裁量労働制は最良なのか?

(国会で、裁量労働制の議論が盛り上がったころにこの記事を書いてみました。)

国会で裁量労働制が議論になっています。僕自身は裁量労働制と通常の両方の職場の経験があります。その経験も含めて、この機会にこの制度の是非について考えてみたいと思います。

ただ、最初にお断りしておきたいのは、僕は今の国会の論議には、へきえきとしています。本来議論すべきでない論点を先にあげておくことにします。

安倍と野党のどちらを支持するか否か。
裁量労働制と時給制のどちらが優れた制度であるか。
裁量労働制にすると労働時間が増えるか減るか。

そんなことを論点にするから、一般有権者はあきれてしまいます。

芸能人が時給制で働くのは意味がないし、トラック運転手を裁量性にするのもばかげています。職種毎に適した制度があるのはあたりまえで、今回の改正案が、より適切な制度を選択可能とするために改良になっているのか、そうでないのか、これを問題とすべきでしょう。

僕自身の裁量制、時給制の経験

まず、僕自身の裁量労働制の経験を紹介してみたいと思います。職種が違うと比較になりませんが、僕の場合はわりと仕事内容も会社の仕組みも近かったからです。

A社は20万人規模の大手企業の情報部門でここには3年ほど在籍しました。B社は300人~1000人のITベンチャーで、ここでも開発エンジニアとして17年ほど在籍しました。A社が通常の勤怠管理で、B社が裁量労働制でした。

B社が快適なので17年もいたわけですが、これは人による。一般的にはA社の方が有利でしょう。A社で管理職になれば確実に僕より生涯賃金は上です。では裁量労働制であったかどうかは、どの程度仕事する意識に影響したか?

意外と思われるかもしれませんが、「仕事に対する意識の差」はそんなになかったように思います。

よく時給制では「残業代稼ぎ」、裁量制では「給料どろぼう」が弊害になると主張する人がいますが、それは同意できません。なぜかというとどちらの制度も主な所得の増減は、昇給によるからです。昇給への関心を無視しています。

ABどちらの企業でも、報酬は職務能力で大きく変わります。評価の高い従業員が昇給し、高い所得を得るので、業務全体に対し貢献しようという意識に差は生じません。もしそうした意識が下がったとしたら、それは人事評価制度に問題があります。

一方時給制でも、実際の勤務時間は大して厳しく見られている訳では無い。A社では、会議と称して雑談をしていても居眠りをしていても勤務時間になったし、休日出勤なら誰も見ていないのでサボった所で誰も咎めない。

一方B社でも残業代も出ないがけっこう多くの人が時間外や休みにも会社にいた。自己研鑽や職務能力向上を目指した努力は時給がなくても惜しまないわけです。

それでも「裁量労働制はとっても快適」

それならどっちでも良いかと言うと、それでも裁量労働制は快適です。他に同様な比較をした人が述べていましたが、出勤時間を自分一人の裁量で最適化できる、というところに最大のメリットです。「今朝は熱っぽいな」と思えば休んだり遅く出たりできる。ノリがよければ2日連続で働いてもよい。法的に上司の伺いを立てることなく自分一人でそれを決められるのが利点です。この効果はとても大きくて、やはりざっくり生産性は2~3割上がると思います。企業は利益があがり、僕は少ない時間でより多くの報酬を得られたと思います。

時給制が肌に合わない理由

ではどんな仕事が時給制となっているのでしょう。アルバイトは時給制です。製造業で、工場のラインで時間あたり一定量の作業をこなすような業務は時給制です。

時給制では時間あたり一定以上の成果をあげなければなりません。そこで時給制には、「業務のマニュアル化」「労働品質の監視」がセットになっています。人間を、あたかも電流を流せば一定の回転数で回転するモーターのように働かせる必要があるわけです。そしてそういう労働形態だからこそ、経営者は「たくさん働かせれば利益があがる」ので長時間労働も生まれると思います。

そういう職場が好きな人がいるのは否定しませんが、僕自身はあまり好きではない。

時給制の拡大への恐怖

現代は、おおきくいえば、時給制が拡大する時代だと思います。自営業者が減り、サラリーマンが増えています。農業も、自営から、株式会社化する流れです。すべての作業をマニュアル化し、本人の裁量範囲を最小化することで、事業者の裁量範囲を最大化し、利益のほとんどを事業者=組織に集中するビジネスモデルが拡大しています。AIの進歩によりこの傾向はますます加速する。AIが支配するクラウドすべての人間が繋がったマトリックスの世界を恐れるといったら、やや大げさでしょうか。与党、野党にかかわらず、社会の中に、由らしむべし知らしむべからず、という社会的流れがある。時給制への傾倒にその大きな力を感じます。

「判断したくない」「結果責任をとりたくない」「報酬を保証されたい」これは、人間の自然な心理だが、とても危険だと思います。そうした受動的な人が社会の大半しめたら、どうも社会がおかしくなるような気がする。

と心配する必要は、多分ないと思う

おそらく裁量制をめぐる議論はそう遠くなく裁量制の拡大で終わると思います。有権者の多くは裁量制に好意的だと思うからです。

よく考えてみると、時給制は特殊な雇用形態だと思う、というと意外でしょうか。農業、水産業、林業、商業は多くが自営業だから、裁量労働制です(それ以外どうしようもない)。定期雇用の場合は契約上仕事時間が決まっているから、この議論の対象ではない。今回、議論が紛糾したのはしかたがないが、裁量労働制をあっさりひっこめたのは政権得意の戦略で、裁量労働制の拡大阻止で喜んだのは、

「定年まぎわの大企業の平社員」

だけだった、という演出である可能性は高い。

しかし、このまま裁量労働制が拡大しなくても、あるいは政府の策略で復活しても、僕はあまりうれしくない。残業時間が減ると、ととんちんかんな説明をした政府も、そのデータに問題がある、とピンとのずれた批判をした野党にも幻滅している。

本来の、どういう職種で裁量労働制を「選択可能」とすべきか。また本人や生産性を下げるような使い方をどう避けるか、に議論を集中してほしいと思います。

なお、僕自身はあまり平均的な国民とはいえないかもしれない。他職種や勤務形態の人の感想も聞けたらぜひ知りたい。厚労省の統計より、ずっと重要だし、参考になると思います。

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