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「頂」と私の16年

 全てがパーフェクトだった「頂 −ITADAKI− THE FINAL」から早くも3カ月。  
 私事だが、この原稿を依頼された直後に人事異動があり、社内のポジションが少し変わった。仕事を引き継いだり、新しい部署にアジャストしようとあがいたりしているうちに時間が過ぎてしまった。

 私が中途採用で静岡新聞社に入社したのは2008年11月。だから「頂」の第1回は見ていない。だが、以後の13回は何らかの形で現地に足を運ぶことができた。その大半は「取材」という名の「お仕事モード」。記事検索したら、記事を各部署に異動した2010年以後、「頂−ITADAKI−」に関しては37本の記事を書いている。

 ずっと、取材者にあるまじき「応援」態勢だった。2008年に静岡市に移住する前は、毎年フジロックに参戦していたから、引っ越し直後にこのフェスを知って、驚いたし、誇りにも思った。
 開催日は毎回 取材パスをぶら下げてうろうろしていたけれど、チケットは別に買って、常に観客目線で参加していた。ビールもたくさん飲んだ。
 このフェスが永遠に続くことを願ったが、叶わなかった。やっぱり「さよならだけが人生だ」なのだ。

 振り返ってみると、静岡新聞社の社員としての16年間は、「頂−ITADAKI−」とともに歩んでいたような気がする。中途採用で入った会社だが、16年間でポジションも変わった。でも「頂−ITADAKI−」は、常に最高で1度も裏切られなかった。

 ここで、2009年以降の「頂−ITADAKI−」の名場面を、自分の状況に重ねてみたいと思う。長年の「頂−ITADAKI−」ファンは、このフェスを多かれ少なかれ自分史の一部にしているだろう。私もそんな一人だ。

2009年

 2009年。入社後約半年で、当時は取材部門ではないところにいた。初参加の「頂」。日本平ホテルの芝生広場の緑が美しかった。「LITTLE TEMPO 頂 SPECIAL SESSION」に、奄美の至宝・朝崎郁恵さんが三線を手に加わっていて驚愕した。

2010年

 2010年。この年の春に文化生活部に異動した。「頂」について初めての取材は「日本最大ティピィ制作」だった。記事検索してみたら「日本平音楽祭」と表記している。本当は「日本平大音楽祭」なのに。いまさらですがごめんなさい。ROVOや羊毛とおはなが素晴らしかった。PJさんがカレーの店を出していたが、「ご飯がなくなった」と長く開店休業状態だったこともなぜか印象に残る。

2011年

 2011年。東日本大震災直後、吉田公園で初開催。文化生活部の大規模連載「しずおか音楽の現場」で取り上げるため、小野晃義プロデューサーに初インタビュー。最初はかなり警戒されたように思う。こちらの熱意を真剣に伝えて取材に応じてもらった。打てば響く人だ、とはっきり分かった。この年からキャンプインで参加。GOMAさんのキャンドルタイムがハイライトだった。演奏直前のティピィ倒壊も、今となっては一つの演出のように感じる。

2012年

 2012年。文化生活部で「頂」担当の地位を固める。2日開催の1日目に「開幕した」とニュース原稿を出すのだが、この年は「土岐麻子、ナボワ、パパ・ユージら多彩な音楽性の13組が登場し、会場を盛り上げた」と書いている。人選が独特だが、PAPA U-Geeさんの偉大さをはっきり認識していたことが分かる。

2013年

 2013年。紙面ではこの年から「頂−ITADAKI−」というアルファベットを交えた表記にしている。事前連載でエミ・マイヤーさん、ドノヴァン・フランケンレイターさんに話を聞けて満足。当日はザ・ブルーハーブの魂を揺さぶる演奏に、号泣した。「冥王星よ、聞いているか」のフレーズ、「頂」では初出か。

2014年

 2014年。文化生活部にブログ導入。「頂」の会場の様子も、本社と連携して1日ごとにお伝えした。開催当日朝まで雨が降っていたが、開場時間になったらピタッとやみ「ワンダー」を感じた。1日目の「鎮座DOPENESS & DOPING BAND / 田我流 / Gravityfree」の途中で耳の聞こえが悪くなったが、そのままキャンプを続けた。フェス終了の翌日に耳鼻科に行ったら「突発性難聴」と診断が下った。人生を大きく変える出来事だった。もちろんアーティストには何の罪もない。

2015年

 2015年。この年の3月に文化生活部から沼津市の東部総局に異動。副部長に昇任した。出演アーティストを伝える「頂2015 ライムスター初出演−6月6、7日 吉田公園 開催決定」が「頂」関連の最後の仕事だった。開催当日は、自分の仕事を引き継いだ文化生活部員が楽しそうにしているのが、妙にうらやましかった。日曜日は沼津でデスク担当だったため、初日だけの参加。「OGRE YOU ASSHOLE」のギタリスト馬渕啓さんの髪の毛が、海風にたなびいている場面が思い浮かぶ。

