覚悟したニコラシカ【第四話】
「えみちゃん、いつものところで会いたい」
「了解、すぐ行くね」
「どうした?何かあった?」
「終わらせて来たの」
「終わらせてきた? 何を? ネクタイの上司? そもそも始まってたの? 」
「そうそう、ネクタイの上司。始まってないけど終わらせたの。上司の出向が決まって」
「出向? 会えなくなるの?」
「そう、会えなくなる。会わなくなればいつもの失恋のみたいに思い出になっていくだろうって思ったんだけどね。
上司の記憶に私を刻みたくなったんだよ。欲が出たの」
「欲? 何してきたの?既婚者だったよね?」
「そう。ただ、好きだったって伝えてきたの。振られに行ったってとこかな」
「告白?振られたの?」
「ありがとう、って」
「それで終わらせてきたってこと?」
「もう会うことなくなるし、このままじゃなんか悔しくなっちゃって爪痕残したくなって」
「あぁ、わかる気がする、その感じ。せめて相手の思い出の中に居座りたい願望ね」
「そお、私の願望。思い出くらい特別な存在になりたかったんだよ」
ー3年前ー
憧れのレストランへ入社した。ドラマでも何度も目にした15階建てビルの屋上、全面ガラス張り。
事務職からの中途採用だ。初めての接客業は想像をこえ楽しさと自分の無力感を思い知らされた。
1日を振り返る余裕もないほど目まぐるしい毎日。充実感を噛み締めつつも、すこし疲労感を覚えたころだった。
仕事を終え、ビル1階にあるコンビニで缶ビールを買い、職場の目の前に広がる公園でへたりこんでいた私に
「お疲れさま、となり…いい?」と声をかけてきたのがレストランの支配人、わたしの上司だった。
芝生に寝転がっていた私を覗き込む上司の手にも、缶ビールが握られていた。
一面が芝生の大きな公園は中心部に向け小山になっていて、入り口を塞ぐほどある円形の噴水はライトアップされ、
ほんのりと公園一面が見渡せる。あちこちで大学生が、"夜よ明けないでくれ"と言わんばかりに同じ時間を過ごし、いつ来ても賑やかな公園だった。
こんな広い公園で、よく見つけてくれたものだと感心した。
「ここ、よく来るの?」
「あ、はい、今日3回目です」
「仕事慣れた?大変なことない? 毎日立ちっぱなしだし料理も毎日変わるし。よく頑張ってるって、みんな言ってた」
「あ、」
「ここいいよね、実はぼくのお気に入り。この辺はあまり高いビルがないでしょ?」
「はい」
「だからね、空が広く見える。都内でも星が降ってきそうな唯一の公園なんじゃないかって思ってるんだ。
仕事帰りに見つけた時、感動したよ。それからは常連。誰かに自慢したいけど誰にも知られたくない場所。夜空を独り占めできる感じがいいよね」
「はぁ」
上司は、よく話すひとだった。元々話す人なのか?私の緊張をほぐしてくれているのか?
