九州旅行記
プロローグ
4月に大学時代の友人たちと九州に行ってきた。学生時分にはサークルの会報なんかに旅の記録を書くのが常だったのだが、社会人になってからはまとまった文章として書き残す機会がすっかりなくなってしまい、Twitterに写真を載せるくらいで済ますようになっていた。記憶力は年齢とともに衰えてしまうものだし、記録の意味も込めて書き留めておくのも悪くないかなと思い、久しぶりにキーボードを叩いている。
ちょうど新型コロナウイルスの流行が始まる直前、大学院2年生の春先に、後輩であるK氏に半ば拉致られるようにしてド深夜の本州最北端、大間(もちろん深夜のマグロ料理などは望むべくもなく、後輩のひとりG氏はブチ切れていた)に連れていかれて以来、その時の面子と旅行するのが恒例になっていた。今までの旅行は、本州最北端1泊2日の弾丸往復、岩手、青森、秋田の北東北1周、伊豆半島、四国一周などである。
旅行先についてはいくつかの案が出て、近畿、沖縄、韓国も候補だった。時の流れは早いもので、後輩たちもみな大学を卒業して各地に散り散りになっていた。博士課程に進んでいた僕も、とうとう遅ればせながら3学年下の後輩と一緒に大学を巣立った。気が付けば、東北地方の大学に通っていた友人たちの大半は、僕を含めて糸静線を越えて西日本の住人になっていた。それならば今までこのメンツで訪れたことのない、九州地方の住人たちのところに遊びに行くのはどうだろうということになった。大まかには福岡→佐賀→長崎→大分と九州北部をぐるりと一周するコースである。
0日目
金曜日の夜、僕は仕事を急いで片付けてシャワーを浴び、旅行に必要な荷物をまとめた。まとめるといっても、お風呂セットと下着類、スマホの充電器を適当に鞄へ放り込むだけだ。今回の移動手段は車なので、最悪必要なものはその辺のコンビニで調達すればいい。気楽なものだ。
当初は新幹線か飛行機で福岡まで向かうつもりだったのだが、静岡に住むS氏が通りがけに拾ってくれることになった。LINEグループで何時ごろ到着する?と聞いてみたが一向に連絡が来なかったので、現在地を共有しておいてタイマーを0時にセットし、スヤスヤと眠りに落ちた。
予定通り0時きっかりに、僕は目覚まし時計で目を覚ました。スマホを開くと、S氏からの「着きましたよ」というメッセージが20分ほど前に届いていて、大慌てで着替える羽目になった。
ドアを開けると、S氏と一緒に乗り合わせてきたA氏が玄関にいた。話によると、僕の自宅が分からず、あてずっぽうで辿り着いたらしい。現在地を共有したメッセージは、その後のしょうもないやりとりで遥か彼方へと流れてしまっていたようだ。
荷物を積み込んで出発する。S氏はさっそく下道を走ろうとしていたが、周辺の道路は細い道が多く、下道だと異常に時間が掛かってしまう。今回は夜通しでの運転になるから、体力を徒に削るルートは避けたかったので、とりあえず土地勘のある僕が運転を代わった。
深夜の高速道路は車通りが少なく快適に運転できる。それなりに飛ばした(これは自動車の走行速度を示すものではなく、高速道路を快適に運転していた僕の心情を比喩的に表現したものに過ぎないことを断っておく)けれど、やはり九州は遠い。はじめのころは雑談に花を咲かせていたが、徐々に二人とも寝落ちていった。結局17時ごろ、山口県に入るあたりで眠くて仕方なかったのでS氏に運転を代わってもらい、僕はアイマスクと耳栓を装着して後部座席に突っ伏した。
1日目
目を覚ますと、僕は福岡市郊外のTRIALにいた。TRIALは安くて日用品の品ぞろえもいいので結構好きなスーパーだ。見知らぬ土地でいつもの店と出会うと少しほっとする。車を降りると、九州勢のO氏とB氏、飛行機で一足先に到着していたK氏がいた。3人とも仕事が大変そうだが、変わらず元気そうにしているのは嬉しいものだ。
九州ローカルのチェーンである「資さんうどん」で肉ごぼ天うどんをいただく。時間はもう10時を過ぎていたから、朝食というよりはブランチといったところだろう。
