王友編輯者月旦
本 社 菊 池 一 錢 亭
△佐 上 富 造 氏△
澁柿ににてむつつりと澁い顔は近づきがたい
が、時に銳い警句を吐き、忽ち破顔哄笑――か
みしめると味のある文章を書く人で、ちょいち
ょい脂ツこいところがほの見えるのが、玉に瑕
の惡趣味だといふことですが、今のところは、
これが一つの身上だとも云へないことはありま
すまい。然し乍らこれとても、もう十年の年輪
を加へて、ホルモン分泌不充分を、かこち顔と
もなれば、枯れるところは、程よく枯れて、谷
水に樹間洩る月影の如き、淡々たる心境に到ら
れること請合です。
俳號は御承知の通り迷汀――俳人に似合はざ
る寡作家で、心温い感じの句をつくる人です。
△村 上 藤 太 氏△
太い黒ぶちの眼鏡のレンズの奥で、黒水晶の
やうな眼玉がくるくる動くと、眉毛が寄り合
ひ、鼻がぴくつき、耳がぴんと立つて、顔ぢゆ
うが、木馬舘の木馬のやうに一齊に動く――恐
ろしく神經質な風貌を持つ人で、この顔そのま
ゝな歌や詩を書きます。
風雨に狂ふ怒涛のやうな、或はヴアン、ゴツ
ホの向日葵のやうな、裝甲列車のやうな作風
で、一口に云ふと、村上君の表現は、異常な精
神燃焼の上に鋼鐵の服をまとつてゐるのです。
讀者がまごまごしてゐれば、忽ち波浪に呑ま
れ、レール上で胴體眞二つ鮮血の噴水です。背
の高いのは山上の一本杉、首から上の形は鶴の
とさかの感じ、すつくと立ち上つた時は、颯爽
たる鎌倉武士の面影があります。
△土 肥 次 郎 氏△
每日曜日グランドのダイアモンドを駆け廻つ
て、シヨート、レフト、センター、ライトと一
人四役を引受ける程駿敏な野球選手と云つて
ら、茶褐色に焦げついて澁紙顔を、想起される
でせうが、これは亦、大理石像も及ばぬ、白哲
美貌の持主、文體もその通りで、甚だ陳腐な云
ひ草ですが、プレインソーダ水程新鮮(フレッ
シュ)で、若鮎のやうにすまーとで、誠に前號
の「氷上アラベスク」を讀んでごらんなさい。
胸やけがする時に、重曹、苦味丁幾をのむやう
な爽快さを與へます。この人は餘り書いたもの
を發表しませんが、ジウル、ルナアルの「葡萄
畑の 葡萄作り」に匹敵するものを書ける腕を確
かに持つてゐます。
△矢 部 隆 常 氏△
すつきりと綺麗な、羊のやうな感じのするテ
ニスマンで、林長二郎などに血道をあげる女共
に見せてやりたい程の美男です。
顔を百分の一勾配位に傾けて、靜かに話をす
るのが特色ですが、それてゐて、フアイテング
スピリツトは百パアセントです。
文藝百般に通じ、且つBAKUSAI豊富で
す。あの水際立つた男振りで、若しこの人が、
長谷川仲氏の股旅もの時代に生れてゐたとすれ
ば、差詰、多分にペーソスを持つ、やくざ渡世
の主人公になるべき人です。この人も餘りもの
を書きませんが、
「一體お前さんは、なんといふ人で、さうし
てどこから來なすつた?」と問はれて、
「さう云はれて名乗るほどの者でもござんせ
ん。ほんの盆業のしがねえ渡世の者でござ
んす。」
と、あの齒切りのいゝ受答のひゞきが、氏の文
體にほの見えるのは流石に爭はれぬなあと思は
せます。
△靑 木 榮 之 助 氏△
强度の近眼鏡と風貌のどこやらが、おそれ多
いこと乍、秩父宮樣にそつくりで、何んと云は
れても怒るといふことのない、圓滿無比の人物
です。久米正雄の微苦笑とは、こういふ人にふ
さはしい言葉でせう。書をよくし、仲なか味の
ある文字を書きますが、忙しいと云つては文章
の方は容易に書きません。菓子通で、この人は
ぽつりぽつりと菓子の話を始めると、ひとりで
につばきが湧いてくるほどです。遅筆家だと思
つてゐましたが、前號の「惠まれたる一日」と
題する運動會の記事を一時間足らずで書き上げ
た腕前は立派なジャーナリストです。殊に他人
の文章に筆を入れる技能の巧妙さは編輯者中こ
の人に及ぶ者はありません。
△筑 紫 武 雄 氏△
本號から登場の新人編輯者です。「王友」誌
上のカツトは殆んど全部氏の作品であります
が、單に繪畫才能に秀抜なばかりでなく、ラグ
ビー、野球、テニス、スケート、その他あらゆ
るスポーツをよくし、それが悉くものになつて
ゐるといふ、驚ろくべき多技有能の靑年で、誠
に羨望に堪へない存在であります。斯る起弩級
艦的カロリーの源泉はどこにあるかと申します
と、それは新丸子グラウンドに於ける晝飯が常
に八杯以下の記錄がないといふ一事が立派な證
據であります。本號以後「王友」編輯にも馬力
をかけてくれる筈ですかr,舊來編輯者の行詰
つた編輯上のマンネリズムを打破し、雜誌の面
目も一新することゝ信じます。讀者諸氏も割目
して氏の手腕に期待して下さい。
(昭和十年十月稿)
(「王友」第十一號
昭和十年十二月三十日發行 より)
紙の博物館 図書室 所蔵
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