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12年間、楽しませてもらいました!

はじめまして、頂開催地の吉田町役場の辻です。
地元の役場の職員として頂と関わってきた12年間の思い出などを話させてもらいます。

小野さんはじめ頂に関わるみなさま、お疲れ様です。

2010年、小野さんや藤本さんたちから、「吉田公園で頂を開催したい。」と話があった時のことを今でもはっきりと覚えています。
「ホテルの改修工事に伴い日本平の代替地を探している中で、吉田公園の広大な芝生広場とキャンプインが可能な環境を頂の適地と考えている。」と熱く話してくれて、「あ、吉田公園はそんな活用ができるのか!」とこれまでの吉田公園のイメージが覆され、同時に見慣れた吉田公園の景色がどんな風に変わるんだろう?と密かに期待で胸が膨らんでいました。
小野さんたちの「吉田公園で頂を」という思いに対して、町として最大限協力することとなり、そこから12年間、頂に関わらせてもらうことになりました。

吉田公園での初めての頂は2011年6月、吉田公園の当時の川崎理事長らも頂の開催を快く受け入れていただき、「最高のシチュエーション」が吉田公園に創り出されました。

吉田公園で初開催となった頂2011

「ここは本当に吉田公園なの!」開放的な芝生広場がこれまで見たことがない頂仕様に生まれ変わった姿を初めて目にした時の驚きと感動はたぶんこれから先も忘れることはありません。

そこから、頂は吉田公園で回を重ねていくこととなりますが、2回目の開催からは大規模イベント補助金「吉田カムカム補助金」により町が協賛することとなり、様々な面で開催に向けて関わらせてもらうこととなりました。
毎年、頂の開催が近づくと、頂スタッフから様々な依頼や相談事が飛び込んできます。
その内容は、普段の町の仕事では経験できないようなもので常に新鮮さを感じながら対応していたことを思い出します。会場設営現場から電話が掛かってきて、すぐに対応を求められるものも多く楽しく仕事をさせてもらいました。

例えば、「渋さ知らずのステージで使う「龍」を作りたいからどこか借りられる施設はないか?」と相談があり急遽体育館を半ば強引に抑えたり、スタッフ用駐車場の確保のため国交省と交渉をしたり、会場設営が行われる1週間の短い間にこのような相談が来ることが多く、行政の仕事では経験できないスピード感で対応させてもらいました。


渋さ知らズオーケストラのライブで客席上を舞う龍 @頂2014

この時期は毎年、「今年はどんな依頼が来るんだろう?」と、どっぷりと頂に浸かっているいる自分がいました。
「頂のために」と思い、頼まれたことはなるべく実現でいるように動いてきましたが、ある年、「キャンドルステージの池の前にある桜の木を切ることができるか?」という相談があり、恐る恐る吉田公園に話を持ち掛けた時には、さすがに怒られましたがこれも良い思い出です。

頂が吉田町でこれだけ長く開催できたのは、スタッフのみなさんによる地域への丁寧な配慮があったおかげだと思っています。
交通渋滞や騒音などは、大きなイベントには付き物ですが、これらにより迷惑を掛ける可能性のある地域に対して、毎回説明に行ってくれていて、吉田公園の周辺に暮らす人達とも信頼関係が築けていたのではないかと思います。

Final設営中に駆けつけてくれた吉田町長

また、吉田公園の川崎理事長や小松理事長とも、時には意見がぶつかることもありましたが、お互いに「頂を良くしたい。」という思いで対話を重ねながら頂が発展していったと思います。
頂は吉田公園に新しい可能性を示してくれました。

藤本さんや岳さん、清水さん、その他にも多くの情熱あふれるスタッフにより支えれらて頂は成長していったと思います。

今年で終わってしまい、大きな喪失感がありますが、これまで頂に関わってきたスタッフのみなさんがまた新たな場で大活躍することを祈っています。

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