「イハナシの魔女」を安心して楽しもうという話【「イハナシの魔女」ダイマ/感想】
本記事前半はネタバレ無しのマーケティングです。とりあえず「イハナシの魔女」を買うか、あるいはこのマーケティングを読んでから買ってください。記事の後半はただの悲鳴になる予定ですので読まずとも結構です。
ネタバレ無しのダイマ(周辺情報のみ)
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「イハナシの魔女」はビジュアルノベルゲームです。Fragaria様によって制作され、2022年の夏に発売されたゲームです。主要キャラクターにはボイスがついたほとんどフルボイスのビジュアルノベルです。途中選択肢が出ますが、そのほとんどは展開に影響を及ぼすことはありません。基本的には10時間と少し、ストーリーをなぞっていく形でそのコンテンツの全てを十全に楽しむことが出来るでしょう。
もっとジャンル的な情報を盛り込んでいくとするならば、このゲームは「超王道のボーイミーツガール」と語るのが正しいでしょう。
舞台は沖縄の離島。そこに身を移すことになった主人公の光(上画像左)とそこで出会ったリルゥ(上画像右)との交流を描いたギャグあり、シリアスあり、涙ありと何もかも全部盛った上で王道をブチ抜くボーイミーツガール的ビジュアルノベルです。
王道をブチ抜くので、一切の心配は必要ありません。クオリティはもちろんのこと、声をあてた声優様方の演技力、BGMの情緒、一枚絵の美しさなどなど、全てが高水準にまとまった総合芸術です。そして、これはボーイミーツガールです。それ以外に形容することを許さないほどに堂々にして王道を貫くボーイミーツガールです。なんの心配もいりません。期待通りに期待以上の面白さを提供してくれることを期待して、安心して楽しめるこの物語を楽しんでいただきたいと思います。
ここまでの短い周辺情報で興味を持たれた方はおそらくボーイミーツガールにただならぬ情念を燃やしている方だと思いますが、そんな方のためにいったんリンクを置いておきましょう。とりあえず買うがよろし。下の方にちらりとのぞくAppendもどうせ本編読んだあとに買ってしまうので纏めて買っておくことを推奨します。ちなみにBOOTHだと設定資料集が付きます。下のリンクはSteamですのでBOOTHで買っても良いかもしれません。私はBOOTHでもう一本買う予定です(一敗)
もう少し、どんな人におすすめ出来るかを詳細にしておきましょう。
雰囲気としての話をするなら、私がこよなく愛するR18ゲーム「抜きゲーみたいな島に住んでる私はどうすりゃいいですか?」シリーズやその次作「ヘンタイ・プリズン」と似たような香りもします。もちろん「イハナシの魔女」は全年齢です。とはいえ私はR18ゲームにそこまで造詣が深くないので、もっと世間の流行に則るなら新海誠監督の「君の名は。」や「天気の子」を、ボーイミーツガールとして大いに楽しめる方なら安心して購入ボタンをクリックしていただいて良いでしょう。
上述の全ての作品はどれも有名な作品ですので、全てを体験している方はそう少なくないと思います。その上で、なんとなくその辺りの雰囲気を思い描き、期待してもらえるとそのハードルを容易に越えてもらえるでしょう。
おまけに念押ししておすすめしておくとすれば、ビジュアルノベルが好きな人です。Steamに数多く並ぶビジュアルノベルの中でもこの作品の良質さは燦然と輝いています。バイナウ。
ネタバレ無しのダイマ(序盤の簡単な説明付き)
「この情報だとまだ買うかどうか悩んじゃうよ~」という軟弱な方のためにもう少し、具体的には舞台をもう少し掘り下げるとしましょう。
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時代は令和。舞台は沖縄県の離島、「渡夜時(とよとき)島」です。島の北部と南部にそれぞれ山があり、その間に島で唯一の集落があります。まわりはもちろん海に囲まれており、沖縄らしい景色の鮮やかさと、離島らしいいかにもな不便さ、排他的雰囲気がわずかに存在しています。
