吾日記序文(原文)
――㐧一書房自由日記銘――
自分は、今までにいくども日記を書き綴らうと思ひ立った。
さうして、気まぐれに書店の棚から一册の日記帖を買って来て、
多少子供じみた嬉しい気持ちで新らし一頁から順々に、自分
の生活を記錄してみた。然し、自分の倦み易い心は、それらの
一册を、即ち自分の一年間の生活を完全に書き續ることが
出来なかった。何月何日といふ風に、限られた一日づつの頁の
なかに、必ず何か書きつけなければならないといふ一種の
義務的な圧迫を感じ、自分はいつのまにか、その日記帖を
投げだしてゐた。
こういふ結果になるのは、自分に日記を書く趣味がなか
ったことが最大の原因であった。自分は日記を書くには不適
当な人間である。
自分は只、日記帖―さまざまな装ひをした日記帖が書店
の店先きに竝べられる、年の暮れ近くの、あの慌だしい賑かな
雰囲気が、奇妙に好もしかった。その頃街を散歩すると、
不思議に――来年から自分もひとつ日記をつけてみやうか
な―といふやうな漠然とした気持を覚えるくせがあった。
こういふ気まぐれな心持から日記を書くわけだから、到底
長つづきがする筈はない。日記を誌して後年の参考にす
るとか、將來の戒めにするとかいふ殊勝な心懸けは毛頭
ない。歳暮の買物をかかへて急がしさうに往来する人びと
に交って、日記帖をぶらさげた自分がゆっくりと、銀座の
鋪道を散歩してゐるところを想像し給へ。自分は只、
日記帖を買ふといふことだけに滿足してゐるわけである。
毎朝九時に勤め先きへ出て、日が暮れてからかへり、
夕刊を讀んで、ラヂオをきいて、本をすこし讀んで、貸金
や借金の整理をして、ひるの疲れで十一時にもなるともう
眠くなるやうな自分の毎日の生活を書き綴ってみたと
ころで何の役にもたつものではない。一昨年、三年間日記
といふものを買って、それは一頁を三つに別けて、三年間の同
日に起ったことを一頁のうちに見ることができるやうに仕組んだ
ものだったが、これは便利なものだと思って、どうやら一年間
は書いてみたが、次ぎの年になると、昨年と少しも変らない。
もの憂い、無為な、退屈なことがらを同日の欄に書く
ことが嫌になって、この日記もつづかなかった。
ところが、自分は、今年の五月に、藤田貞三氏夫妻の媒酌に
よって、栃木県思川の辺りのひと森友忍君と婚約し、
十一月十六日結婚式を擧げた。これは自分の一生に重大
な変化を与へるものであることは否定できない。今迄の
自分の生活は蟬のぬけがらのやうなものでしかなかった。
自分は払ひのけることのできない根強い厭世的感情に
つきまとはれて、底知れない不安を抱いてもがいてゐた。
自分はどうかして、こういふ意気地のない生活から脱出
したいと相当に苦心をしたつもりである。然し、その努力は
殆んど徒労であった。
ところが、この緣談は急に自分を明るくした。自分の気力を
活いきとさせ、自分の体内に新鮮な生活慾望を、注ぎかけて
くれた。
自分は、輝かしい歡喜の気持に充ちて十一月を待った。さうして
今ではもう結婚後十日を通してゐる。
自分の生活は昭和四年十一月十六日以後更生の㐧一歩を
踏み出したわけである。この意味で、自分は、以前のやう
な気まぐれからではなく、眞けんな気持で、日記を書き
綴らうと思ったのである。
これからの自分の生活といっても、その大分部は昔のとほり
無為な繰返しにすぎないであらう。それらを一いち刻明
に書くことになれば或は再び根負けをするかも知れない。
自分はこの点を考へて、今後は、自分の生活に起った特
種なことがら、或は又、心から日記を書きたくなったとき
だけ、自由な気持で書けるやうにしたいと思った。
㐧一書房の出版書は目下の日本出版界に於て確かに
特異な存在である。
自分のやうな日記者のために出版せられた㐧一書房自由
日記は、以上のやうな目的にうってつけのものである。
精神生活の豊富でない、むしろ物質生活の從者のやうな
自分の生活記錄でも、この高雅な書册に誌されたならば、
多少の光輝を発するにちがひないと信じる。
或はこの一册を一年たたないうちに書きつくして了ふかも知れ
ない。わるくすると、十年も二十年も、それどころではない自分の
一生の終るもで、これを埋め得ないかも知れない。
何れにしても、この中で、自分は虚偽は書かないつもりである。
正直な、ひたむきな生活記錄――これがこの日記をかき始
めるに際しての自分の只一の心願である。
昭和四年十一月廿七日夜
菊 池 与 志 夫
(日記より)
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