スープは出汁の香りを上品に効かせているが、いわゆる関西風よりも旨味が前面に出ている。ごぼう天や肉の風味の強いものが具として乗るから、これくらいパンチのあるスープの方が合うのだろう。特徴的なのは麺で、太麺だが讃岐うどんよりも柔らかめでもちもちとした食感が特徴的だった。ところで、肉ごぼ天ってゴボゴボしていてえもいわれぬ響きだ。
思想がやや左に偏っているA氏や僕は、資さんうどんに大はしゃぎで「資産家うどんだ、ブルジョワジーを打倒しなければ」といったことを話していた気がする。なお本来の読みは「しさん」ではなく「すけさん」である。博士号取得者とかいう、日本の頭脳たるべき人材にあるまじき会話である。もう終わりだよこの国。
当初の予定では福岡市内を観光する予定だったが、思ったよりも時間が押してしまったのでそのまま佐世保を目指すことになった。佐世保でのお目当てと言えば、もちろん佐世保バーガーである。
K氏「佐世保バーガーの特徴って何?」
B氏?「特に決まったスタイルは無いらしいよ」
K氏「じゃあ佐世保にあるハンバーガー屋はすべて佐世保バーガーじゃない?それならMから始まる世界的佐世保バーガーのチェーン店に行くしかない」
僕「Mから始まるじゃあ情報量増えてないのよ」
概ね、こんな会話をした気がする。こういうときのK氏の論理的なだけの論理性には舌を巻かざるを得ない。Google Mapでマクドナルドを見つけ、まずはそこを目的地とした。ところが、
「何か検問所があるんだけど」
「このマクドナルド、米軍基地内だわ」
佐世保市唯一のマクドナルドが米軍基地内にしかないというのは予想外だった。不用意に乗り込んでいたらおそらく蜂の巣にされていただろう。危ないところだった。
気を取り直して、Google Mapで評判の良かった「バーガーミュージアム」で佐世保バーガーを食べることにした。肉厚のパティと卵にシャキシャキとしたレタスの食感が良いアクセントになっていて、確かに美味しい。
佐世保バーガーを食べてから、長崎の島々を眺めてみようということで、すぐ近くの展海峰に向かった。
K氏かB氏は「しょぼい松島だな」みたいなことを言っていた気がする。失礼なことだ。
展海峰は外国人観光客でごった返していて、東京や京都以外もこんなに賑わっているのかと驚いたが、直線距離でいえば長崎は韓国や中国との距離が近いから、東アジアからの旅行先としては候補に挙がりやすい場所なのかもしれない。
もともとの僕たちの計画は、佐世保から雲仙を通ってフェリーで熊本まで向かうというものだったのだが、今から佐世保を発っても最終便には間に合わないことが分かったので、そのまま引き返して熊本を目指すことになった。
途中、鳥栖市に中冨記念くすり博物館というものがあったので、そこに立ち寄ることにした。地方の博物館とは思えない立派な建物で、私設博物館特有の資金力を感じる。展示も充実していて、薬学部で研究員をしているA氏の解説が役立った。一方、僕はS氏らと「これ、毒です」をずっと擦り続けていた気がする。ちなみに僕は『薬屋のひとりごと』は漫画版の1巻を読んだだけで、かつそれが2種類あるうちのどちらか覚えていないという、にわかもはなはだしい読者である。こういうミリしら知識をしつこくゴリ押しするのは僕の悪癖のひとつだ。反省しなければならない。
O氏おすすめの「火の国文龍 総本店」で熊本とんこつラーメンを食べる。
熊本ラーメンは仙台の「おっぺしゃん」という店が好きで、本場の味を楽しみにしていた。セルフサービスの高菜が非常に美味しく、これだけでも箸が進む。これで白飯をかきこみたいが、濃厚な豚骨スープのアクセントとしても非常にマッチしている。
ホテルの周りはいわゆる歓楽街で、客引きの強面のお兄さんと紳士淑女の皆様方でごった返していた。熊本は繁華街と歓楽街が特に分離せずに連続していて、それが独特のカオスさと賑わいに関わっているように思う。ホテル周辺の道路はどこも車でいっぱいで、かなり離れた駐車場に停めざるを得なかったのは誤算だった。
2日目
翌朝、ホテルをチェックアウトした僕たちは、徒歩(かち)で熊本城を目指した。
