クリームソーダ【第一話】
「さむいっ」
冷たい空気が鼻の奥をツンと刺激した。
いつもより1時間遅く始まる日曜日、お気に入りのピンクのカーデガンを羽織り外へ出る。
秋から冬に季節が移り、空気さえ冷たい香りに変わり街全体も冬支度がはじまった。日差しが当ってキラキラとひかるアスファルトが「行ってらっしゃい」と声をかけてくれているようで、冬の朝は特に好きだ。
土曜日のざわつきが残った商店街。
町にクリスマスの飾り付けをする職員を横目に、いつもの喫茶店へ。
木製のすこし重たいドアを開ける。
来店を知らせるため、ドアの内側に佇む鐘がガロンっと低い音で唸った。
カウンター6席とテーブル席3席の店内。ガラスのテーブルに深い緑いろのベロアのソファー、べっこう飴みたいな光を放った照明がテーブル1つ1つを照らしている、いわば純喫茶。
とは言っても夕方にはお酒が飲め、ご近所さんの集いの場となっている。今でいうところのレトロ喫茶だ。
自宅のアパートから歩いて5分、日曜日の朝はここと決めている。
平日の疲れを昼まで寝ては消化していた日曜日。
どうにか抜け出したかった。
「明日は、また日曜か」
持ち帰った仕事を片付けながら、時計見た。
音のしない無機質なデジタル時計は、22:15を表示していた。
「土曜の22時に家でひとり仕事。このままじゃ明日はまたいつもの日曜だ、もういやだ。」
なんとなく焦る気持ちとお財布を握りしめアパートを飛び出した。駅に向かういつもの道とは逆へ目的もなく歩き出す。
パッチパチと音を立てながら心細く点滅するいくつかの街灯とすれ違い、真っ暗な住宅街を抜けると、小さな赤提灯をぶら下げた商店街が目の前に広がった。ジブリの世界でも迷い込んだ気分で、少し足取りが軽くなる。
看板の文字が消えかかったスナックからはカラオケの声と手拍子の音が響きわたり、土曜日が終わってしまうのを惜しむように商店街を歩く人と、これから始まる夜に浮き足立つ人で賑わっていた。
「私の暮らす裏側はこんな世界になっていたんだ」
商店街はシャッターのおりているお店も多い。昼間のはどんな景色なのか?
明日もう一度来てみようと引き返そうとした時、
"食パンに日替わりスープ付きモーニング"
暗闇に浮かぶ手書きの文字に目に止まった。”お休みは気分”と付け加えられた看板に懐かしさを感じ、さっそく私は次の日の朝、中の見えない喫茶店の前に立っていた。
ドアノブを握ったまま緊張したこぶしを少しだけ緩め、覗くようにドアを開ける。木製のドアを開けた店内は、スープの香ばしい香りがいっぱいに広がっていて私の口の中がジュワッと一瞬で満たされたのを今でも覚えてる。
初めて来たあの日のスープはオニオンスープだった。
あれから1年、今では私の居場所。
「えいじさん、おはよう。今日はチャウダー?」
「今日子ちゃん、おはよう。正解」
いつもの席へ座る。
湯気が立ったソイラテと食パンに日替わりスープ。
いつも通りのあさごはん。
大きめにカットされたジャガイモと人参、時々スープの中でツヤっと光るとろけた玉ねぎと、ごろっとした贅沢なあさりの入ったクラムチャウダーを啜りながら、持ってきた単行本をペラペラとめくる。
「おかあさん」
子どもの声が店内にひびく。
アイスクリームが今にも落ちそうなクリームソーダに、とけては動き回るバターとメイプルシロップでつやつやのホットケーキ。冷え込んだ朝にちょうど良さそうな甘ったるい朝ごはんを頬張る子どもが、斜め向かいの席に座っていた。
「おかあさん」
私のキライなひびき。
幼い頃、目の前から消えた「その呼び名」は今でも私を孤独にさせた。
親子の姿から目をそらし本に視線を戻す。
開いたページと視線の間を親子の残像がちらつき物語へ集中できない。
親子にもう一度目を向ける。
子供の笑顔が不意に胸の裏側を熱くさせ、自分の顔が歪んでいくのがわかった。
そんな風に笑わないでよ…
思わず自分の醜い感情があばれ身体の中を埋め尽くす。
あの子には罪はない、ただ私の知らない世界を生きているんだ。古い傷に触れられた気がしてむなしくなった。
わかってる。
母と叶えられなかった過去にひたり幸せから目を背けているのは、いつも私。
「幸せになれないのは母のせいだ」と現実の行き場のない無力感を母に擦り付けて生きてきた。
また、何かを失うのも傷つくもの怖いから。幸せをかみしめたら失う日が来ることを誰よりも知っている。
幼き頃、居なくなった日は鮮明なのに思い出の中の母の顔はいつだってぼやけて。
カタッ。
顔を上げると、えいじさんがクリームソーダを置いて立っていた。
冬でもクリームソーダ目当てで訪れる人がいるらしい、えいじさん自慢のクリームソーダだ。炭酸強めのメロンソーダと氷に触れた側面がシャリシャリと甘いシャーベットになったアイスクリームのコラボは確かに癖になる、私も大好きなえいじさんのメニューのひとつ。
「今日子ちゃんも、どうぞ。食べたそうな顔して一生分のため息ついてたよ」
「ありがとう」
「たまには思い出に浸る時間も悪くないね。泣きたい時はね、胃ぶくろを満たしてあげるのが1番、ごゆっくり」
一緒に食べたかったな、クリームソーダ。
もういない母に、今なら素直になれそうな気がする。
2021.12.23 kuma
【いつものところで】第二話はこちら