主人公を渡夜時島に運ぶのは、朝夕で合計一往復するだけのフェリーで、島につくなりよそ者を排除しようとする老人に見舞われます。それなりの量を伴う買い出しは、もう少し人気がある隣の「久々(ひさく)島」に出なければなりませんし、それも朝のフェリーで行き、夕方のフェリーで帰ってくる必要があります。渡夜時島には病院がありますが、往診で人がいないこともしばしば。重病なら隣の久々島か那覇の方まで出向かねばなりません。
主人公である「西銘 光(にしめ ひかる)」はここに引っ越し……もとい厄介払いされてやってきます。海外に行くと語る叔母家族とは裏腹、彼だけは祖父が住んでいるというこちらに向かわされます。叔母家族、という文字列である程度の事情を察することが可能ですが、現実はもうちょっと深刻です。
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謎の美少女に連れられて光は祖父の家に赴きますが、なんと祖父は半年前に家を出て行って無人。もちろん家には鍵がかけられています。
排他的な雰囲気を纏う離島で、よそ者の行く当てがないという事実は都会のそれより数段深刻です。排他的、裏を返せば閉鎖的な環境では、噂の類はたちどころに広まってしまうからです。都会では、夜中に誰がどこで歩いていてもさほど気にはならないでしょう。人が多く、誰もが顔見知りではないからです。しかし、ここまで閉鎖的な環境では、よそ者の噂は知れわたり、行く当てもなく放浪していれば排斥されることは想像に難くありません。
おまけに、叔母家族に冷遇されていた光にはお金もありません。金無し宿無しの光は、仕方なく辺りを彷徨い、さとうきび畑にたどり着き──。
そこで出会うのが、リルゥという少女です。
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リルゥの佇まい、風貌は明らかに日本人離れしています。隣の「琉球王国」と書かれたTシャツを着てぬぼーっとした顔をしている人間も大概ですが、リルゥのそれはともすればコスプレと見紛われるほどです。日常生活ではまず用のないマントに、指輪、腕輪、ピアス、ネックレスなどの数々の装飾品。綺麗な青色の髪に、金色の瞳。肌色はいまや日本でも珍しくはありませんが、それらの全てがリルゥの「よそ者」感を際立たせます。というかサトウキビ畑で二人で蛇を炙っている時点でどう見てもよそ者二人です。
補足するまでも無く、リルゥは日本の生まれではありません。常識も価値観も違えば、彼女は当然に警戒心が強く、光に対する態度も必要最低限といった感じです。光の善意も、とりあえずは距離を置いて受け取ろうとしません。猫みたいなもんです。
しかし、他者の所有物でもあるサトウキビ畑の生活が長く続くわけもなく。そうして、祖父の家に不法侵入することを光は決意し──。あとはおわかりですね?これはボーイミーツガールです。あとはたくさん美味い汁を啜ってください。
具体的にどうしてとは言わないけど皆さんあちらのリンクを踏みに行かれますね……
以下はネタバレに遠慮のない悲鳴となります。未プレイの方はここで引き返して10時間ちょっと「イハナシの魔女」を楽しんでからやってきてください。あなたの離島生活が良きものであることを祈っています。
とはいえ、最初から後半終盤のネタバレバーン!と開示してしまっては私が感じた良さを文面で伝えることは難しいでしょう。ゆえに、小出し小出しで進めて行こうと思います。
「イハナシの魔女」は、冒頭でも言った通り、王道のボーイミーツガールです。この点については一切の心配が必要ありません。だから、光とリルゥの二人の関係性が深まっていく様をこれでもかと楽しむことができます。中盤から明らかになっていく渡夜時島の事情も、あくまで光とリルゥの間に必要なものの開示に留まっています。親切設計です。さぁ、ボーイミーツガールに迎えられに行きましょう。
アカリ編以前のネタバレを含むお話
光は、金無し宿無し、加えて職務を遂行する能力が十全というわけではありません。数日前まで都内に住んでいた高校生──あるいは都内に限らずとも、急にサトウキビ畑に放り込まれて収穫の手伝いを行うにはそれなり以上のバイタリティを必要とします。それでも、生きるためにはお金が必要で、お金を得るためには働かねばなりません。工場に拾ってもらってあくせくと働き、とりあえずその日を食いつなぐのが彼の序盤無課金スタイルです。
