カカオフィズ【第二話】
このまま1人になれる気がしなかった。
いつもの帰り道は、初めて見るかのように空気だけはすんでいる。春の生ぬるさとまだ少し顔に当たる風の冷たさが残る季節。
ここヘ越してきて1年。
公園にふと目が留まる。
ぼんやりと街灯に照らされた鎖がキラキラと光るブランコと、滑り台。
毎日の通勤の往復では気づかなかった景色に、吸い込まれるように中に入る。真っ暗で何も見えない時間に潜り込みたかった。
ブランコに揺られ今日までのことを思い出す。
「いつから僕らは、向き合うことを後回しに過ごしてきたのだろう?」
振動で揺れる隣のブランコから温度を感じ、目頭が熱くなる。
「あっけないな」
パチンッと空気が触れる音が聞こえてきそうな静寂の中、ふと我に返る。すっかり人通りは無くなって、深いの夜空にぼんやりと佇む公園の丸い時計が1日の終わりを告げようとしていた。
マンションに向かうはずの足踏みは気がつくと、いつもの喫茶店の前まで来ていた。
カランッ
「いらっしゃい」
「こんばんは」迷わずカウンターへ座る。
「えいじさん、今日プロポーズしてきたんです」
「そう」
「はい」
「何にする?お酒でいい?」
「大学から6年でした。いつまでも変わらないでいてくれた彼女に甘えてしまって」
「うん」
「大切にされている事に慣れすぎて、彼女の気持ちが大きすぎて逃げてばっかりだったんです。それでも手を離したら後悔する気がして、安心させてあげたかったんです。いや僕が安心したかったのかもしれません」
「うん」
「僕が思っている以上に彼女に寂しい思いをさせてたのかと思うと」
「プロポーズで気持ちは伝わったんじゃない?」
「お互いに向き合うことに怠けすぎたって言われちゃいました」
「まだ、君のことが大好きなんだね」
「どうして結婚しようと思ったの?結婚したら、このすれ違いを解決できる?って、迷わず言った彼女の言葉に答えられなくて、彼女が欲しかったはずの言葉が僕は見つけられなかったんです」
氷を削る音が店内に響く。ようやく僕は”ここ”に1人だと気がついた。
ぼくは本当に1人になったのだ。
「説明できるものでもないのかもしれないよ。すれ違うほど、お互い思いすぎて来た2人が初めて本当の気持ちに向き合う時間になったんじゃない?」
「すれ違うほど、思う?分かってあげられてるとか、分かってくれるはずなんて。僕はいてくれることに当たり前になっていたんです。すれ違っていることすら僕は気づいていなかった。ずっとひとりぼっちにさせてしまって」
「はい、どうぞ。カカオフィズ、カクテルにはね言葉がついてるの。これは、恋する痛み。急いで忘れなくていい、今はちゃんと自分の気持ちに向き合うといいよ。それに、結婚が全てじゃないと僕は思ってる、一緒にいる形はそれほど重要じゃないし、終わりが始まりになることもある」
堪えていたものが溢れ出していた。
カカオとレモンがほろ苦く僕の視界を濁らせる。
僕は大切な人を失った。
「いつでも声かけて」と、えいじさんはコーヒーを飲みながら隣に座ってくれていた。
お店を出ると少し明るくなっていて、もう春がそこまで来ていることに気づく。
ついこの間までは霜が降り、朝焼けでキラキラと光るアスファルトは油性絵の具で塗りつぶしたようにマットな質感を演出し、道路脇のヒビの入った地面からは「まだ寝ていたかった」と言わんばかりに雑草の小さな芽が覗き始めている。
何も変わらない気もするし、何かがガラリと変わる気もする。
いつもの景色に新しい二人の時間を作りたい。
まだ、間に合うだろうか?
22.3.3 いたちょこ
【連載】"いつものところで" 第一話はこちら。
"いつものところで" 第三話はこちら
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