ホテルは素泊まりだったので、どこで朝食にしようか迷ったが、途中にあったすき家で朝食を食べた。K氏は意味不明なほどすき家を好んでいる。一方僕は院生時代に食べ過ぎて普段は食べる気が湧かない。
朝食を済ませた僕たちは熊本城に向かった。
熊本城内はちょうど桜の季節で、黒い外観に桜色がよく映える。お堀沿いの桜並木は葉桜が目立っていたが、城内は少しだけ散り始めが遅いようだ。
2016年熊本地震の傷跡は未だに残っている。
お土産屋さんでA氏がキーホルダーを物色した後、次の目的地である大分県の長湯温泉に向かうことにした。
途中、益城町にある「ふるさと市場」で刺身や果物を購入して移動中のつまみにした。僕はタチウオの刺身を購入した。S氏は鳥刺しを買っていたが、鹿児島以外で鳥刺しを食べるのはかなり肝が据わっている。
市場では地物(じもの)が安く売られていて、確か新玉ねぎが6個入りで300円とかそんなものだったかと思う。
途中、休憩を兼ねて阿蘇火山のふもとに白川水源を見つけたので立ち寄ることにした。この水源は日本の名水百選にも選ばれており、湧水量は60 t/minと非常に豊富である。水源の泉から直接水を汲むことができ、クセの無いまろやかな味がする。
白川水源で長居してしまったため、既に14時半を過ぎていた。車での旅行は寄り道が多くなってしまうので旅程が後へ後へと動きがちだ。そこが楽しいところではあるのだけれど。白川水源から次の目的地である長湯温泉まで街らしい街は皆無で、遅い時間になっていたためほとんどのお店は営業時間を過ぎていた。手分けしてGoogle Mapで片端から検索すると、「天神 丸福」というお店が開いていて、レビューも悪くないらしいということで、そこで昼食をとることにした。
「味処」という名前にえもいわれぬ味わいがある。
揚げ物が有名なお店ということで、とり天とチキン南蛮定食を注文した。鶏肉はジューシーで味が良くしみ込んでおり、ご飯が進む味だ。個人的には味噌汁がとても美味しかった。出汁がたっぷりと効いていて満足感が高い。
食事を済ませた僕たちは、大分県ラムネ温泉に到着した。個人的にこの旅で最も楽しみにしていたのがこの温泉だった。
狭い入口(ほんとうに狭く、大人はしゃがまなければ通ることができない)を抜けると、まず目を引くのは湯船だ。湯船は黄色い沈殿物で覆われている。沈殿物の多さを示すように、お湯はかなり濃い色をしていて湯船の底が見えないほどだ。転ばないように慎重に身体を沈めると、ぽかぽかと温まるのを感じる。
身体を温めた上で露天風呂に浸かってみる。ラムネ温泉は内湯と外湯で源泉が異なっており、内湯は濁りが特徴的な炭酸水素塩泉、外湯は日本でも有数の炭酸泉である。水面のあちこちでポコポコと泡が立っているのが見え、ここまで泡立っている温泉は珍しい。外湯はかなりぬるめの33 °Cで、お湯に浸かると初めのうちは冷たく感じる。しかしぬる湯の爆泡(ばくほう、はなはだ泡が立っているお湯のことを指す。ネットの温泉ブログでよく見かける表現)に身体を委ねると、全身が泡に包まれる感覚が心地よく、徐々に芯から温まってゆくのを感じる。外湯と内湯を永遠に交互浴してしまい、かれこれ1時間近く入浴していたようだ。
これだけの豊富な炭酸ガスは他の火山地帯の温泉と比較しても珍しいが、検索してみると多少は地球化学的検討がなされているようだ。例えば、岩倉ほか (2000) はHeおよびC同位体の分析を行い、長湯温泉のCO2やHCO3-はマグマ性流体に由来し、マントル起源のガス以外にも沈み込む炭酸塩岩(石灰岩)や地殻堆積物中の有機炭素の混入の寄与率も大きいことを議論している。論文中では地殻堆積物中の有機炭素の混入量が九州の他地域よりも大きいのは流体の移動距離が長いか移動速度が小さいことに由来するのだろうとしているが、定性的な議論のみで具体的な検証はなされていないようである。
岩倉ほか (2000) 長湯温泉(大分県)から放出される二酸化炭素の起源. 温泉科学, 50, 86-93.