何を隠すでもなく、彼は普通の青年です。元の家で冷遇されていて、日本の高校生としては厳しい環境に身を置かれてしまったことを除いては、生きるために普通に働き、普通の感性を持っている、どこにでもいるような普通の青年です。
故に、彼は普通に優しく、普通に倫理的で、普通に困っている人や動物を見捨てられません。
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相互扶助の関係を口約束で結んだとはいえ、彼はリルゥを置いて自分だけのうのうと不法侵入した家を使うほどに他者に思いを馳せないこともできません。どうせ不法侵入したなら一人も二人も変わらないのが面白いところですが。
そして、彼は普通に寂しがり屋さんです。冷遇されていたとはいえ帰る家があった以前とは違い、今は頼れる人はおらず、天涯孤独といって相違ない状態です。
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困っている犬を見捨てることも出来ません。孤独な自分と犬を重ねて……という暇すらなく、彼は犬を抱えて病院にダッシュしてしまうくらいには、彼はお人好しです。
この考え方は、光とある程度まで似た環境にいる私達には理解が及びますが、リルゥにとってはそうではありません。
リルゥは日本とは異なる世界から来た魔女です。向こうの世界では、魔女は怖れられる存在でした。彼女の力を怖がって、誰も彼女に近づこうとはしませんでした。力がある彼女には誰も近づかず、彼女以外の力の無い少女は誰かに害されることを避けられませんでした。彼女にとって、他者との関係は利害なしには成立しないものでした。
「高校に行けない」と語る光の口ぶりと、それに対する反応からするに、彼女にとって家族は無償で互いを庇護するものであることは間違いないでしょう。そこに理由はありません。逆に、家族以外との関係はなんらかの利害を以て成立します。家族間の結束が強く、他者は警戒すべき存在。見方によってはひどくシンプルです。治安が良いとは言えない環境だったのだろう、と逆説的に推察できます。
ゆえに、光の環境は彼女にとっては異質です。結束の強いはずの家族に見捨てられ、逆に赤の他人である自分や犬を、自分の損得とは無関係に助けようとしてしまう。彼女は彼女の価値観でしか彼の行いを測れません。光がリルゥを助けるなら、助けることが何か彼の利益につながると考えるのは自然なことです。それはリルゥを奴隷商に売ってしまうだとか、あるいは隙を見て襲うだとか。
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でも、それはリルゥから見た光の思惑で、光にとってはそんな意図はありません。寂しかったからリルゥを家に住まわせてしまった。見捨てられなかったから、全財産をはたいてでも犬を助けてしまった。それはお金や欲望といったところとは少し離れたところにあるものです。光には精々が自己満足で、利益らしい利益はありません。光自身、そんな己のことを分からないとしています。彼は他人に構っている余裕はなく、なんなら犬を助けたことで金銭的に困窮し、リルゥにキッツいお叱りを受ける始末です。
ちなみにですが、私は「イハナシの魔女」の中でも大分このシーンが好きです。序盤の信頼度がゼロから始まるボーイミーツガールでちょっと関係が進むときの会話としてあまりにも旨味に満ち溢れています。ボーイミーツガールの信頼イベは美味しいですからね。
それ以上に、この時点での二人の距離感がとても好きです。互いは互いを信頼も信用もしていません。光は縁側に浅く腰をかけ、リルゥは彼と距離を置いて座っています。特に光には、気遣いからか無意識か目を合わせる気は到底なさそうです。彼ら彼女らは、一人と一人です。成り行きで、見捨てられなくて、相互扶助の関係でただ同じ家にいるだけの関係です。
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それでも、光はリルゥに害することはないのだと。他人に期待できなくても、互いを信用できなくても、一人と一人でも。少なくとも、自分の利益のためにリルゥを傷つけはしないのだと。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~(昇天)