2016年

 2016年。当日券完売。2014年あたりから、めちゃくちゃお客さんが増えている。この年から、ITADAKIクルーの藤本裕介くんの依頼でオフィシャルブログのアーティスト紹介を書くようになった。相変わらず沼津で仕事をしていて、「頂」に仕事として関われないことをさびしく感じていたので、喜んで引き受けた。「るつみ・めづしは」名義でShing02 with Live Band、cero、くるり、GOMA & The Jungle Rhythm Section、ハンバートハンバート、PAPA U-Gee、Gotchを担当。一つのフェスで、アジカンとソロの二つの顔を演じた後藤正文さん(島田市出身)に感動。

2017年

 2017年。相変わらず沼津常駐。この年も、オフィシャルサイトの出演アーティスト紹介を書かせてもらう。肩書は「頂LOVER /静岡新聞社・静岡放送 東部総局 編集部記者」に変わっていた。担当はザ・ブルーハーブ、ロバート・グラスパー、Predawn。6月第1週は、2日間休みをもらって吉田公園へ。「頂2014」で存在を知ったPredawnが2日目の朝イチに登場した。キャロル・キングのような含みのある豊かな歌声に心底感動。

2018年

 2018年。この年も沼津在勤。仕事の都合で初日だけを見た。クリス・デイブさんの阿修羅のごときドラムさばき、ステージからまっすぐに届くUAさんの力強い歌声が印象深い。翌日朝の仕事があったので、お酒を一切飲まず、その日のうちに車で帰宅した。たぶん、これまでで一番関わりの薄い「頂」だった。

 2019年。春、静岡市の本社ニュースセンターに異動。取材部門ではないので「頂」には完全にお客さんとして参加。オフィシャルサイトのアーティスト紹介はGOMAさんとオリジナル・ラブ。書き上げてしばらくしたら、小野プロデューサーから「高木正勝さんもぜひ書いてよ」とオーダー。快諾。この年は2日間のほとんどのアクトを見たように思う。ブラフマンでものすごいモッシュが起こっていて、「頂でこういう風景を見るのは久しぶりだな」と感じた。TOSHI-LOW さんは、2011年のOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDのステージで個人的には「つまらない」と感じる悪態をついていたが、2019年のステージはとんでもない風格を漂わせていて、僭越ながら「立派になったなあ」と胸が詰まった。

 2020年。3月、文化生活部長を拝命。いよいよ「頂」にがっつり関われるぞ、と意気込むも新型コロナ禍。開催中止の顛末を何度か小野プロデューサーに電話取材。話を聞くこちらもつらかった。クラウドファンティングの告知を新聞に掲載したら、「紙面を私物化するんじゃない」とある先輩記者から批判。本県の価値を高めてきた野外フェスティバルじゃないか。何を言っているんだこの人は。意に介さず。個人的にも寄進。

 2021年。2年続けて「頂」中止。

2022年

 2022年。雌伏の2年を経て3年ぶり開催の「頂」の価値を県民に再確認してもらいたくて、「フェスを支える 3年ぶり『頂』」という連載を企画。部員と手分けしてカメラマンの白鳥喬士さん、アクティオの石田明彦さん、新屋食堂アヤナイの内田智久さんと久美子さん、キャンドルステージ制作の伊藤正裕さんにインタビュー。皆さんの「頂」愛に触れて、わが意を得たりとの思いだった。帰ってきた「頂」。海からの風と芝生の香り。Home comingsの精緻なハーモニーを聴いていたら涙が出てきた。

 2023年。この年は「音楽に包まれて 頂−ITADAKI−名場面」という企画を掲載。「頂」の全ステージに上がった経験がある中納良恵さん、子どもたちのステージプロジェクトを実現させたKeycoさん、交通事故後の再出発のステージが「頂」だったGOMAさんにインタビュー。フェスそのものは土日の開催を前にした木曜日、台風接近を考慮して開催中止の決定。だが、土曜夜になって「渋さ知らズオーケストラ」が、現地で無料ライブを実施するという情報が入った。これが、人生の中で五指に入るぐらい凄まじい演奏だった。感動を6月10日付の1面コラム「大自在」につづった。「2時間超の演奏は、身震いするほどすさまじかった。管楽器9人、打楽器5人を含む楽団がとんでもない熱量で音を出していた。告知が前夜だったというのに500人以上が集まった。感謝と熱狂と。音楽の一体感を久しぶりに味わった」

 2024年。年明け早々に「今年で最後になる」と聞かされた。「嗚呼、なぜ!?」。万感込めて「頂」の歴史をたどる連載「最後の頂 ローカルフェスの軌跡」を書いた。全3回を一人で。これは誰にも譲れない。最後の「頂」をどう記録しようかと考えた末、「全アクトのリポート」をしようと決断した。2日間、メモを取りまくった。あらゆる知識、経験、頂の思い出を詰め込んで、主要3ステージの20アクトのリポートを「静岡新聞DIGITAL」に寄稿した。フィッシュマンズの「ロング・シーズン」1曲のみのステージ、有終の美を飾った渋さ知らズオーケストラに涙が止まらなかった。

 大げさな言い方をすれば、恐らく自分の人生の一番いい時期を彩ってくれたのが「頂」だったんだと思う。「オレ、静岡に住んでいるんだよ」と都内の友達に言うときに、その誇らしさの何割かは確かに「頂」が担っていた。
 ありがとう「頂」。静岡が少しでもいいところになるように、自分もこれからもっともっと力出します。その勇気をいただきました。ありがとう「頂」。

静岡新聞社 編集局 論説委員
橋爪充

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