徳光の知り合いは多分、旅先のかわいい私の事なんて忘れている
初めまして。私のことはまたいつかお話します。今回は旅の話をします。
道頓堀、徳光の知り合いとの邂逅
もう数ヶ月前のことですが、生まれて初めて一人旅に行きました。ついでに言えば、生まれて初めての大阪でした。ヘッダーはまさしくそのときの写真です。皆さんご存知道頓堀ですね。他にも色々な思い出があるのですが、特に思い出されるのは帰宅前夜に行った道頓堀でのことです。
飯はうまい、声掛けてくる兄ちゃん(スカウトかナンパ)がおもしろい、多分なにかの誇大妄想を持ってるおじいちゃんに話しかけられたのもおもしろい…という感じで、ありがちな感想ですが、道頓堀観光は楽しいものでした。ちなみにおじいちゃんは旅先特有の浮かれたノリで百均のペンライトを買って振り回していた私に、ずっと自分が徳光和夫(ほか数名の有名人)の知り合いであると主張していました。この記事で「徳光の知り合い」が出たら、以降は彼のことだと思ってください。
でも、それだけ。そう思ったのは、帰りに梅田で高速バスに乗ってすぐのことでした。おじいちゃんはたまたま通りすがりの私に話しかけただけで、私はそれになにか巧妙な返しができたわけでも、その体験を記録してバズらせることができる訳でもない。そしてあの様子で多分深酒をしていたので、もう今となっては彼には私の記憶なんてまるでないのでしょう。それは彼だけの問題じゃありません。大仰な言い方をすれば、彼や、彼を内包する大阪という町は、日々少しずつ私のことを忘れていくわけです。あるいは、もう私が東名高速道路でいびきをかいている頃には、私のことなど誰も覚えていないかもしれない。
こういう状況にあって思うことは人それぞれでしょうが、私がその時覚えたのは、紛れもない恐怖でした。それも疲れた頭にとっては全く名伏し難いような、根源的な恐怖です。そして疲れた体を安くて硬いリクライニングシートに預けて、翌朝肩と背中をバキバキにしながら新宿駅に着きました。総じて言えば、いい思い出でした。
旅先の私は、確かに産まれてから一番可愛かった
しかし、問題はここからでした。よくある話ですが、私は日常に戻れずに、腐れていたのです。朝起きて、いつもと同じ通学路で、同じ講義を受け、同じバイト先に行く。そこに特別なものは何もない。人によってはここで淡々とした日常の中に上手いこと刺激を見つけたり取り入れたりするのかもしれないのですが、私は違いました。
旅先に戻りたいという感情によって、私の精神的な不調はいっそう増幅しました。旅に出るまでは「いや言うても私今度一人旅するしな…」という感じでもてていた余裕も、家で荷解きをする時のストレスと共に砕けたのです。振り回していたペンライトが電池切れになって見つかったのも、私のテンションを落とす助けになりました。徳光の知り合いの思い出を呼び起こしたんですね。
終わったあとの生活を悲惨にした一端は、旅先の私はいつになくめかしこんでいて、ハイテンションで、垢抜けていたことにあります。大阪に居る間、私は普段使わない高い香水をふって、髪の毛を巻き、普段使わないアイシャドウと二重のりをしていました。さながらメルトのサビ前です。然るべき人が目の前に現れたら、恋に落ちてしまうような勢いがありました。過去形です。
しかしその努力も、「誰も私を覚えてない」という結果を前に、日常には何一つ還元されませんでした。私の知る限り私の人生には挫折が付き物なのであまり驚くことでもありませんでしたが、凹みはしました。
ここで終わらないので、私は文章を書いています。
内カメラ越しの私が見せたもの
事態が動き始めるのは、旅行が終わって半月は経った頃です。私は相変わらず代わり映えのしない日々を送る中で、スマホの写真を整理していました。そして、奇妙な一枚の写真と出会うのです。
ぶっっっさ。
コミュ抜けるわ、まで頭に浮かびましたが、それは言葉にしませんでした。私とはいえ可哀想なので。画面の中には、どうしようもないほどの私がいました。髪をボサボサにした私は、ドンキの前辺りで半目になりながら笑っていました。
私は私を笑うことで、一時的にも救われました。ああ、化粧して可愛くしたのに忘れられたなんて物語はなかったんだと。いつも通りの冴えない私が、話しかけられて、ただ忘れられた―――むしろそんなバックストーリーを想起させるような、力のある一枚でした。無論笑っていられるのは最初の数秒だけです。
今まで自分のことを散々不細工だ、芋だと笑ってきましたが、この時は違いました。自力でどれだけ可愛くしても、外から見たらこだわりのない不細工に変わりないのです。
自分にとっての特別が誰かにとっての特別とは限らないし、逆もまた然りでしょう。それでも、時期が違うとはいえ、私にとってさえ特別でない私は一体何だったんだ……?と、私は新たな悩みに直面しました。そして枕を濡らしながら眠りにつきました。
幸いなことに、お悩み解決のレベルではこの問題は直ぐに解決しました。写真を見て寝付きの悪い夜が明けたあと、私は写真館の予約サイトを見に行きました。私自身のために、私が自信を持って「この時の私は可愛かった」と言える時間を作りたかったのです。実際この試みは成功し、私のコンプレックスはひとつ決着したと思っています。(この話はまたいつか)その時の自撮りも客観的に可愛いかどうかは微妙なところですが、主観的に見れば間違いなく可愛かったです。
「忘れないで」と言いたかった
可愛いにまつわる問題を解決したあとしばらくして、私は再び忘れられるということそれ自体について悩む羽目になりました。正しく今がそうです。
自分から離れた問題として紐解く限りでは、私の感じた恐怖は単純な構図の中に収めることができるものです。しかし、自分事としての悩みはそう単純に行かないものです。
「忘れられたくない」と思ったところで、どれだけ自分にとって特別なものであったところで、人はいつか人のことを忘れます。というか、人はいつか誰にも忘れられる日を迎えます。旅先に関わらず、忘れられることこそが人生だとさえ言えるかもしれません。
ただし、現実を生きる上では、忘れられるということは(何らかの免疫を持たない限り)恐ろしいことです。私だって未だに怖いです。「私は忘れられにくい存在に近づいたぞ」と思ったところで、長い目で見ればそれは無駄な努力かもしれません。
それでも、そうであろうと、「忘れないで」が言いたくなる日は来ます。まだ来たことがないあなたにも、多分。私だってまさか、徳光の知り合いに対してそう思う日が来るなんて、夢にも思っていなかったので。