信頼度の上がる音が聞こえてくるようです。というかこの後のパーカーについてのやり取りが信頼度ボイスそのものです。若輩者ながらあちこちの世界で数々の少女達と交流を深めてきた私ですが、やはりこういう初手信頼度ゼロ当たり激つよ少女の信頼度が上がる時の気持ちよさは初手好感度高めの少女とのそれと倍くらいの差があります。苦労するぶん達成感があると言えばいいでしょうか。
光の「ここにいるぞ」発言もなんか無責任なようでめちゃくちゃカッコいいことをさらっと言ってますからねこいつ。こういう所ですよ。一人と一人がちょっとずつ歩み寄って、互いに目を向け始めるここの旨味はやはり何物にも代えがたいですね。沖縄の離島ですから多分上質な昆布とかで出汁とってるんだと思います。
光は信頼できる人間を持ったことがなく、寂しさを少なからずその心に宿してリルゥを匿うことになったわけですが、自分が信頼できる人間を獲得するより先に誰かの信頼できる人間になる方に一歩踏み出しているというのがなんとも言えない趣があります。このパートは、リルゥが光への信頼度を高めるイベントではありますが光からリルゥに対する信頼度は前者のそれほど上がってはいないように見えます。まぁその分後々の積み重ねで取り返されていくのですが。
誰かに寄りかかるとまではいかなくとも、羽を休めるくらいはしてもいいのではないのだろうかと思い始めるリルゥの傍ら、自立を求められているのが光です。まぁリルゥを匿った以上責任を持って面倒を見ねばならないと言われればその通りですが、それにしても光とリルゥでは求められるレベルに差があります。日本の常識を知らないリルゥの奇行に対し、矢面に立つのは光のほうですから。
上のスチルにおいて、浅く縁側に腰掛け、背を曲げ、リルゥと目を合わせない光には、ストーリーの中で歩み寄る一人と一人というものとは異なる孤独が感じられます。他人に期待しないという光の考えは、リルゥを害しないこととは両立してしまうのです。
この辺りは別に見出す必要もないというか、普通に妄想の域に足を突っ込んでいます。後々踏んで爆発する地雷を自分で仕掛けているだけです。
とはいえ、ここで既に十分な量のボーイミーツガール栄養素を摂取できるわけですが、これはまだ序盤も序盤。進行度は一割にも届きません。嬉しいですね。
完結までのネタバレを含むお話
色々ぶっ飛ばして終盤にまで話を持って行きます。「イハナシの魔女」は光とリルゥを中心に据えたボーイミーツガールですが、アカリ編と保険販売員編では二人の関係はメインで描かれません。
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メインで描かれない、と言いましたがメインで描かれないだけです。好感度に関しては日常生活の間でガンガンに稼がれています。縁側での一件で鍵が開いたらあとはもう転がり落ちるように愛が育まれていきます。多分この辺りで絆レベル80くらいあります。
まぁ縁側イベントみたいなラッキースケベ(誰にとってもラッキーではない)から始まる明確な信頼度イベがポンポン起こる方が不自然で、むしろこういった日常でちょこちょこ信頼度を稼いでいる方がとても自然と言えます。むしろ関係性に狂う人間からすればこういう同棲シチュでのふとした好感度稼ぎを要所要所で見せつけられる方がとても効く気がします。
縁側での一件は、リルゥが光に対して警戒心以外の視線を向けるきっかけとなりました。そして、リルゥにとっては家族以外で初めての自分を奴隷商に売らない人間であり、親切にしてくれる人間であり、自分の手料理を褒めてくれる人間です。
一度上限を解放してしまえばあとは上げるだけですからね。信頼度……
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そうしてお出しされるこの「リルゥ編」の文字列、めちゃくちゃお腹痛くなりますね。アカリ編と保険販売員編でもたらされたシリアス感と張られまくった伏線に対する疑問が回収されると思うとそれだけで胃痛がします。
まぁこの次のスクショが首から下全モザ妃里子様なんですけど。このゲームは全年齢なのであられもない姿の表現が立ち絵全モザというパワープレイで、これを目にするたびにあまりの勢いに笑ってしまいます。
