[番外編]ペリカン書房訪問
(一錢亭文庫、運営者記す)
2023年4月10日、月曜日、本郷赤門前の落第横丁にあるペリカン書房の品川力さんご次男、品川純さんを訪ねました。
一錢亭の日記の最後の方にあるアドレス帳には品川力さんの住所は、本郷区本郷六ノ23赤門前晝夜銀行横、と記載されています。これはペリカン書房を品川力さんが開業する前に営んでいた「ペリカンレストラン」があった住所で「ペリカン書房」はそこから1~2軒離れた場所にあります。
1923年に建てられた晝夜銀行の建物は関東大震災を経て現在でもその姿を残しています。
晝夜銀行はその後、安田銀行などを経て、現在はドイツ語関連の出版社「郁文館」のビルとなっていると純さんが教えてくれました。
品川力さんのご次男、品川純さんとは2022年に電話で何回かお話していました。2022年の夏から秋頃にお伺いする予定だったのですが、当時、コロナの第七波の真っ最中だったので、延期しようという話になり、コロナも落ちついてきた今回の訪問となりました。
ペリカン書房の看板は今もありました。
中にお邪魔すると、ペリカン書房の金文字看板が。これは越後タイムスの創刊や編集に関わった、勝田忘庵(加一)さんが、品川力さんのペリカン書房開業に際し作成したものです。
金文字看板のある更に奥の書斎に案内してもらいました。
品川力さんの写真や品川工さんの版画やオブジェなどがところ狭しと飾られていました。2万冊以上あった本は、2006年に力さんが亡くなった後、3年間はそのままにしていましたが、その後、近所の古書店に引き取ってもらったということです。
ペリカン書房の建物は昭和14年の開業前からあったもので、築百年以上だそう。ペリカン書房がある通りは落第横丁といい、戦前は下宿やカフェ、ビリヤード、雀荘など一通りの店が揃ったにぎやかな繁華街で、東大生がそこで遊び呆けていると落第してしまうということで「落第横丁」となったとのことです。横丁の入口に戦後も「落第横丁」の看板が残っていたそうですが、老朽化のため撤去されたということです。
純さんは古いアルバムをたくさん出してきて見せてくれました。
その中に一錢亭が写ったものを見つけることができました。
昭和17年に藤田美代さんが麹町で開催した新潟県人会の集まり、「柏崎倶楽部」第一回の会合の集合写真です。雑誌のコピーでは不鮮明な写真ですが、実物の写真がありました。左端前に写っているのが、一錢亭、その隣の着物の女性が品川陽子(約百)さんです。後方中央、サングラスの男性がかの有名な柔道家でタレントの石黒敬七さんです。
もう一枚、貴重な写真を発見。
左端が一錢亭、かなり若い時の写真。大正末期くらいの写真でしょうか?
隣がこのブログにもよく登場する野瀬市郎さん。アルバムの右側にはエドガー・アラン・ポーの写真も貼り付けてありました。
菊池の池が地になっているのはお約束。ツトムさんが一緒に写っていないのが残念。
純さんは本を三冊プレゼントしてくださいました。
2019年11月から2020年2月にかけて練馬区立美術館で開催された力さんの弟、品川工(しながわたくみ)さんの「没後10年 品川工展 組み合わせのフォルム」の図録。
1996年に練馬区立美術館で開催された、「現代美術の手法[2]メディアと表現]品川工・山口勝弘」図録。
品川陽子(約百)詩抄
10.5×14.8cmの和綴じの本。平成25年(1913)柏崎ふるさと人物館で「第34回企画展 本の配達人 品川力とその兄妹」開催された際、柏崎市立博物館学芸員の池田さん、早川さんが品川陽子さんの詩をまとめ、作ってくれたそうです。8部のみ作成され、親族の方々にくばられたという稀少本。未公開のものも含め、45篇の詩が収録されています。今回、陽子さんの詩を「一錢亭文庫」にて紹介させていただくことを純さんよりお許しいただきましたので近日一篇づつご紹介していきます。
純さんは物腰が柔らかい方で、丁寧に様々な貴重なお話しをしてくださいました。帰り際「部屋の写真を撮っていいよ。」とおっしゃり、マスクを取ってくれました。
純さんありがとうございます!
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