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台所実験家 岡本多樹 の自己紹介
こんにちは台所実験家サッキィこと岡本多樹(おかもとさわき)です。
いただきます!ラボという屋号で食研究・食育活動をしています。
~私が目指すもの~
幸せな食卓を世界中に広げること
それを実現するために、台所実験室、食の体験活動、伝統食教室、食の裏側発信を通して食の見える化をし、食の楽しさ、食のチカラを伝え、日本の食文化を引き継ぎ伝える活動をしています。
~活動の背景~
栄養士になろうと思ったきっかけ
最初に栄養学に興味を持ったのは中学校のころでした。
ダイエットにハマり、食品成分表を読みあさり、食べるもののエネルギーを丸暗記しました。結果的には摂食障害になってしまい入院までしました。
入院した病棟が内科の糖尿病治療を受けるおばちゃん達と一緒だったことで、糖尿病の食事療法を間近で見る経験ができ「食べる」という行為が病気に直結していることを痛感します。
自分のことで入院したにも関わらず、両親(糖尿境界型)のために糖尿病予防のノートをまとめてプレゼントしました。
栄養士になる前に目指した道
高校を卒業するときに選んだ進路は栄養士養成校ではなく理学部化学科でした。当時は化学が好きで将来は研究職に就きたいと考えていました。
しかし、現実は厳しく挫折を経験します。想像以上に大学の勉強が難しくて4年生の時に大学院への進学を諦め、自分がやりたいことって何だろう?と考えたときに「食」の道を選び栄養士養成校に進学しました。
結果的に最初に目指した化学の道は諦めましたが、大学でまなんだ化学の知識によって「台所実験家」のベースを作ることができたので無駄ではなかったと思います。
栄養士としてのキャリア
学生時代にスポーツ栄養に興味を持ち他校の勉強会に参加して学ぶ機会がありました。そこでのご縁があり、最初に就職したのは企業の新規事業部でのインターネットを用いたスポーツ選手への栄養相談事業の開発業務でした。就職してから数年の間に特定保健指導制度ができて事業もそちらにシフトしたため、最初の特定保健指導事業の立ち上げに携わることができました。
海外へ
企業での開発業務がひと段落着いた頃、かねてからの憧れであった海外へ語学留学する夢をかなえるべく、退職しカナダへと渡航します。
海外の食文化を満喫する一方で、自分の「自国文化についての無知さ」を思い知らされます。このころから日本の食文化を守り伝えたいという意識が強くなっていきました。
海外生活は思いのほか楽しく、その後オーストラリアでもう一年過ごしました。
帰国後のキャリア
帰国後は前職のご縁で大学で遺伝子解析の仕事をしていました。こんなところで大学の学位が役に立つとは思ってもみませんでした。
その後やはり自分は栄養士の仕事がしたいと思い、給食管理業務に転職し大量調理の現場を経験しました。
その後結婚を機に退職し3人の男子を授かります。その間、食品会社の開発業務の仕事に就きました。そこで加工食品の開発に用いられる様々な食品添加物にふれたり、開発した商品の食品表示を制作する過程で、加工食品の裏側を目の当たりにします。これがきっかけで「食の裏側を伝える」ことをしたいと思うようになりました。
いただきます!ラボの立ち上げ
結婚し出産する前は栄養士として働きながらスキルアップしていきたいと思っていましたが、子どもが産まれると、自分の興味は大きく育児にシフトしていきました。育児を楽しみながら食のキャリアも積んでいきたいと考えたときに、自分の子どもたちも一緒に活動するスタイルにたどり着き「いただきます!ラボ」を立ち上げました。
味噌づくりや台所実験室など、子どもたちが小さいころからたくさん食にふれて育って欲しいと願い活動しています。
わたしの想い
食は人を幸せにしてくれるチカラを持っています。反対に不幸になる要素も持ち合わせています。生きるも死ぬも、上げるも下げるも食べものの影響は大きいです。
私の使命はそんな食べ物のもつチカラを伝え、ひとりひとりが幸せな食卓をもてるよう(生きるチカラがもてるよう)にお手伝いすることです。
食のチカラでたくさんの人に幸せがおとずれますように・・・。