話を戻します。
光には、明確な「呪い」がかけられていました。「呪い」と言ってしまうと本作の文脈で意味が変わってしまいますが、彼を縛り付けるものとしての意味合いです。
好きな人と接近すると目が見えなくなる。単純ですが、光の不自然なまでにヘタレな様子の原因はここにあります。リルゥの信頼度上限が低い位置にあったように、光にも一定以上に信頼を築けない理由がありました。
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それでも、光は意思を示しました。誰に決められたものでもなく、見捨てられないからでもなく、衝動的なものでもありません。彼が初めて心の底から欲して、求めて、手を伸ばしたものです。誰も信頼せず、向き合うことを避けてきた光が初めて向き合った相手がリルゥでした。
それは同時に、リルゥが求めてた理由でもありました。島に残るだけの理由。病気という建前こそありましたが、二人の時間はもう少しだけ続くと。
こうしてみると、リルゥよりも光の方がよっぽど難易度が高いように思います。そもそも他人を警戒していたリルゥと、他人と一定以上向き合えない光ではそもそもの前提が違いますが、リルゥや犬、アカリや紬さんのことを抱え込みながら自分の目のことをそれなりに隠し通した彼は中々の食わせ者です。暴いた経緯もほとんど偶然です。光の他人を信用しないムーブの中々の強度に恐れおののいています。リルゥのそれが可愛く見えてきました。
ここからはしんどいターンです。しんどすぎて途中五回くらい泣きました。本当にしんどかったです。
リルゥの身を襲うのは原因不明の症状です。陽が浴びられない。症状だけを聴くと吸血鬼を連想しますが、それが人の身に降りかかるというのは相当以上の苦しみがあります。陽が昇ると同時に活動を開始し、沈むと同時に一日を終えるのが人の基本的な生活です。現代では昼夜逆転も珍しくはないですが、完全に日の沈んでいる間にしか動かない人間というのは数少ないのではないでしょうか。夜勤の人でも、逆に朝方に帰路につくということは普通にありますから。
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太陽が浴びられないだけならまだしも、リルゥは体調不良も抱え始めていて、自然と家計の負担は光に集中します。それを、リルゥは許容したくありませんでした。
もとはと言えば、光とリルゥの関係は相互扶助関係です。光がリルゥを助ける代わりに、リルゥは光を助ける。そういう約束で成り立った関係です。そうでなくとも、誰かに迷惑をかけ続けてしまうというのを許容できる人はそう多くありません。
しかしながら、その奥底にはリルゥの恐怖があります。相互扶助のバランスが崩れることで、自分は光に見捨てられるのではないか。光に見捨てられ、大里家に引き渡されるのではないか。信頼した人間に裏切られることの恐怖が彼女にはあり、それ以上に光を苦しませたくないという思いが「対等であること」にリルゥを縛りつけています。
故に、光は自分の意志に加えて、かたく彼女を守ることを誓わねばなりません。その励ましが欺瞞でも、出来ると言わねばリルゥにも、もちろん自分にも意味がありません。
光とリルゥは追い詰められています。バランスが崩れたために、二人が背負えるものの絶対量が減ったために、何かを切り捨てていかねば生きていくことすらままなりません。幸い二人には頼れる他人がいますが、それも際限なくとはいきません。リルゥが赤ん坊のために作っていた服は、比較的早くに切り捨てられました。
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彼らは選択を迫られています。生活と何かを両天秤にしないといけません。二人分の労働では釣り合わないから、それと、それ以外の何かを。互い以外の何かを、価値の低いものから、順番に、順番に。
そして、常に天秤に乗せている二人分の働きもリルゥの衰弱と共に減少します。クロテズリ様はリルゥから昼を。次に足を。そして彼女を魔女たらしめていた魔力すら奪っていきます。そうなると、また別に乗せる物を増やすほかありません。あるいは、生活を削っていくか。
