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讀書餘錄(中)

    (三)

「小泉八雲全集」は僕の終生

愛讀書の一つである。當今粗

雜なる全集中に於て、裝幀内

容共に燦然と光つてゐる。こ

の本の裝幀は從來金ぴかの第

一書房好みに反して、甚だ澁

く日本的である。さうして内

容も普通の飜譯書とは大いに

面目を異にしてゐる。集中の

一巻「小泉八雲傳」は田部隆次

氏の記述である。甚だ面白か

つた。八雲といふ人物は甚だ

單純な人物であつたらしい。

それは彼と出版業者やその他

の對人關係などに最もよく現

はれてゐる。彼の作品は特異

で魅力がある。さうして文体

は純粹で美しい。彼の生活に

は策略などといふものは一點

も認められない。生活のゆたか

なかつた時代に於ても己れの

所信を曲げずに敢然事を爲し

てゐるのは珍重である。僕は

この全集が十八册揃ふのを樂

しみにしてゐる。

「漱石の思ひ出」は夏目漱石

氏を愛讀する僕の興味から買

つた本である。漱石氏夫人の

口述であるから、最も眞實に

近い漱石氏の日常生活記であ

らうと思ふ。期待してゐた面

白さだけは十分にある。漱石

氏とその周圍とのユーモラス

な生活の記述など笑讀せざる

を得ない。

「西方の人」及び「大導寺信

輔の半生」の二册は共に例に

依つて小穴隆一郎氏の裝幀であ

る。殊に後者は著者自殺の際

の衣服の模樣を以て裝したも

のださうである。芥川氏の作

品集としては比較的面白くな

いし、自殺直前の作品が多い

ため陰鬱であるが「玄鶴山房」

や「河童」などは不相變愛讀す

べき作品である。著者の死因

に就いては僕のよく知るとこ

ろではないが、「齒車」などとい

ふ著者の自殺間際の作品を讀

んでみると、全く神經衰弱の

爲めとより他想像出來ない。

文學者としては随分複雜な頭

を持つてゐた芥川氏は、その

實生活に於て、或は處世術に

於ては案外つまらぬことにく

よくよして、その點では考へ

が單純だつたやうに思はれる

それは「大導寺信輔の半生」と

いふ未完成の作品によく示さ

れてゐる。が、そんなことなど

はどうでもいい。僕は選集を

除く芥川氏の單行本は全部持

つてゐるが、これらを書棚に

並べてみると實に美しいいい

氣持である。本以外のもので

こういふ精神的な美しさを持

つてゐるものは恐らくないと

思ふ。上記二書は一册二園で

あるが、裝幀だけを買つたと

しても十分二園の價値はある

芥川讀者必買の本である。

「高橋是清一代記」は朝日新

聞社出版で、もともと新聞社

の出版物は裝幀印刷共に粗雜

であつて、僕は嫌ひなのであ

るが、小泉八雲傳を讀んで傳

記を好きになつてゐる僕は、

出版されるとすぐこの本を買

つてみた。由來、新聞社の出

版書にはどれもこれもろくな

裝幀はない。前述の「その他」

などは割りに氣の利いてゐる

方である。この「一代記」も本

の感じは甚だ好くないが、讀

み出したら面白くてやめられ

ないものである。三十才以前

の高橋氏は、實に數奇の運命

に弄ばれてはゐるが、明治

維新時代には、相當に努力し

て相當に頭が好かつたら、出

世は案外に容易であつたらし

い。今のやうに人が江て了

つては必死の努力をすれば人

並の生活が出來るかも知れな

いといふ位で、當時のやうに

政府が人材を探すなどといふ

ことは今では夢にひとしい。

高橋氏が大酒呑みで、放蕩家

で無茶苦茶をやり、藝者家の

箱丁はこやの眞似までしたことを讀

んで、實に面白い人物だと思

つた。とに角この傳記は氣取

つたところや、偉らぶつた點

もなく、どことなく樂天的で

朗らかな調子があつて、僕の

愛讀措く能はざる本である。

少說以上に面白く、處世上有

益である。青少年諸君の必讀

をお奬めする。

「天馬の脚」は室生氏の随筆

集である。これは著者と裝幀

好みとで買つた本であるが、

この中に収錄されてゐる文章

は以前とまるで感觸が異つて

來て、妙に固苦しいものとな

つてゐる。凡そ氏の如くその

文体の變つたひとは珍らしい

氏の「性に目覺める頃」前後の

諸作や「庭をつくる人」時代の

随筆がはるかに僕には好もし

く思へる。


(越後タイムス 昭和五年二月十六日 
    第九百四十六號 六面より)

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ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵






※見出し画像は 加藤タカシさん作、引用元(キリヌケ成層圏
 を使用させていただきました。(高橋是清)

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