「柏崎くらぶ」第二回懇親會感想錄
◎ 菊池與志夫
日曜日午後三時半開會と
いふ集會は珍らしい企劃だ
と思つたが、主催者の眞意
は私には分らず終ひであつ
た。ほんたうに會が始まつ
たのは、彼是、六時近かつ
たからである。
古ぼけた、どことなく間
の抜けた、だだつ廣い座敷
の緣近く座つて、五月晴れ
の午後をぼんやりと滿目の
若葉に見入るひとときは、
この日ゆくりなくも、山本
元帥の遺骨を帝都に迎へ、
その壯絕無比の御最後を偲
び、皇國民の一人として、
涙涸れ果てるまでの悲しみ
と、己が胸をかきむしつて
敵米英に投げつけたいほど
の痛恨激怒の心を、幾分和
らげてはくれたが、軈て、
大崎敎信氏の聲涙共に下る
山本元帥への思慕悲痛の御
話をきいた時私のか細い握
り拳には油汗が絕えず滲み
出たのである。石山賢吉氏
の石山イズムとも謂ふべき
物の觀方と考へ方による御
講演も思はぬ収穫であつた
この御二人に話は、席上を
緊張せしめ、嚴粛にしたが
聯合艦隊司令長官の最重責
にある方が、航空機戰最前
線に於て、作戰指揮をとら
れ、遂に散華せられたとい
ふ、實に吾われの常識を超
へた、容易ならぬ、戰局の
重大さに思ひを到せば當然
のことである。
去年の柏崎會から早くも
一年の歳月が流れ去つてゐ
る。今年もなつかしい、中
村葉月氏にお會ひ出來たの
は何よりも嬉しかつた。今
年五十三歳だと云はれる氏
は、その風貌聲咳共に、ど
ういふ譯かこれ迄になく、
明朗で快活な印象をうけた
のは不思議である。私は氏
よりも十年若いわけだが、
人間も五十を超えると、ど
んな執拗な憂鬱症も影がう
すれて行くものだといふ實
證を氏によつて確認して、
私自身もその例に洩れざら
んことを心中ひそかに祈つ
た。當夜の野島壽平氏はど
ことなくいつもの御元氣が
なかつたやうに思つた。私
の敬慕する平野敬司氏と田
村喜代太氏の御姿が見えず
終ひだつたのは寂しかつた
表面的に、さうして又、
性格的に鮮明な印象を受け
たのは、猪俣浩三氏、山田
貢氏、北川省一氏、田村夫
人の方々であつた。その間
にあつて、主人役の藤田美
代子さんは、不相變、秋の
野路に咲く桔梗が風に吹か
れてゐる感じであつた。
昭和十八年五月二十八日夜
(「柏崎」會報No.24
昭和十八年七月丗一日發行 より)
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※「柏崎」會報はNo.26 昭和十八年九月を最後に休刊となったようです。
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