長湯ですっかり喉が渇いていたので、ご当地サイダーである「ラムネ温泉サイダー」を飲んだ。
ご当地サイダーにありがちなチープさのない、滋味あふれるスッキリした味わいで、ちょっと味のついたミネラルウォーター感覚でゴクゴクと飲むことができる。今まで飲んだご当地サイダーで一番美味しかった。ご当地サイダーといえば、秋田県の「ニテコサイダー」がレトロスペクティブな昔ながらの優しい甘さで好きだったのだが、ラムネ温泉サイダーはニテコサイダーよりも気に入ってしまったかもしれない。飲み比べのために複数本買っておけばよかったと悔やむ。
駐車場には猫がいて、人に良く慣れていてかわいい。
川沿いに散策すると、野湯の看板があったり、濁ったお湯がこんこんと湧き出ている場所があったりしたことから、かなり湯量は豊富な印象を受けた。
ひと風呂浴びて、鳥栖に向かいながら夕食をどうしようか、という話になった。今回は車での旅行だったし、お酒を全く飲まないどころか飲酒行為を忌み嫌うK氏がいるので、居酒屋でゆっくり飲むという訳にもいかない。ラーメン屋さんなんかでもいいけれど、山形の多様性のあるラーメン文化と比較すると、九州のラーメンはレベルが高いものの豚骨ばかりなので、二日連続で夕食が豚骨ラーメンというのもどうかということになった。
そこへB氏が「サイゼでいいじゃん」と言い出した。彼の軽はずみな発言にK氏がすかさず乗っかり、夕食は高級イタリアンと相成った。
まあでも旅先でチェーン店というのも悪くないものだ。食べなれた味という安心感は、非日常が続く旅の箸休めにちょうど良い。お酒を飲む感じではなかったのが残念だったが、サイゼリアにはジンジャーエールのトニックウォーター割りという素晴らしい飲み物をドリンクバーで錬成することができるので、僕はそればかり飲んでいた。
最終日はK氏の飛行機の都合もあるので、できるだけ福岡に近い場所に泊まるのが良いだろうということになり、鳥栖のHOTEL AZに宿泊した。4000円台で大した宿ではないだろうと思っていたのだが、意外と部屋は綺麗で、朝食もなかなか充実していた。正直、7000円のGR HOTELよりも満足度は高かった。調べるとJoyfulと同じ会社が経営しているそうで、朝食の質が高いのもそのためかもしれない。
3日目
朝食を食べ終えて部屋に集合した僕たちは、どこに行こうか相談を始めた。この何も考えていないライブ感が無計画な旅の楽しさだと思う。机上でいくら考えても、じっさいに訪れてみると印象はいろいろと変わってくるから、現地の様子を見た上で行先を考えるのはけっして悪いことではない。
K氏の提案で、ヤクルトの工場が近くにあるからそこへ行ってみようということになった。見学には予約が必要で、当日に連絡しても問題ないか不安だったが、月曜ということもあってかすんなり予約することができた。
見学自体は10時半からということで、ちょうどすぐ近くに吉野ケ里遺跡があったのでそこで時間を潰すことにした。当初はお土産を眺めるだけのはずだったのだが、A氏と僕は「10分位あるし、急いで回ればいけるのでは」との見解で一致し、一気呵成に入場券を購入して受付の職員さんに手渡すと、コメを強奪するために集落を強襲する蛮族がごとく遺跡に駆けていった。多動ここに極まれりといった趣だが、博士号を取得するにはこういった見込みの甘い拙速さが必要なのかもしれない。ホリエモンも多動力が大事だと言っている。
