【投資】豊かさを測る指標(6) - 日本経済新聞
日本経済新聞のやさしい経済学シリーズ"豊かさを測る指標"の第6回目は、"世代をまたぐ豊かさの評価"と題し、国内や国家間だけでなく、持続可能な社会の構築のため、世代を超えた豊かさの評価の必要性とその難しさについての議論しています。
(6)世代をまたぐ豊かさの評価
今回の議論の要旨は以下のとおりです。
英国の哲学者デレク・パーフィットは、著書「理由と人格」で現在と未来の人々の豊かさの評価をめぐる多くの難問を分析。
中でも「厭(いと)わしい結論」と呼ばれる、よい暮らしを送る裕福な人が大勢いる未来より、極めて貧しい生活を送る膨大な数の人が存在する未来の方がよいとされてしまう問題は深刻(総和をとる評価方法のため)。
また「嗜虐(しぎゃく)的な結論」という、ある世界に悲惨な人生をもつ人々が加わる方が、悲惨でない人生をもつ人々が加わる場合よりもよいとされる問題もある。
多数派と少数派の利害がからむ場合も豊かさの評価は難しくなる。
この厭わしい結論と嗜虐的な結論を回避する評価の方法を、筆者は作成、世代間評価の困難性をめぐる長年の疑問を解決した。
しかし結果としては、厭わしい結論と嗜虐的な結論を自然な形で拡張した難問を検討したところ、これらの難問を同時には解決できないという不可能性定理の証明に行き着いた。
現在世代と将来世代の利益を比較考量することは難しい。そのためには総和主義と平均主義の間にある、中庸な方式がよいと考える。
なかなか哲学的、難しい内容になってきました(笑)今回も、"要旨"といいながらほとんど記事全文に近い形になってますね(自分の要約スキルの無さか、あるいは筆者の簡潔な文章力によるものか?)。
一言で言えば、世代間を比較する豊かさの指標も作成がなかなか難しいということですね。
指標が使えないならその学問は無駄なのか?
さて、連載3回目"厚生経済学の奇妙な消滅"において、当方は、
なんてエラソーに意見してますが、今回の記事で、少し考えを改めました。
世代間の豊かさを測る上で課題となる「厭わしい結論」と「嗜虐的な結論」、結果としてその両方を同時に解決するのは不可能とありますが、やはり結果が不可能だからといってその過程の研究には意味がないということはなく、今後もこのような豊かさを測る指標についての議論をする場合、あるいはこの豊かさの指標に限らず、いろいろな統計値、指標にあたる際には、読み手側・受けて側もこうした潜在的にある課題を認識しておかないと判断を間違えるというリスクもあるということかと思いますね。