ただいまとおじゃまします。
私はいつまでこの家に来る時「ただいま」というのだろうか。
そんなことを考えながら、今日私は実家の扉を開けた。
一人暮らしをしている家と実家との距離は在来線で2時間半(door to doorで3時間)
だから私はきっと大学の周りの人よりも高頻度で実家に帰っている。
あれほどに逃げ出したかった実家。
気を遣わなきゃ行けなくて怖くて自室に閉じこもってた時期もあった。それでも足音に怯えたりしてた。
大学生になったら家を出たいと最初に思ったのはいつだったか。
それなのに、私はまたこの場所に来てしまう。
家を出たからこそ生まれた適度な距離感。
毎日いると息が詰まってしまうこの家だけれど、たまにいるにはちょうどいい。
今住んでいる部屋の何倍もある家。
吹き抜けだから圧迫感が少ない。
オレンジ色のライトが暖かく感じる。
でも、この家はどこかただの建物っぽさを感じさせる。
私がいるからなのか分からないが、母親を除いて誰もリビングに留まることはなく自室に籠っている。
静かに部屋に響く時計の針の音。
私がいた時もこんなんだったよな、と思うからきっとこれが日常なんだろう。
私は人といる時に静かにするのが苦手だからかなおさらに少し息が詰まる。
でも、もしかしたら、家族ってこういうものなのかもしれない、とも思う。
家族や家庭って他の家での事情を完全に知ることはできない。だから、当たり前が何かわからなくなる。
話が逸れてしまった。
そう私はいつまでこの家にただいまと言うのかって話だ。
分かっていたはずなのにこの家は部屋を作るよりも吹き抜けを作ることが優先されたために、部屋の数が足りず元私の部屋は弟に占領されている。
今は定期的に帰ってくるこの家にいつか足を運ばなくなる日が来るだろう。きっと適度な距離感があるからこそ保たれているこの気持ちの余裕が無くなってしまったら。もし、誰かと住むことになったら。
いつまでも私の家であることには変わりは無いのだろうが、いつか、「おじゃまします」と言ってしまう気がする。
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