株式会社アカツキ(BUY王)物語④
2019年…
査定に戻って以降
ただただ査定をするだけの日々。
正直、何の変化も無い。
だが、珍しく話せる人が2人できた。
長髪でメガネの子と韓国人。
しいて挙げるのなら、彼らと話すのは
楽しい時間だったかもしれませんね。
その反面、別れもあった。
バイトの女性で1番仲が良かった子が辞めた。
めちゃくちゃショックだった。
最後特に会話を交わす事のない別れで、LINE交換すれば良かったなって後悔してる。住まいは変わってなければ地域だけ知っているのでワンチャン会ったりしないかなとか思ってたけど人生そう上手くいかない。
そんなこんなで自分より古い人や自分の同期が徐々に辞めていくような流れが進んでいた。
まあ、この会社に居心地も待遇の良さも感じる人いなかっただろうし仕方ないのだろう。こんなブラック企業なかなかありませんからね笑
韓国人の彼も帰国が迫り秋に退職。
最後に2人でインド料理屋に行ったのが懐かしい。
その店はもう無くなっていたのだけども。
インド料理屋って何故、こんなに入れ替わりが激しいのか?
そして、長髪の子はその後解雇。
まあ、彼の場合勝手に帰ったのだから仕事放棄って事で仕方ないですね。
こんな感じで退社、入社の繰り返しがまず安定してないって事なので仕事を覚えて戦力になるって流れすら作る事ができない組織図。
だったら、雇わなきゃ良いのに。
既存の人の質を上げたら全然回るだろうに。
結局、楽して甘い蜜を吸いながらダラダラと仕事をしたかったんでしょうね。要するに能力が一切ない人間ばかりが大半を占め、たいして仕事進んでいないのに出るお金だけいっぱいってね。
あっ、忘れていたが
川口にも拠点ができたり、別途最寄りにCSの事務所ができたり4拠点になっていた。金の無駄遣い。やばくないですか?この事務所無駄遣い。
川口もCSの事務所も
私は社員ながらどんな場所かすらも知らないんですけどね笑
先に1つ意見を言わせてもらうのなら
私は椎名町の事務所はヤフオクやメルカリの在庫置き場、作業スペース兼…リサイクルショップって感じが正解だったんじゃないのかな。
社員になった当時の事業計画に店舗化ってあったから、練習にはちょうど良いでしょう。
これでジモティーも活用したら、さらに効果的だっただろう。
少なくとも手をつけようとすらしなかった在庫に手を出す事がこれならできたでしょうからね。
送料って概念無くなるんですから、オークションの奴らがいう優先順位が低いだの安価だからって理由は当てはまらなくなりますから。
それプラス、査定と一般商材…CSなどが一緒の拠点が1つあればベストだったんじゃないかな。
少人数って概念すらなかったから、絶対に無理な話なんですが人件費かかってるからってクビにする人を出す反面、何故また採用したがるのやら?
結局はこの人件費問題は最後までのしかかる事だったんだろうが、緊急買取22時みたいに少人数で潰さないような会社作りをできなかったのは敗因の1つ。まあ、そんな考えが皆無な社長だったから仕方がない。
この年の12月が私の再びターニングポイントとなってしまった。
1日に離婚する事になった。
理由は会社の給料遅延が1番の問題。
転職して欲しがってましたからね。
だが、私は人がとにかく苦手な故
面接とかはじめての環境が大嫌いでもう給料安くて良いから環境変わらない事が理想だったから辞めなかっただけの話。仕事は大嫌いでしたけど、仕事と思わないように考えていたから流し作業って考えを切り替えて仕事してきた。
そんなこんなで精神的に死んでいた中
今年いっぱいで辞めて、どこかでアルバイトして細々と生きたいなと思うようになった。
その後、すぐに係長が会社への不満を理由に辞めた。
飲み会の席で他の社員と揉めたのが原因みたいだ。
私はこの精神状態だから、もちろん参加してないし、こういう会が大嫌いだから参加する気がそもそもない。
彼の事は尊敬していたのでいつか再会したいし、むしろ一緒に働きたい。
そして、追い討ちをかけるかのように
係長の退社に納得いかなかった別の社員が31日に辞めた。正確には31日出勤後、1月2日から退社。
辞めるつもりでいた私より先になんと
同じ部署の社員がいなくなったのだ。
もう驚くという感情より
さすが株式会社アカツキ、よっブラックって思った。
残された私は
完全に辞めるタイミングを逃した人になってしまったのだ。そりゃないわお二人さん。
辞めるんなら3人一緒の日に辞めたかったわ。
これで私が辞めたら、係長ともう1人が辞めたのが霞む気がして私が1番インパクトに残るみたいな状態が嫌で嫌々ながらも翌年も働く事になるのだが。
2人とも倒産を知った瞬間に
ざまーみろってガッツポーズした事であろう。
と、言うのも
係長が提案した査定法があったのだが
上が何かと理由つけて現状維持になった。
これ、のちに伏線になるので
また次回以降に書きます。
2019年はとにかく別れが多すぎる1年だった。