とにかく本当によく話すひとだった。
その日から公園ビールが定期的に開催された、たった2人で。
レストランが満席で目まぐるしい日も、料理を間違えて料理長にガツンと怒られた日も、何もかもが上手くいってほっと胸を撫で下ろした日も。
空気すら凍って寒さでビールが進まない夜も。
変わらず公園でビールを呑んだ。
ある時、大きな結婚披露パーティーの仕事を終え職場のみんなで食事に行こうと盛り上がった。
1件だけと参加して、そっと抜け出した私は1人公園に向かった。
おひとり様2件目を開催し大きく広がった夜空を見上げながら、少しの期待が私の中にあることに気づく。
上司にも抜け出して来てほしいと願っていた。
ダメだ、会いたい。
目を瞑って、目頭が熱くなる衝動を堪えた。寝転がった芝生の湿度が少しづつ身体の熱を解いてくれる。
熱よ覚めろと呪文をかけ目頭から溢れ出た感情をおちつかせた。
「となり…いい?」
瞼の上に広がった水溜りを急いで拭き取り顔を上げると、上司がニコニコしながら立っていた。
「ここじゃないかと思ったよ、早々に抜け出して。今みんな解散したところ。
初めての大きなパーティーだったから疲れたよね。ビール飲み直す?1本買ってこようか?」
「お酒はもう大丈夫です。それよりひとつお願いがあります」
「うん、どうしたの?」
「今日つけてるネクタイください」
「ネクタイ?」
職場で支給された制服のネクタイしか持っていないし、紳士売り場に買いに行く勇気がないと口実をつけて、ネクタイをねだった。
「これでいいなら」と、その場で魔法のように解かれたネクタイを受け取り感情が見つからないように、ありがとうの中に好きが混ざらないように感謝だけを伝えた。
あれから、近づきすぎることも離れることもなく過ごした3年。
公園以外で会うこともなく変わらず仕事帰りに缶ビールを飲み、私は時々ネクタイをねだった。
上司からもらったネクタイは6本、1週間、毎日変えられるとはしゃいでいた先日、上司の出向が決まった。
この時間がずっと続くと思っていた。
どうにもならなくていい、この時間がずっと続いて欲しかった。
公園で聞いた出向の話し。
「本社勤務!? おめでとうございます、お祝いの乾杯」なんて安っぽい嘘で、なんでもないフリをするのが精一杯だった。
缶ビールを飲み終えて、また明日と手を振って私たちは別れた。
帰る振りをして1人公園に戻って泣いた。
びっくりするくらい。
こんなに好きだったのだと自分の気持ちに涙が止まらなかった。
これから失う時間が、もっと早くに出会っていたら違ったのかと?空想だけが頭を過ぎる。
遅すぎた出会いを悔やんだ。
腫れ上がった瞼と共に出勤した次の日、職場で会う上司はいつも通りだった。
いつも通りの上司に私を刻みこみたい衝動に駆られる。
思い出の中に私を残して欲しい。
時々でも思い出して欲しい。
私のどこにも届かられなかった感情を、一緒に抱えて欲しくなった。
そして今日、私は公園で粉々になった。
粉々のまま1人で家に帰れず、えみちゃんを“いつものところ"へ呼び出したのだ。
「どうにかなっていてもおかしくなかっただろうに、いい男好きになったね」
「こんなことなら、どうにかなっても良かったよ」
「泉ちゃん、、もっと泣くことになってたよ。良かったんだよ、これで」
「わかってる」
「きっと、相手も泉ちゃんのこと好きだったんだよ」
「えみちゃんは都合よく考えすぎだよ」
「都合よく考えないでどうするの? 相手の本心はもう聞けないんだよ」
「そうか、もう聞けないのか。...しんどいな」
「相手もさ、泉ちゃんが大切で一緒にいる時間も大切だったから、境界線を守り続けてくれたんだと思うよ」
「あぁぁ、ひとりで公園行けるかなぁ。職場の目の前に淡い切ない思い出を転がせてしまった」
「今日みたいに私を呼び出せばいいよ、どこの公園にでも駆けつける。私が泉ちゃんをひとりにしないから」
「えみちゃん」
「私もいますよ、いつもここにいます」
「えいじさんまで」
「相手の思い出に刻み込みたいって泉さんの気持ち、大切に出来てよかった」
「えいじさん」
「好きになってはいけない人っていないと思うから」
「そうそう、よし泉ちゃん呑みなおそっ」
「ありがと..」
「はい、泉さんにはニコラシカ。ニコラシカのカクテル言葉はね、覚悟を決めて。
今日、覚悟をぶつけてきた泉さんに、がんばりましたね」
「ニコラシカ、、本当に覚悟の塊みたいなカクテル。えいじさん、ありがとう。明日の出勤きまづいなぁ、、出向まで、あと1週間、覚悟の1週間になりそう」
「泉ちゃん、相手の前でいっぱい笑っておいで。涙は私の前で流せばいいから」
「えみちゃん、」
「えみさんは、サイドカーを」
「サイドカー、どんな意味ですか?」
「いつも2人で、なんですよ」
「いつも2人で、いい言葉。えいじさん、ありがとう」
「えみちゃんも、えいじさんもありがとう」
クローゼットの中で綺麗に並んだネクタイは、好きを隠そうと覚悟した3年前の私と、
粉々になる覚悟をした今日の私と、いつか思い出になるのかな。
それまでは、このままで。
22.3. 23 いたちょこ
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