天体観測にブランコ。本当にしんどいのに二人の愛だけは青天井でこのギャップに心が千切れる音が聞こえました。優しいリルゥの声がおそろしいバフをかけています。光が馬車馬のように働くのも理解できます。世界一愛している人の愛によるバフは男を無敵にしますからね。
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ひどすぎて声が出ました。翻訳魔法の存在は私はきちんと覚えていましたし、クロテズリ様が魔力を奪う以上いつか翻訳魔法が使えなくなることもうすうす気づいていました。それにしてもタイミングが極悪です。クロテズリ様……
クロテズリ様はリルゥから本当に全てを奪いました。昼も、足も、魔力も、光との意思疎通さえも。そして、その命に手を掛けられて、光はリルゥの命を選びました。わずかでも長く、リルゥが生きることを。それは彼がリルゥを裏切ることと独立しえません。リルゥを助けるには彼はリルゥを裏切らねばなりません。
彼らにはもう何も残っていませんでした。渡夜時島での生活すらも奪われ、本当に互いしか残されていません。そうして、満を持して、光はリルゥを裏切ったのです。
しんどすぎてゲロ吐きまくりギャラクシーでした。
しかしこれはボーイミーツガール。そう。王道ボーイミーツガールです。王道です。「王道」と「ボーイミーツガール」には勝利なくして完結は有り得ません。相場はハッピーエンドと決まっています。
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落ちたのなら後は上がるだけです。運命など知った事ではありません。ボーイミーツガールは愛の物語です。「イハナシの魔女」は光とリルゥの愛のお話です。運命ごときに負けるようなチンケな愛ではありません。もうこの辺りから私も勢いがとまらずセーブ無しの全力ダッシュです。
光はリルゥを確かに裏切りました。大里家には売らない、と強く断言しながら、その言葉を最後には守りませんでした。
しかし、二人はきちんと愛を積み重ねてきました。光はリルゥに愛されていることを、リルゥは光に愛されていることをきちんと理解しています。だから、裏切りの真意を違えることもありません。相互理解の極致です。邪神ごときが、ボーイミーツガールの王道を全速で駆け抜ける少年少女に勝てる道理はありません。
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ボーイミーツガールにおいてこの文言が持つ破壊力は宇宙一です。最強のカードです。最強すぎてもはや禁止カードですらありますが、禁止カード無しに勝ちえないのならそんなルール知った事ではありません。光は容赦なくそのカードを振りかざすし、その様に画面の前の成人男性は大喜びです。
「行けー!!!世界ブッ壊せ―!!!」と腕をブンブン振り回しながらド深夜に叫ぶ成人男性は少々危ないですが、最強カードがその威力を存分に発揮する様を見て興奮しないのは無理です。誰かの愛とか関係なしに世界がブッ壊れる様など何度も見ているのですから、愛で世界がブッ壊れてしまうのなら上等どころかハッピーエンドも良いところでしょう。
正直に言うとこの辺り、なんでリルゥが助かったのかは曖昧です。つながった夢の生死の境界線をブッ壊して、クロテズリ様の手枷をブッ壊しただけです。クロテズリ様からのお許しが得られたといえばまぁ納得もできますが、この辺りのロジックはよく分かりません。
よく分からなくていいのです。クロテズリ様の行いそのものが人間には関知し得ない、人ならざる者の気まぐれであるというのが一つ。それ以上に、これはボーイミーツガールであるからです。メタに片足突っ込んでしまいますが、光は世界とリルゥを天秤に掛けてリルゥを選びます。それだけの覚悟と愛がありました。先ほども語った通り、たかだか世界がこの愛に勝てる道理はボーイミーツガールというフィールドの上ではありません。そして、たかだか少女の健康一つ、世界と引き換えて治せないはずもありません。これでいいのです。ボーイミーツガールにおける最強札は愛なのですから。
世界をブッ壊せばあとはもうハッピーエンドです。お疲れさまでした。
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忘れ物がありましたね。これで完璧。これにはクロテズリ様もにっこり。
