初恋とコスモポリタンと。【第七話】
「きれいだったなぁ」
「うん、綺麗だったね」
「えみちゃんも、綺麗だよ」
「ありがとう」
「うん、今日は呑も、朝までつきあうから」
「うん、」
「えいじさん、こんばんは」
「いらっしゃい。あら、二人揃っておめかししてる」
「同級生の結婚式だったの。強いお酒ちょーだい」
「私も同じものを」
「かしこまりました」
2ヶ月前。
金曜日。
仕事帰り、最寄り駅の改札を抜けいつものスーパーマーケットに入り、溜まったドラマを眺めるための缶ビールと、割引のついたお惣菜を少し買い込んだ。
指に食い込むビニール袋を抱え、1週間、職場まで歩きクタクタになった脚に寄りかかりながら自宅まで緩やかな坂道を歩く。
庭が綺麗に手入れをされた家が立ち並ぶ、静かな住宅街。
リビングからは優しい暖色の灯と笑い声が漏れ、駐車場には小さな自転車が乗り捨てられている。どの家からも「私たちは幸せに暮らしてます、ご心配なく」と言われているような感覚に、毎日のことながら少し背筋が伸びるのだ。
坂道を登り切ると緑色のフェンスに囲まれたアパートが顔をのぞかせる。
先週、水色のペンキで塗り替えられたばかりのトタンの波に、月明かりがキラキラと反射し、新しい壁色に少し照れているようにも見えた。
私のお城。
8戸入った木造2階建て、ベランダはなく窓越しに柵がついている小さなアパート。最新の設備が整っているわけではないけれど、坂道を登った景色は街が一望でき、住宅街の静けさも割と気に入って大学時代から住み続けている。
202号室。
開けるとギィーと音を鳴らす真っ赤な集合ポストから郵便物を取り出し、階段を登りながらチラシの中に漏れた封筒に目が止まる。
身体中の血液が封筒に集中し、青ざめていくのがわかる。
なんとなく検討がついた差出人を恐る恐る確認する。予想は確信に変わり足に鉛がついたようにおもくなった。
招待状。
「結婚するんだ、、、」
部屋でひとり、中身の分かっている封筒を開ける勇気が出なかった。帰る場所を失った足をひきづるように階段を引き返し、招待状をポストに戻す。
ビニール袋から缶ビールを1本取り出し、歩いてきた坂道を降る。コツコツと頼りないヒールの足音が虚しく響く中、いつの間にか小さな公園の前に立っていた。
チカチカと手招きする電灯に誘われるまま中に入り、すべり台の階段へなだれ混んだ。
少しぬるくなった2本目の缶ビールを開けると、気の抜けた音とともに泡が一気に溢れ出した。
「けっこん」
ここ最近、社会人になってから少し疎遠になっていた2人のことが記憶の中に打ち寄せる。
高校3年生、私は親友と同じ人を好きになった。まっすぐな彼女の気持ちを聞いて自分の気持ちを言い出せずなかったことにした。
彼は1年からずっと一緒。クラスも帰り道も。いつもの帰り道「これからの僕たちのこと」と不意に言った彼の言葉を私を遮ってしまった。期待と親友の存在の間に私は彼との未来を諦めたのだ。
高校を卒業と同時に2人が付き合い始めたことを聞いた。親友の猛アタック。これで良かったんだと言い聞かせながらも付かず離れずの距離を保ち、なんとなく彼から卒業できず過ごして来てしまっていた。
それでも私自身、そんな関係になってもいいかと思う男性がいたこともあった。「ただ、そうならなくてもいいか」とやんわりとした自分の気持ちに後押しされ、深い関係になる人はいなかった。そんなことを繰り返し、今日まで一度も、誰とも恋に落ちることなく過ごしてきた。
どこかで彼との未来を期待していたのかもしれない。
そんな甘ったれの私をよそに、2人が結婚する。
すっぽりとあの高校3年の夏に私だけ取り残されたような、失恋にも似たそれは、予想以上の喪失感となって私に覆い被さった。
出口のない真っ白な教室に引き戻され、どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまったのだ。
向き合わなかった後悔は、こんなにも後を引くんだな。
卒業しなきゃ。
気がつくと持っていた缶ビールを飲み干していた。
招待状が届いたあの日から、2ヶ月。
どんなふうに過ごしてきたのかあまり記憶がないまま、私は今日、2人の結婚式へ行ってきた。
高3の夏から卒業するために。
「えみちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。りえちゃん、居てくれてありがとう。今日行って良かったよ、私ずっと前に進めなかったかもしれないから。思い出すことがなかったのは、忘れてなかったからかもしれない。ようやく、卒業できそう」
「うん」
「あの日のまま時間だけが止まって、忙しさに自分の気持ちも気づかないふりしてたかな」
「うん」
「お待たせしました」
「わぁぁ、綺麗なカクテル」
「コスモポリタン。まさしく華麗って意味を持つんだよ」
「華麗」
「そう、華麗。卒業って新しい始まりだったりするからね。今、未来を見てるえみちゃんも、りえちゃんも綺麗だよ」
「えいじさん、ありがとう」
朝まで飲み明かした帰り道。
携帯電話の中にあった彼の名前を消した。
「6年か、長い初恋だな」
今はまだ、2人の幸せを心から祝えない。
それでいいんだ。
祝える日が来るとも思えないけど、本当に思いださなくなる日がきっとくるから。
R 22.10.3 いたちょこ
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