遺跡入り口にあった柵。たぶんこの柵に討ち取った敵を梟首していたのではないかと思う。根拠は全くありません。
あまり時間がなかったので早足になってしまったのだが、一通りの遺跡を巡ることができた。それにしても正確な図面などなかったであろう時代に、巨大な建築物を造る技術には驚くほかない。
それでも遺跡や土器の展示に夢中になっていたら、K氏にいい加減にしないと見学に遅れると急かされて、しぶしぶ吉野ケ里遺跡を後にした。このメンツの中でもっとも狂人なのはK氏であるというのは皆の一致するところだと思うが、テレビ局員として働いているだけあって研究者やエンジニアといった社会性のない職業よりもこういった点はきちんとしているらしい。
あわてて車に乗り込むと、時刻は10時23分で、Google Mapはちょうど7分で到着すると示していた。僕たちがヤクルト佐賀工場に到着したのはきっかり10時半だった。社会人にあるまじき計画性のなさである。これでも皆そこそこお堅い仕事をしているのだから、にわかには信じられないことだ。
ヤクルト佐賀工場では主にY1000とミルミルSを製造している。製造工程の見学では、特にエンジニアである僕やO氏、B氏などと盛り上がった。見学は無料で、そのうえヤクルト製品を試飲できるのが嬉しい。
個人的に興味深かったのはミルミルSのパッケージング工程で、パックにひとつずつ飲料を詰めるのではなく、複数のパックが繋がった大きな紙容器にまとめて飲料を注入した上で、容器を等間隔に圧着することで一度に複数のパッケージングを行うのだ。これならばどんなに生産数が増えたとしても、圧着装置の同時処理数さえ確保できれば生産時間は飲料の注入量のみに比例する。大量生産のメリットを最大限に生かす工夫だと感心した。工場なんて職場のオフィスからいつでも見れるしなと思っていたが、こうして他社さんの様子を知れるのは面白い。
福岡に戻り「牛もつなべ処 茶びん」で昼食をとる。お目当てはもつ鍋だ。
お店前の駐車場は1、2台しか停めるスペースがなく、僕たちの車は運よく駐車できたが、B氏の車は少し離れた駐車場に停めることになった。B氏が到着するまで時間があったので、K氏とB氏が何を注文しようとするか予想することにした。B氏の感性は独特で、いつも僕たちの予想の斜め上をゆくのだ。K氏は定番を彼は選びがちという理由でしょうゆ味を選ぶと予想した。いっぽう僕は味噌を選ぶと予想した。確かに彼は定番を選びがちだが、妙な偏見に基づいて人気ものをバカにする傾向がある。だから、定番を選びつつも一番人気は外すのではないかと推論したのだ。
卓についたB氏に食べたいものを聞くと、答えはしょうゆだった。B氏に言わせればしょうゆはそれほど得意ではないが定番なのでまずはしょうゆでしょとのこと。僕は試合に勝って勝負に負けたといったところだろうか。
もつ鍋は今までに食べたことがないほどもつがプリプリで、弾力がありながら全く噛み切るのに苦労がなく、濃厚な油の味が詰まっていてとても美味しかった。たっぷりと乗せられたニラと唐辛子も臭みを消すのに一役買っているようだ。〆の雑炊もとてもおいしいものだった。たまたま選んだお店が当たりだったのかもしれないけれど、九州の食べ物は全体的にレベルが高く、満足感が高かった。東海地方の何にでも赤だし味噌をぶっかける舌壊人(ぜっかいびと、舌が壊れている人を表す)ばかりの地域と比較すると、素晴らしい土地だと思う。おでんにすら味噌をかけるのはどうかしている。