結び:「王道のボーイミーツガール」としての完璧さ
「イハナシの魔女」はドをつけてもいいほどの王道ボーイミーツガールです。この言葉に囚われすぎだろと思われるかもしれませんが、それはジャンルとしての完成度ゆえです。
ここまで読んでいただいている方はプレイ済、という前提で、この完璧さと言うものを身をもって理解していることでしょう。光とリルゥの関係性、愛を育む過程、互いを痛いほどに思いやる姿勢、落ち目の状況と、それら全てを吹き飛ばす愛のカタルシス。これらを1日で駆け抜けた私は「完璧だ……」と言わざるを得ません。
あまりにも完璧です。特に、終盤の上がり下がりを見ているとそうだと強く思います。何も騙されません。翻訳魔法や裏切り、指輪など細かいところでどんでん返しがあり、その度に情緒がおかしくなったり気持ちよくなったりしますが、「下げて、上げる」という物語の構造は非常にシンプルです。その落差がもたらすカタルシスも当然にもたらされるもので、そこに一切の裏切りはありません。ジャンルとしてあまりにも真摯です。
何より、クリア後EXTRAで示される渡夜時島の伝説に対する真相を、敢えて本編で省いていることがこの完璧さに一役買っています。あくまでもこれは光とリルゥのボーイミーツガールのお話で、二人を取り巻く伝承のお話ではありません。本編で詳しく真相を示されずとも、二人は幸せに暮らしました。ボーイミーツガールでは、それが全てなのです。そこそこの重要情報をオミットしながら、あくまでも光とリルゥに焦点を絞るという手腕には脱帽しか出来ません。
タイトルの「安心して楽しめる」は王道としての完成度ゆえです。王道のボーイミーツガールはいくらあっても困りませんし、ボーイミーツガールを欲する心を十二分に満たしてくれるのがこの「イハナシの魔女」という作品です。そこに裏切りはありません。捻ったどんでん返しをされる心配だって必要ありません。ヒロイン以外の誰かが死んでしまうんじゃないかなんて心配だって無用の長物です。何も裏切らない、誠実なボーイミーツガールです。安心して万人に勧めることが出来ます。一切の文句なく、とても素晴らしい作品でした。
おまけ:大里信士について
こいつだけマジでやっています。やっているというのは憎いとかそういう意味ではなくて光とリルゥの関係性とは別に私を狂わせやがったという意味です。
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この部分、「こいつマジ?」という声が出ました。
彼は大里家です。光とリルゥが最も嫌った、二人を引きはがす悪者です。島民を囲い込み、光とリルゥを追い詰め、二人が大里家を頼るしかないように仕向けました。
対して、のぶっちが語ったプランは理性的です。「イキガミ様は人を襲うから、そうしないためにも大里家に来てくれ」と説明する。なるほど、とてもスムーズに事は運ぶでしょう。合理的な解だといえます。
ですが、信士はそれを許しません。光とリルゥを悪者に仕立て上げることで大里家に足を向けてもらうのは彼らの罪悪感につけこんだやり方だと主張します。
信士のやり方は徹底的です。徹底的に光とリルゥを追い詰め、同時に徹底的に大里家が泥を被るやり方です。のぶっちのやり方は光とリルゥを悪者にして行動を操るやり方です。信士はそれを許容しません。それは二人が選んだやり方とは言えないと。二人が自らの意志で本当に選んだ時だけ、大里家に来ればいいと。同時に自分が悪者であることも徹底しています。
交渉が失敗した果ての目に見える暴力や、そもそもの交渉に用いる事情とそれに対する光とリルゥの罪悪感。それら全てを彼は見据えていました。それをするくらいなら、最初から囲い込む方が良いとして、自らが全ての悪者として恨まれる方が良いとしました。
客観的に結果まで見通して初めて、このやり方が最も暴力が無く、光とリルゥの意志を最大限尊重していると分かります。同時に、そこまで考えていた信士の苦悩も。
急にこのキャラの奥行きだけとんでもないことになってびっくりしました。信仰万歳のいけすかない悪役とラベルを張っていた自分を横からブッ飛ばしていったのであまりの衝撃に印象に根性焼きされました。大里信士、とんでもないやつ……
終わり。