プロレスはひとりでできない。まさにフォリ・ア・ドゥ
プロレスはひとりでできない。まさにフォリ・ア・ドゥ
39年生きて来てしまいました。
そんな39歳のお話を上の記事で書いてます。
そんな中の人です。
folie à deuxをdeuxした。
そんな中のひとです。
上記のクリエイターページ(note.)の記載内容では、
引用記事にも書いていますが、
4月よりマレーシアにて生活を送っております。
39歳を、30代最後の1年のスタートの日を
アメリカで過ごせたらなんかイイな。
と思って、行動してしまった日から1年が経とうとしています。
そのことがちょこっとでも気になったら、
こっちには書かないので、
引用記事に眼を通していただければ嬉しいです。
無料部分”だけ”で読めます。
そんなアメリカから帰って来てから放置をかましていた、
こちらのクリエイターページ(note.)では、ありますが
言葉が降りてきた。降って来たので、
とカッコよくかましたいですが、
一般凡人にはそんなこともなく。
でも、プロレスを追ってることを書いていたら、
プロレスってまさに「folie à deux」だなぁと思ったので、
書き切れるのか、そもそも書けるのかというお話ではありますが、
徒然なるままに
folie à deux
folie à deuxは、
フランス語で「2人狂い」という意味で、
ひとりの妄想がもうひとりに感染し、
2人ないし複数人で妄想を共有することがある感応精神病のこと。
プロレスは共犯なんです。
リング上の二人が
ではなく、リング上と観客とが
リングの上の「2人狂い」
がつくる
リングの上の「2人狂い」
を共有すること
なんです。
プロレスを元々、ボクは通って来てないんです。
プロレスを元々、ボクは通って来てないんです。
現在、進行形だけれども「青木真也」を追っています。
引用記事のキーマンであったりもするのですが、
家でたまたま”WOWWOW”に入っていたので、
なんとなく「RINGS」がかっこいいなと、
ヴォルグ・ハンや田村潔司がかっこよかった。
ギリギリ「KOKトーナメント」が始まる前の頃にね。
観てたと言えるレベルで観てはいないし、
選手の名前も後から覚えた感じ。
ヘビー級の『K-1』が日本で格闘技を盛り上げられ、
まだ「立技」とか「総合」とか切り分けられる前だ。
何の気なしに中学生の頃は見ていて、
同級生は「K-1ファイター」目指すとか言い出して、
開脚や柔軟性を上げて行ったり、空手習い始めたみたいなこと言ってたが、
一緒の高校に結果的に上がって、当時の部活「ハンドボール部」に入って、
空手の「か」の字もどこへやら、数ヶ月で「ハンドボール部」も辞めてしまって、いつしか「帰宅部」に
数人で一緒に高校へ行った、中学ハンドボール部の同級生も結果的に3年間続けたのはボクだけ、元々自分一人だけで行くつもりだったのだけれど、
色々あって同級生も、
ここのことの話も、高校の部活の話も「ただ苦い」だけの、
焙煎も抽出も失敗をしてしまっている「深煎り珈琲」みたいな話になってしまうので、
本編に逸れてしまった話に戻していこうと思う。
「対お客さん(観客)」の表現があるのが、
「プロレス」(≒)『RINGS』『UWF』
「総合(格闘技)」は勝ち負けを観せる。
単純に”自分のことだけ”考えていればいい
自分の持ってるパフォーマンスを「リングに」「リング上に」発揮すれば良い。
そういう意味では、桜庭和志は「プロレスラー」として「リング上に」て発揮していたのかもしれないけれど
「青木真也」を今でも追い続けているが、
「総合格闘技」を観てきたボクが「青木真也」を追ってきた結果、
「プロレス」に行き着いた。
でも、書き出してふと思ったのは、
「RINGS」からであったり、「田村潔司」がカッコイイと思っているのは、
プロレスからの入りであるし、『回帰』するのは必然なのだと思う。
青木真也に『UWF』という「格闘芸術」を
『「UWF=「田村潔司」』と言わしめてしまう説得力。
「プロレス」という「表現」「格闘芸術」、『総合芸術』
ボクは上記の「RINGS」という、視聴フェイズを除くと、
入りは「DDT」です。
「DDT」は『文化系プロレス』と揶揄されてしまう部分もありますが、
しっかりと「強さ」を表現されているし、ボクが観始めた”近年”はより、
「強さ」が表現され、「HARASHIMA」がエースとして、引っ張ってきて、
「竹下幸之介」や「樋口和貞」などなどが台頭してきて、
「強さ」が他団体に引け劣らないようになってきたタイミングである。
「あの」サイバーファイトフェスの日は
分水嶺になったのかもしれない。
ボクは「新日本」を通ってきていない。
新日本プロレス、全日本プロレスそして、プロレスリング・ノアを通ってきていない、
もちろんインディーと言われる団体も、
↑この日をキッカケに、DDTの会場に脚を運ぶようになった。
この日もさいたまスーパーアリーナにいた。
”自分の持ってるパフォーマンスを「リングに」「リング上に」発揮すれば良い。”と言う点で見ると「プロレス」であったのか、
この一件で「強さ」の流れから、DDTの「原点回帰」の流れに戻って行ったという「見方」や「考察」がされがちであるが、
個人的には「違う」と思っている。
結果として、遠藤哲也は「竹下幸之介」から取った団体最高峰を返上、
団体のシングルトーナメント(KING OF DDTトーナメント)も出場回避となってしまう。
「強さ」の表舞台からも遠藤哲也は遠ざかってしまった印象は
正直あった。
「あの日」同じリングに立っていた「樋口和貞」が同トーナメントを制し、ベルトを戴冠する。
そして団体の「強さ」を(遠藤哲也のこととともに)背負う。
樋口和貞、火野裕士、クリス・ブルックス、上野勇希と「強さ」のバトンが紡がれる。
DDTの「原点回帰」はHARASHIMA選手の後の、「竹下幸之介」が渡米し、
所属ユニットの「The37KAMIINA」の台頭、上野勇希、MAOの強くておもしろいと言う2軸がしっかりと表立ってきた事。
重ねて「DDTの強さ」KONOSUKE TAKESHITA日本だけではなく、アメリカでも「強さ」を誇示しているからである。
今年は新日本プロレスの夏のシングル最高峰「G1 クライマックス」へ出場し、準決勝まで駒を進めたし、DDTと合わせて所属で今の主戦場「AEW」でも遂にベルトを戴冠した。
青木真也を追い続けることで、
思わぬ「副産物」に出会い。
「ひつま武士」となり、「ひつま武士の特攻隊長」を名乗ると言う。
ある種の「精神疾患(アタオカ)」を発症するまでにいたっているのだ。
「リングの上と共犯関係」=folie à deux
プロレスはまさにフォリ・ア・ドゥなのです。
まとまっていないけれど、「精神疾患」に関して徒然と、
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