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3回生秋から1年留学でも留年を回避する! 奇跡の留学計画『京田辺協定』
ありがとう、教授。私にはめちゃくちゃお世話になった教授がいます。留学するという理由で、次の条件に合意していただいたんです。いわば『京田辺協定』です。
Kyotanabe Agreement
4回生への進級判定をする際、私は海外の留学先大学にいるので、特例で「情報システム応用(3年秋学期実施)を未履修ではあるが4回生へ進級できる扱いとする。
卒業論文1・2科目は履修登録をおこなう。
派遣留学の制度上、留学中は同志社大学に在学扱いとなり、また特例で講義をオンラインで対応いただくので、「卒業論文1」科目は未履修とはならない。
「卒業論文」科目を、特別に半年間オンラインでご指導をいただく。
留学前に研究の配属先を予約相談する。
帰国後の4回生秋学期開講前、必修で未履修扱いであった「情報システム応用」をはじめ他の選択科目も私が単位認定を申請する。
ほんと、まじでありがたいです。もはや「京田辺の奇跡」やん。はっきり言って超レアケースの、3回生秋から留学なのに留年回避留学です。プライバシーの観点でここでは名前を伏せておきますが、私はもともとその教授とめちゃくちゃ仲良かったわけでもありません。特に交流のない、普通の大学生です。成績は学科の上位1/3程度でした。でもそんな私のわがままを、教授は聞いてくださいました。絶対お土産持って帰りますからね。
というわけで今回は、この『京田辺協定』に取り付けるまでの話です。
教授に『京田辺協定』を打診
僕の日記によると、はじめは自然言語処理に強い先生に伺い留学計画の話を聞いてもらい、単位認定の相談をした。単位認定の相談のきっかけは留年の可能性が出たからである。単位認定がされなければ、予定通りの卒業ができないので、卒業延長を余儀なくされる。
一つも単位を落としていないのにだいぶ危機感が湧き、できるだけ単位認定を確実にしたいと考えはじめた。
10/12、教授に相談をした。別の先生のお薦めで伺ったが、成果がデカすぎる。
そして、大きな動きがあった。教員の皆さんの会議で、単位認定の話を事前にしておくことで帰ってきた時の単位認定をなるべくスムーズにするというのだ。
💡 10/24の教員会議で、特例で私の単位認定を必修科目全てに対して許すという話を持ちかけてくださるとのこと。
この会議の成果によっては,
僕は超レアケースで留年を回避した上で、大学間留学を志すことができる。あとは僕が留学内定するかという素質、奨学金しだい。
という素晴らしい結果になる。実際、ヘルシンキ大学への交換留学生になれたので、予定通りに進んでいるのだ。
国際課、教授、私で結んだ契約書はメールでできた。
10/24の会議後、10/25朝までに事務室の方にも「卒論の履修取らせることできるからね」と特例で説明してくれるそう。そして口約束になることを防ぐため、その内容をメールしたものを印刷し、いわば「契約書」を渡してくれる。これで主任が変わったりしてもいざという時にこの契約書に頼れるということだ。本当に柔軟に対応してくださって頭が上がらない。
卒業論文科目は1年通年でとらなければならないが、オンラインで対応してくれることがあるらしい。そして今回も、先生はオンラインで対応するよと応じてくれた。
なぜ留年の可能性があったのか。
誰にでもあり得る、留学を目指した留年。休学ではなく留年なのだから、成績面で問題があると思われかねないわけだ。それでも学んだものが留年を上回っていれば素晴らしいことなのだろうが、私の場合は金銭面もあって留年回避したかった。
大前提として、理工学部・情報システムデザイン学科では、4年間で卒業するには3年以上在学した上で、3年の秋「情報システム応用」を取っており108単位以上取得してなければならない。(他にも必修科目はあるが全部取れる予定なので説明は省く)しかし、~~留学に行くと同志社の科目は取れないので必修は基本取れないことになる。事務室にも、卒業延長(留年とも呼ぶ)は免れないことを覚悟の上かと聞かれた。今でもその覚悟だが、回避できるなら回避したい。その回避の唯一の手段が、1年以上前もって何人もの教授に相談したり事務室に質問して疑問解消をすることだ。
3年生の秋学期間は単位認定前なので科目登録は一切ない。く、3年生になると卒業までの2年間で取らなければならない単位は必修以外で約12単位、つまり6科目分になる。自分の強さを活かして頑張ってきた中で、留年するのは経済的負担も大きくなんとか回避したかった。
TOEICの2つの奇跡
1年生の頃にとりあえず受けておいたTOEICがなければ、1科目落としただけで4回生にそもそも進級できない危機があった。今までにTOEIC850点での単位認定4単位分があり、私が周りの学生よりも取得している単位数は多い。とはいえ、3年の春学期終了時点で進級要件を満たさなければならなかった。運良く私が1年生の頃にTOEICを受けておこうと思わなければ起こらなかった奇跡1個目である。
そして、そもそもこのTOEICの点数もあと5点(TOEICは5点刻み)下がっていたら、1科目も落とせなくなる。1科目落とした時点で留学を諦めなければ進級できない。奇跡2個目。
ほんと偶然の重なり具合すごいな。
そして、『京田辺協定』成立———。
留学後に単位認定書を出すだけなら不確実性が高く留年する可能性の方が90%くらいで高い。そういう学生が多い(実際2023年から飛んだ方は留年している)なかで、1年前に事務室や国際課に声をかけまくったことが、立場の高い教授の方々に相談することにつながり、偶然にも特例で認めるかどうかを持ちかけられる唯一のチャンス:たまたま教員会議が相談の2週間後にあり、柔軟に対応してくださる先生があと少しで主任を外れるという偶然に偶然が重なりまくった奇跡。
暗黙のルールとして「単位認定は積極的に行う」とのことだが、それは先生たちの判断に一任されている。明確な基準が決まっているほど理工学部からの留学は多くないので、教員の『裁量』でどうにでもなる。
ヘルシンキをはじめ海外の大学とは、授業の濃さが違う。たとえば、5単位だったのが2単位になるということもありえる。そこで、教員の『裁量』で同志社2科目分を合わせて1科目の海外の濃い授業と単位認定させるということもありえるらしい。
密に連絡を取らなければ、教員の方々の認識外になってしまい、存在を忘れられてしまう。存在を知覚させて柔軟に対応してもらうためにも、そして支援をいただく側として、精進しなければならない。
なぜ単位認定願を後から出すだけではダメだったか
留学後に単位認定書を出すだけなら不確実性が高く留年する可能性の方が90%くらいで高い。そういう学生が多い(実際2023年から飛んだ方は留年している)
結果的に、私がお願いした内容を権威ある教授にお伝えして、他の教職員の方々を説得したような形だ。本当に頭が上がらないです。
学んだこと
関わることになりそうな人とは良好な関係を結んでおくことが後々非常に大きな恩恵をもたらす。関わることになりそうでなくても関係を持っておける人はすごいと思う。自分の留学計画を逆算し、終わった時と始める前にできることがないかを予測しよう。とりあえず自分ができる範囲で大丈夫です。