確証がないまま話をしたら、話が長くなってしまうことを防ぐためのメモ。
ども、根羽村民マギーです。
ラップバトルが結構好きで、良くyoutube漁って見るのですが、その中でR-指定と晋平太の引退バトルでR-指定が発したバースがめっちゃ好きなんです。
「シンプルでいいんだよ、韻踏むのなんてこれくらいで良い」
いろんな文脈を捉え、その時の空気なども全部汲み取って、最小単位の言葉で研ぎ澄ましたバースで客を沸かす。やばいっすよね。たまんないんです。
自分はラッパーではないけど、仕事柄打ち合わせやプレゼンなど「言葉」人の心を動かす機会が多いです。なので、その時はシンプルで、少ない言葉数で、濃度を濃く共有したいと思っています。
が、今日はその真逆なことをやってしまいました。
ふと、現場職員から問われた「未来プロジェクトの構想教えて」
現在、森の保全管理をしながら事業としても成立するスキームを考え、それを根羽という名前にかけて「ネバーフォーレストプロジェクト」と呼び構想を練り上げているのですが
大きなビジョンはあるのですが、そこに到るまでのロジックや想いを支えるリサーチや数値はまだまだ不足しているのです。
その中で林業の現場職員と雑談している時に、ふと問われたのです。
「ネバーフォーレストプロジェクトっていう名前をこの前見たのだけど、そのプロジェクトって具体的に何やるの?」
ふときた、キラーパス。
思わず額から出てしまう汗。
そして心の中で現れる
「やばい、現場をやっている人に下手なことは言えないなあ」
という自己保身。
その結果
「えっとですねえ・・・実はまだまだ構想を考えている途中なのでですが・・・(ぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ)」。
もう入りの言葉から言い訳のようでダサい!全然シンプルでもなく韻も踏んでない平ったいフェーズ。そしてぺちゃくちゃぺちゃくちゃ遠回し。言葉を発しながら目線もめっちゃ顔色伺う。
もうだっさい、だっさい。
喋り終わったその瞬間から後悔の念が頭をよぎり、超消化不良で夜中にnoteに書きなぐってます。笑
新しいことをやるのになぜ、相手の納得を求めてしまうのか
2度と同じミスを起こさないために、学びにまで落としこむ。
この現象を振り返ると、自分のアイデアに確証を持ちきれてない時は、相手の納得を得ることでアイデアへの確信を深めていく癖がある。
自己承認欲求高めな僕の場合、その癖がなお強い。
でも、冷静にこの状況を捉えてみよう。そもそも新しいアイデアを作る時、果たして本当に納得を得ることがいいことなんだろうか。しかもあまり前提を共有していない相手に。
むしろ納得を得られた場合、それって「誰でも考えられるアイデア」の想定内になっている可能性があり、ありきたりな結果になる可能性の方が高いことも。
だから、相手が納得するかしないかは「サンプル程度」でとどめておく。そしてサンプルを持ち帰って自分の思考の深度を持つことで、より確証を得るようにする。
よし、この捉え方なら、学びに消化できそうだ。明日からサンプルに捉えよう。
とはいえ、後悔を処理仕切れなかったのでツイートしたら、反応もらえて嬉しかった(笑)
でも、twitterの共感ってうれしい。自己承認欲求を手放すのは難しいもんです。笑
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