一連の自動車事故と加齢性難聴の因果関係の不安
末尾にリンクしたのは、池袋の暴走事故の日経新聞の続報である。この事故をきっかけとして、高齢者による運転で暴走する事故が多いのではないか、という不安が高まっている。
高齢者の事故に関心が高まったことによって、報道が増えるという効果もあり、統計的かたよりの疑似認知の可能性もあるから、実際に何が事故と相関しているかはきちんと検証してから論じた方がよいし、ここでは論じない。しかし、この件について調べるにつれ、「ある不安」が起こってきたので、書いておきたい。
僕自身は日本では自動車の運転をそもそもしないので、特定の事故や車種について。なんら問題を指摘する根拠はないことをまずお断りしておく。以下で述べるのは、加齢性難聴という特性を、設計者が見落としていないかという不安についての説明だ。
ネットで示された一つのシナリオ
この事故に関して一つの興味深いシナリオが、ネットで示された。以下はそれを整理したものだし、ここではそのシナリオの正確さは論点ではないのでリンクは貼らないが、おおむね以下のようなものだ。もちろん、僕は当該車種を運転したことがないし、本当にそういう動作をするかは確認していないし、そこはこのノートの論点ではない。
この車は以下のような動作をするとする。
1 ニュートラルにシフトして、アクセルを踏んでも何もおきない。
2 そしてその状態でドライブにシフトすると、急発進する。
もしそのような動作をすると運転者は以下のように誤認する可能性がある。
1の状態では、自分はブレーキをしっかり踏んでいると誤認する。なぜなら車は停止しているからだ。2の操作をすると、車は全速で加速を始める。
このとき、通常のブレーキの踏み間違いとくらべ、誤認に気づくのが遅れるか全く不可能ではないか、という指摘である。なぜなら、単なる踏み間違いの場合は以下のようになうr。
ブレーキ(と信じているもの)を踏んだ -> 加速する
この場合には、誤認に気がつく可能性がたかい。たとえばマウスを間違えて逆さにもち動かすとカーソルは逆方向に動く。このときに、戻そうとしてさらにマウスを動かす人はいない。「マウスの動作がおかしい」とすぐに認知されるからである。
一方キーボードをなにかの理由で押しているまま、接続して文字が入力されはじめた場合は、キーボードが押されていることに気づくまでに時間がかかる。
上記2の操作で加速した場合には、直前の状態で、「ブレーキを踏んでしっかりと止まっている」という意識があるので、今までブレーキと思っていたものが実はアクセルであった可能性に気づきにくいと考えられる、というのだ。
警報音がこの誤操作のゆいいつの防止手段?
この可能性について論じたところ、別の方から以下の指摘があった。
そのような動作をするが(本当かどうかは僕はしらないが、するとして)、1の時点、つまりニュートラルでアクセルを踏み込んだ時点で「ぴー」という警報音がなるので、その時点で気が付く。だからこの誤操作はおこらない。
このような指摘である。たしかにブレーキだと思ってアクセルを踏んだときに、「ピー」という音がすれば、おかしいと思う。そうすれば、アクセルをはなすから、2の暴走には至らない。なるほど、と思ったが、よく考えるとここには大きな落とし穴が存在する。
ここからが本題である。立派な自動車メーカがそんな見落としをするはずはないと思うが、「この警報音はほぼ聞こえない可能性がある」ということを、よもや見落としてはいないだろうか。これがここで僕が気になった問題点である。
音はクリティカルな事象の警告手段にならない
多分そういうことはないだろうと信じているが、その第一の根拠は、音はクリティカルな事象の警告手段としては不適当だ、ということだ。
そもそも論として、「聴覚は免許の要件ではない」から、こうした警報音はまったく聞こえなくても安全に運転できるよう設計をする必要があることは言うまでもない。音の警報を無視したから、加熱発火した、がけから落ちて転落死した、踏切に進入して列車と衝突した、というような安全設計は許されない。もしそんな設計をしたら、それは安全設計側の問題であるといえる。命にかかわるような警告はすべて耳の聞こえない人にも届くように設計されなければならない。
たとえば、踏切には、信号と警報音の両方があるし、救急車両もサイレンと回転灯を示す。
なのでこれが見落とされた可能性は、あまりないと信じるが、それはさておき、耳が聞こえる利用者でも、こうした警告音が聞こえない、ということも、意外に見落とされがちではないかと危惧するのである。先の反論を説明してくれた人が、まさにその点を見落として「ピーという音が鳴れば気が付くからそれはない」と説明していたからだ。あの音は高齢者には聞こえないのである。