旅の終わりに、ららぽーとに立ち寄ってお土産を購入しつつ、休憩スペースで経費の精算を行った。僕はすこし北の食べ物が恋しくなって、九州の反動で北海道ショップでハスカップのむヨーグルトを飲んでいた。
もちろん、「博多通りもん」は購入したけれども。通りもんはパックに詰めて販売されており、賞味期限もそこそこ長いのだが、博多以外だとそんなに売っていないのは不思議だ。あんなに簡単に崩れてしまいそうなのにも関わらず、大阪でさえ売っている赤福を少しは見習ってほしい。
ららぽーとの敷地内には巨大なガンダムが屹立している。
僕が知っているガンダムは、小学生の時に見ていた『SEED』と『水星の魔女』だけだったので、立像が何ガンダムか分からなかったけれど、とにかくディティールが作り込まれていて重厚感が伝わってくることは確かだ。
ところで、劇場版『SEED FREEDOM』は面白かった。後半はもうやりたい放題という感じだったけれど、お祭り映画としては満点じゃないでしょうか。A氏には「絶対に観なさい」と激烈におすすめをしておいた。
ららぽーとの駐車場は複雑で、階やエリアによってアクセスできる場所が異なっていて、車に辿り着くのに難儀した。
エピローグ
福岡のららぽーとで解散した僕たちは、九州勢のB氏とO氏、東北勢のK氏、東海勢の僕とA氏とS氏に分かれ、三々五々帰路に就いた。
最初に帰宅の報告をしたのは九州勢の二人で、17時頃だった。それに続いて、K氏が仙台空港に到着したとのLINEを送ってきたのは18時ごろだった。一方、東海勢はなかなか終わらない旅路に苦しめられていた。
往路は旅へのわくわくした感情が背中を押してくれるけれど、帰路は辿り着いたとて待っているのは翌日の仕事のみ。どう頑張ってもマイナスの感情しか湧かないが、早めに到着しなければ翌日を睡眠不足で過ごすことになる。マイナスをゼロに近づけるだけの努力ほど、やる気が湧かないことはないのだ。他メンツの帰宅報告を受けたころ、僕たちはいつまでたっても終わらない山口県に疲労困憊していた。
尾道のSAで夕食を取ったのが20時ごろで、すでにGoogle mapの到着時刻はもっとも近い僕でさえ、絶望的な時刻を示していた。
ところで高速道路のSAで食べるラーメンやカレーって独特の良さがある。決して美味しい訳ではないし、値段も割高だけれど、長距離運転で疲れた体と頭に糖質と塩気が効くのだろうか。
尾道からは僕が運転を代わり、結局帰宅したのは2時を過ぎたころだった。僕は有給休暇を取っていたので、風呂に入ってから昼間で寝ていることができたのだけれど、A氏は5時、S氏は6時半に帰宅してそのまま仕事に向かったようだ。無事だったのだろうか。
始めは写真に文章を多少つけて旅行記にしようか、と軽い気持ちで書き始めたのだが、想像以上に長い文章になってしまった。文章が冗長で書かんでもいいことばかり書いてしまうのは僕の悪いところだ。GWの貴重な休日を丸々半分潰して書き上げたので、みなさん読んでください。
ところで、この旅行記は深夜に書き始めたのだが、おいしそうな料理に飯テロを食らってしまい、非常にお腹が空いてしまった。そういえば、ららぽーとの北海道物産館で購入したハッカ豆が残っていたのでそれをつまむとしましょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?