぐるカーテン』/作詞:秋元 康 作曲:黒須 克彦

 これだけだと意味が分かりづらいので、少し言葉を補うとこんな感じだろう。 

開いた窓から吹き込んだ風カーテンを膨らませるように、私は恋の妄想を膨らませている。

「風が吹き込んだカーテンが教室の方にふわ~と膨らんでくる」という事象に、「胸の中で恋の妄想を膨らませる」女の子の心情を重ねているのである。


筆者が敬愛する前田裕二氏は自身の著書『メモの魔力』で、秋元康について以下のように述べている。

アナロジーとは、一見無関係なものの間に何らかの共通点を見つけて、結びつける思考法です。身近で具体的な事例の特徴を探して、抽象化して、それをまた別の具体に当てはめるわけです。【中略】秋元さんは異常なまでの繊細さで、あらゆる事象にまるで「抽象化の便箋」を貼り付けるように、日々このアナロジーのための種集め作業を行っているのだと思います。

-出典:前田裕二『メモの魔力 The Magic of Memos』(幻冬舎、2018年)

 「カーテン」と「恋の妄想」の「外から入ってくるもの(風/会話)によって膨らむ」という共通点を軸に構成されたこの曲は、アナロジー表現の好例である。

アナロジー表現の最も優れている点は、一定のクオリティの作品を量産できる点である。まして秋元康ともなれば、この世のほぼ全ての事象を歌詞に落とし込めるのではないかとさえ思う。

「天才は多作である」とはよく言ったものだ。


・複数の主観

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『ぐるぐるカーテン』は一番と二番のそれぞれサビ前にワンフレーズのコーラスが入る。
一番のBメロからコーラスまでの歌詞を見てみよう。

「あのね」
「私ね」
ぴったり体寄せ
ひとつになったら
何だってわかり合える
(彼女と私)

-出典:『ぐるぐるカーテン』/作詞:秋元 康 作曲:黒須 克彦

一番のコーラス(彼女と私)が、それぞれカーテンの中の「話し相手の女の子」と「私」を示していることは想像に難くない。
簡単に図解するとこうなる。

ぐるぐるカーテン図解3

では二番はどうなっているのか。

「平気」
「大丈夫」
心に近づいて
涙を拭ったり
抱きしめて
聞いてあげる
(誰かと誰か)

-出典:『ぐるぐるカーテン』/作詞:秋元 康 作曲:黒須 克彦

(誰かと誰か)が示す人物は、(彼女と私)と同じく「話し相手の女の子」と「私」だろう。
しかし、(誰かと誰か)というのは第三者の目線での(彼女と私)の表現である。
図解するとこのようになる。

ぐるぐるカーテン図解4

つまり同じ曲の中に「私」とは別の、「第三者」の主観が紛れ込んでいるのである。
そしてこの「第三者」の正体は、二番のサビで明らかになる。

カーテンの中
太陽と
彼女と私
ぐるぐる巻かれた
プライバシー
内緒話するの
きっと
男の子たち
さりげなく
耳をそばだてて
どきどきしながら
聞いてるでしょう
ガールズトーク

-出典:『ぐるぐるカーテン』/作詞:秋元 康 作曲:黒須 克彦

どうやら「第三者」はガールズトークを盗み聞きしようと耳をそばだてている男子のようだ。

しかしながら「第三者」が誰かわかったところで、根本的な疑問すなわち
なぜ「私」主観で統一された歌詞の中に突然「第三者」主観が出てくるのか
という疑問は解決されない。

この疑問について三日三晩悩みに悩んだ筆者は、ある突拍子もない結論に至った。

『ぐるぐるカーテン』の歌詞は全て、男子の妄想である。

「女の子同士だとどんな会話するんだろ?」
「恋バナしてんのかな?」
「カーテンの外の男子のことも多少は意識してるのかな?」
といった具合の男子の妄想によって形成された理想郷。それこそが『ぐるぐるカーテン』なのである。
図解するとこのようになる。

ぐるぐるカーテン図解5

うわ、男子ってキモい。と思うかもしれない。

しかし、我々はこの男子を知っている!いや!この情報収集と妄想の営みを知っている!

カーテンの中の女子=アイドル
カーテンの外の男子=ファン

にそれぞれ置き換えて考えてほしい。

ファンは、メディアでの公開情報を逐一チェックし、(カーテン越しには見通せない)アイドルのプライベートでパーソナルな部分に関しては手持ちの情報を基に考察(妄想)する。
そして事実と想像が混在したこれらの資料を編纂して、そのアイドルを解釈していく。 
この営みの繰り返しがアイドルという文化ではないだろうか。

つまり『ぐるぐるカーテン』は、清純な少女たちが教室でたわむれているというオブラートに包まれたアイドル文化の歌なのである。

もちろんこれはあくまで筆者の解釈であって正解ではない。
しかしながら、一曲の中に複数の主観が混ざることの最大の魅力は、このように考察の余地が生まれることである。


▼おわりに

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「アナロジー表現」と「複数の主観」は、乃木坂46の楽曲の中に本当によく登場する。
そして、まだうまく説明できないが秋元康の歌詞が文学的・哲学的と評される所以はこの2つにあるように思われる。

ぜひ、自分は教室の男子だと思って『ぐるぐるカーテン』を聴いてみてほしい。

では、また明日。 stay tuned!

 


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