高齢者には「加齢性難聴」という現象がある。これはほぼだれにでもおきるもので、加齢とともに進む。そして当該自動車の「警告音」は多分高齢者には聞こえないものではないかと思われる。この音を、重大な誤操作を防止する手段として使っているとすると(そうではないと思うが)、きわめて危険な状態だと思われる。それを意識していないのだとすると問題だ。
圧電ブザーと加齢性難聴の関係
上記、シフトチェンジなどの誤操作の警告音がどんなものか、ネット上にビデオがあったのでその音から測定してみたところ、2000Hzで発振する圧電ブザーであった。
圧電ブザーは、そこら中で使われている、「ピー」という音がでるあれである。発振周波数は2000Hz~4000Hzであり音量は85dBspl程度である。高齢者でない通常の人であればこれは非常によく聞こえる音である。また価格が安く信頼性も高く、消費電力も小さい。発振機能を内蔵しているので、電圧をかけるだけで確実に音が出るので、その意味ではきわめて信頼性が高い素子であり、これを部品として採用するのは特に問題はない。
しかし加齢性難聴により聞こえにくくなる、という重大な問題は常に意識する必要がある。加齢性難聴は加齢により進み、可聴域は2kHzでは30dB、4kHzで50dB下がる。先の圧電ブザーでいえば、もともと85dBであったものが、55dB~35dBに下がってしまう。
dBという単位になじみがない人にわかりやすく説明するとカラオケボックスの遮音効果がだいたい20dBから40dBである。高齢者が聞く音というのは、同じ圧電ブザーをカラオケボックスの廊下か外に置いた場合だと思えばよい。エンジンをかけていない場合の静寂な環境での自動車の車内の騒音レベルは40dB程度だろうから、これを聞き取るのはかなり困難だということになるだろう。
加齢性難聴で聞こえなくなるので、2000hz以上の周波数はクリティカルな警報としては使ってはいけない。
比較のために救急車両の警報音を示しておこう。救急車の場合960hzと770Hzの交代となっている。この周波数であれば高齢者でも他の周波数にたいする感度の低下はほとんどないから、明瞭に聞き取れる。
不安はできれば解消してほしい
というわけで関係者にお勧めしたいことは2つある。
まず一つ目は、やはり不安だから、上に示したシナリオを検証してほしいということだ。もちろんそういう誤操作はほぼおこらない、ということなのだろうが、そのデータは早く示した方がよい。
まだ想像の上の想像であって、そうしたことがおこるという証拠はまったくない。しかし、すでにそうした可能性に不安を持っている人は多い。
警報音は聞こえない、と考えた方がよいと思うが、その場合に上記のシナリオで誤操作おき、車がフルアクセルで暴走するとすると、仮に今現在までそうした事故がなかったとしても、相当大きな不安である。関係者はそうした誤操作が適切に防止されている、あるいはおきることがないとわかっている、ということを示し、不安をとりのぞく努力をすべきだろう。
加齢性難聴に理解を(特に設計者のみなさん)
2つめは、自動車の設計だけでなく、加齢性難聴と圧電ブザーの問題を記憶しておいてほしいということ。これは圧電ブザーの専門家にとっては、私があらためて注意するまでもなく常識といってよい問題である。技術者が圧電ブザーをこういう目的に使いたい、と相談すれば、たとえば高齢者住宅の警報であれば、「聞こえませんよ」と注意してくれる。しかし圧電ブザーは広く使われているので、高齢者社会にむけて広く共有されるべき知識だと思う。
すでに家電製品の中には、高齢者用としてより低い周波数の音をつかう家電なども開発されている。また災害防止などの研究ではこの点も検討されている。
住みよい高齢化社会をつくりましょう
くりかえすが、このノートは特定の事故の原因を指摘するものではない。なぜかというと、営業妨害とみなされたりしたら怖いから。多分すばらしい車両だし欠陥などあるはずがない、と信じている。しかしもしかすると、圧電ブザーが高齢者には聞こえない、ということがあまり広く知られていないかもしれない、と思うので、それについては広く知っておいてもらうのによい機会だと思って執筆した。
高齢者社会はすでに到来し今後高齢者の比率はますます増える。設計する人は若い人である場合が多いので、若干想像しにくいとは思うが、ぜひ積極的にこうした高齢者と若い人の違いには関心を持ってほしい。高齢者に優しい、というだけでなく、安全性も高まり、これから増大する高齢者という成長市場で競争力を高めるチャンスにもなる。また特に高齢者が働き続ける環境を作れば(まぁいやいやでも長く働かせれば)、けっきょく年金資産もなるべくよい状態で後に残せるというものだ。