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人工意識について①-意識とは何か

 現在、人工知能(AI)の研究開発が凄まじい勢いで進んでいます。
 2016年3月には、Google系列の DeepMindが開発したAIのAlphaGoが韓国人トップ囲碁棋士のイ・セドル氏に勝利しました。将棋の世界でも、2017年4月にPonanzaというAIが佐藤天彦名人に勝利しています。
 また、人間が書いた文章と区別がつかないような完成度の高い文章を書くAI(GPT-3)も登場しています。

 それでは、私たちがSF映画やアニメでよく目にする、意識を持つAIやロボットはもうすぐ誕生するのでしょうか。
 確かに意識の仕組みを脳神経科学的に解明するための研究は進んでいますが、残念ながら、今までのところAIに人間のような意識を持たせる具体的な方法は見つかっていません。
 そこで、今回は、人工意識に関する研究が現在どこまで進んでいるのかについて、解説していきたいと思います。

AlphaGo vs イ・セドル棋士

1.意識とは何か

 日常的に「意識」という言葉は様々な意味で使われていますが、学術的には、意識(Consciousness)というのは、医学的な意味での「覚醒(起きている状態にあること)」又は、自分の今ある状態や周囲の状況などを認識できている状態のことを指すというのが一般的です。

(1)デカルトの実体二元論

 意識は、昔から哲学の認識論や存在論の中心的なテーマとなっていましたが、意識が科学的研究の対象となったのは近年になってからのことです。

 17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という言葉で有名です。
 これは、「世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない。」という意味で、「意識の内部」と「外部の実在」を分けて考えるという考え方のもとになったと言われています。
 デカルトは、こうした考えのもとで、この世界には、空間的広がりを持つ思考できない実体=「物質」と空間的広がりを持たない思考できる実体=「心」という2つの実体があり、これらが互いに独立して存在しているという実体二元論(物心二元論)を提唱しました。また、人の本質は意識の主体である心にあると主張しました。

ルネ・デカルト

 デカルトのこうした思想は、科学的に扱うことが難しい心の問題を科学の対象から切り離して考えるという考え方を可能にし、この考え方が近代合理主義や近代科学の発展に寄与することになりました。
 例えば、医学の分野でも、身体を精神と切り離して物質と考える機械論的な見方をすることで、従来の宗教的、呪術的な治療から離れ、外科手術や化学合成した医薬品などを使った近代医療へと目覚ましい発展を遂げることができました。

 心と身体を分けて考えるというデカルトの思想に基づけば、意識や心は物理的な脳の働きとは独立して存在すると考えることができます。
 しかし、自然科学が発展するにつれて、「この世界で起きている現象はすべて物理学で説明できるはずだ。」という考え方が自然科学者の間で広く受け入れられるようになると、デカルト的な実体二元論は批判されるようになりました。
 特に、デカルトは、「脳内の松果体において、物質と精神が相互作用する」と説明しており、この相互作用が物理的に説明できないことが大きな問題点として指摘されました。

(2)実体二元論への批判

 1949年、イギリスの哲学者ギルバート・ライルは、著作”The Concept of Mind”の中で、脳とは別に実体としての精神が存在するというデカルト的な実体二元論を「機械の中の幽霊(Ghost in the machine)」と呼んで批判し、傾向性や能力の集合である「心」を「体」という実体と同じカテゴリーで論じたことによる誤りであると主張しました。
 なお、士郎正宗による漫画「攻殻機動隊」の英語タイトル”GHOST IN THE SHELL”は、この”Ghost in the machine”に由来すると言われています。

 アメリカの哲学者ダニエル・デネットは、1992年の著作”Consciousness Explained”の中で、「因果的閉鎖性を破るような心身の相互作用があるとすれば、エネルギー保存則を破ることになる。だから、非物質的な精神が物理的なものに影響を及ぼすという考えは、物理学の法則と矛盾し、誤りである。」と説明し、「脳内で物質と精神が相互作用する」というデカルトの主張を批判しました。

 デネットはまた、「人間の脳の中に意識の主体である小人(ホムンクルス)がいると仮定すると、その小人は人間の経験した感覚を劇場で映画でも見るように鑑賞していることになり、それでは、小人の脳の中にまた別の小人がいるという同一の説明が無限に続く「無限後退」が起きてしまう。」と主張して、デカルト的実体二元論に基づく伝統的な意識のモデル「デカルトの劇場」を否定しました。

デカルトの劇場のイメージ

 デカルトの実体二元論の主張は、神経科学や医学の観点からも批判を受けています。
 デカルトは、実体二元論の主張において、人間の持つ思考、判断や言語理解などの高度な精神機能は、物理的な脳ではなく、非物理的な精神が担っていると考えていました。
 しかし、近代医学の発展によって、神経科学の研究や医療の現場で様々な臨床例が集まってくると、脳の一部の障害が人間の精神機能の一部だけを選択的に失わせている症例が多数見つかりました。

 例えば、脳のウェルニッケ野と呼ばれる領域が損傷すると、耳は聞こえ、言葉を話すこともできるのに、人の話を理解することができなくなるというウェルニッケ失語症が引き起こされます。
 また、海馬を中心とする側頭葉内側部が損傷すると、古い言葉は覚えているのに、新しいことを覚える能力が失われるという前向性健忘症が引き起こされることが分かりました。
 こうした発見により、思考、判断や言語理解といった高度な精神機能が非物理的な精神のみによって働いているという考えは、疑問を持たれるようになってきました。

(3)二元論及び心身問題についての考察

 物質的な存在である脳と精神的な存在である心がどのような関係にあるのかについては、脳をコンピュータのハードウェア心をコンピュータの上で働くプログラムと考えると、理解しやすいかもしれません。
 コンピュータを物理的に分解したり、電気の流れを外から観察したりしても、どのようなプログラムが動いているのかを知ることはできませんが、ハードウェア上にプログラムは存在し、プログラムはハードウェアをコントロールしています。
 ただし、脳の場合は、プログラムをデータとして記憶装置に格納するノイマン型のコンピュータとは仕組みが異なるため、脳から直接プログラムを取り出すことは難しそうです。

 非ノイマン型の量子コンピュータの場合、プログラムはアルゴリズムの働きを示す計画書のようなものであり、量子コンピュータの中にデータとして存在する訳ではありません。
 脳のプログラムも量子コンピュータの場合と同じように、脳の中にデータとしては存在せず、脳をコントロールするアルゴリズムの働きを示す概念としてのみ存在しているのかもしれません。
 また、脳のプログラムは、ノイマン式コンピュータのようにリストの上から順番に計算処理していくような形になっておらず、分散並列型の仕組みとなっている点にも注意する必要があります。

 心の働きが科学的・物理的に説明できる現象だとすると、一定の刺激に対する反応は最初から決まっており、自由意思の介在する余地が無くなるのではないかという疑問が生じます。
 しかし、万人が同じ条件で同じ反応をするのではなく、それぞれの生まれ持った資質及び後天的に獲得した経験や知識によって異なる反応があり、総体的に見れば、個人が特有の意思決定システムを使って判断したと見なすことができるのではないでしょうか。
 そう考えると、心の働きはミクロ的には科学的・物理的に説明できる機械的な現象ですが、マクロ的には自由意思に基づく主体的な思考が存在するという見方もできるかもしれません。


【全体構成】

  1. 意識とは何か

  2. 意識研究へのアプローチ

  3. 意識の発生に関する理論

  4. 人工意識の開発に向けた取組

  5. ELSI(倫理的、法的、社会的課題)と人工知能の人権

  6. まとめ


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