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連作SES営業短編 第十七話 退職代行

会社の代表電話には毎日様々な営業電話が掛かってくる。
「SESで協業しませんか」
「人材紹介させて下さい」
「管理ツール使いませんか」
「M&Aの話なんですが」
アポインターは外注に出されていて、自分が売りたい物も満足に説明出来ない。

この国では様々な領域で上下の分断が起きていて、上層の仕事は上層の人間が行う。
人材不足ってのはこいつらの事だ。
一方で下層の仕事にしかありつけないその他大勢もいる。
下層の人間が這い上がるのは困難。経験を積もうにも端から挑戦権を持っていないからだ。
俺と同じ様に。

死ぬ程迷惑な営業電話の乱れ打ちにいらいらして、俺は喫煙所に立った。
席に戻るとまるでタイミングを計ったように電話が鳴る。
「退職代行の者ですが」
流行りのそれが遂にうちにも来た。
それは下層の人間を下層に縛り付けるシステムの一つだ。

退職代行を使う奴を馬鹿だとは思う。
退職の自由は労働者にあるし、手続きだって大したことはない。
面倒臭いってだけで依頼しようとしてるのなら金の無駄。
そして退職代行には利用者には隠された、けれどちょっと考えればわかる利益構造がある。

もしあんたの会社が今時珍しい超絶ブラックで、その程度の事も考えられない位に追い込まれているとして。
それでもあんたには魔法の言葉がある。
悪い奴ほどその言葉を恐れていて、あんたの退職は簡単に保証されるだろう。
決まり文句はこうだ。
「ごちゃごちゃ言うようなら労基に駆け込む」

退職代行の電話は総務に取り次いだ。担当現場の営業にも告げてやる。
うちの離職率は高い。退職手続きには慣れている。現場の調整だってすぐに着く。
別に恫喝なんかしない。必要もない。対応は粛々と行われた。
使った奴のスキルシートは覚えがあるが、顔は浮かばなかった。

その年の春は早かった。寒の戻りも少なく穏やかな陽気が続く。
通勤途中のソメイヨシノは蕾を膨らませていた。
自席に着く前に喫煙所に寄り、始業の時間を迎えると同時に電話は鳴った。
煙草を吸うと電話が来る。この春の俺のジンクスだ。

そいつは外注のアポインターではなかった。
自社の人材紹介の仕組みも理解していたし、料金体系もしっかり頭に入っている。
奴は言う。
「即日就業可能な人材だけを紹介する事が出来ます」
集客方法は誤魔化されたがつまりこうだ。
こいつらは退職代行利用者のリストを使っている。

退職代行を使う様なカモ共と退職代行を使われる程度の会社群の名簿。
欲しがる奴らはいくらでもいるだろう。たった今、電話を掛けてきている人材紹介会社のコア営業みたいに。
ある種の退職代行業者は本質的に名簿屋だ。
カモ共は下層で食い物にされ続けるだろう。
それは俺に関係ない事だ。

帰宅して風呂から上がる。
テレビでは早期離職する若者、みたいな特集が組まれていて駄洒落で付けられた社名の退職代行業者が紹介されていた。
俺は電源を切って冷蔵庫からビールを抜く。
下らない情報は入れたくなかった。
ベランダからは満開に咲く桜が見えるし、春の風が吹いている。


おまけの用語解説
退職代行:
辞めた方が良い会社なんて世間にはいくらでもある。
そういう会社に引っ掛かったんなら当然逃げるべきだ。
で。
あんたは既に一度引っ掛かってる訳だけど、繰り返さないって確証はあるか?
搦め捕られないって自信は?

大丈夫だって言うようならあんた相当やばいぜ?

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