「王友」第十一號 編輯後記
◇ ◇
◇もう旬日のうちに暮れてゆく押しつまつた
氣分、慌しい街上の往來―僕はこういふ、師走
なかば過ぎの雰圍氣が、何んとなく好きだ。火
桶を抱いて「王友」の校正刷を赤インクだらけ
にし乍ら、夜の更けるのも忘れる。随分めんだ
うな仕事だが、心は樂しい。
八時から十時頃迄は、晝の仕事の疲れが出
て、ともすると居眠がちだし、未だ街がざわめ
いて、ふとその方に氣をとられると、今頃銀座
は暮れ氣分で賑かだらうなあなどゝ空想して、
落着かないが、柱時計が、十二時を打つ頃にな
ると、あたりは森閑として、急に寒さが身に泌
み、眼も冴えて來る。屋根瓦が、ミシミシと凍
る音がきこえる程寒い晩だ。時どきペンを捨て
て、一體霜が降りるのは、何時頃からだらうと
考へたりする。雨戶の隙間から月かげが洩れ
る。星のまたたきがチカチカと眼をさす。
こういふ幾晩かを續けて行くと、ゲラ刷の頁
數も追々にふへて、校了になる日が樂しみにな
る。
◇今年の王友倶樂部の発展を注目して欲し
い。講演部は、下半季に二回の大講演會を開い
て好評を得た。吾われの生活が忙しくなつて、
ものを讀むよりも、耳できく方が手取早いと考
へるやうな時代になつた來たためであらうか、
二回とも非常な盛會であつた。今後も機を見
て、あらゆる方面の名士の話をきく考へであ
る。スポーツでは、バスケットボールの强チー
ムが生れたし、趣味の集りとしては、寫友會が
出來た。正に王友倶樂部インフレ―ション時代
の感がある。
◇社友諸氏の努力によつて、號を追ふて「王
友」の頁數が増へてゆくのが嬉しい。本號など
も、ごらんの通り、身動きが出來ぬ程、ぎつし
りつまつてゐる。社内雜誌として、これ程、堂
々たるものが他にあらうか。三億圓増資をお祝
すると共に、「王友」の盛觀をも社會に誇りた
い。
◇例に依つて、編輯雜感を簡述する。前號は
締切におくれた原稿が多かつたので、編輯上遺
憾の點があつたが、今度は、比較的締切日を嚴
守されたので、體裁、組方等に相當工夫をこら
すことが出來た。先づ第一に、本號から、驚嘆
すべき天才作家、筑紫武雄氏が、新進編輯者と
して登場され、同氏作のカットを思ふ存分使つ
たので、誌面を明るくし、優雅な感觸をただよ
はすのに、効果があつた。
本社寫友會員並びに、地方カメラマン諸氏
の、力作光畫八點を得たのも、本號の一異彩で
ある。
每號巻頭を飾らせて頂く、高島木鬼先生の俳
句は、愈々推敲の妙を極めて、その心境の練
拓、風格の高尚、取材の正確な把握、表現の線
の太さ、共に一種の威壓感を覺えるのは、流石
に完成せられたる人格の反映であつて、「王
友」誌上他に得難き至寳である。
香畝氏の「王子製紙創業當時の狀況」は原稿
紙百六十枚の力作で、氏ならでは書けぬ特種で
ある。工場長の激職にある氏が、丹念に材料を
蒐集され、斯く迄に整理せられた努力に對し
て、滿腔の敬意を表するものである。
小沼九人像氏の「句境管見」を讀んで、批評
といふものの眞随に接するの感を深くした。作
の善惡を指摘するだけの批評は容易いが、氏
が、どんなつまらぬ作の中からでも、どこかに
取柄を見出して、作者を激勵し、失望せしめな
い點はゑらい。爼上にのせられた、俳人諸氏
は、この並々ならぬ氏の苦心を汲んで、再讀三
讀すべきである。
久振りに、石川蘇春氏の譯詩「サモアールの
哀愁」を得た。氏の美しい譯筆の感觸によつ
て、心ゆく迄文學的陶醉に浸れるのは、嬉しい
ことである。村上藤太氏と共に、王友誌寳的詩
人である。
宮崎志保氏の戯曲「村の異端者」―創刊以
來、戯曲を載せるのは本號が始めてである。處
女地を開拓した作者の意圖を壯として、感謝し
た。この作は、取材、手法共に古く、又强調せ
られてゐる思想に、賛成し難い點が、多少ある
が、續く第二、第三作に於て、十分藝術的手腕
を期待出來る作家だと思ふ。
悠山亭主人氏の「悠山駄話」、國安院氏の「
山の湯を歩く」、冷鐵子氏の「俗人俗語」、
S・I氏の「河童君のカメラ」、小林氏の「スキ
ー昔話」は、夫れぞれちがつた意味で面白いも
のである。
書くことに於て、怠者の多い、編輯同人中、
靑嵐莊主人氏は、日夜碎骨粉身「我國に於ける
觀音信仰の由來」を、又、ジェーデイ氏は、畑
違ひに「臨時産業合理局に就いて」を書いた。
何れも編輯者の貫錄を示す力作であつて、編輯
者といへども、必ずしも、社友諸氏の原稿のみ
を當にして、墮眠を貪る冬眠動物ではないこと
を、立證して餘りあるものである。 (菊池)
(「王友」第十一號
昭和十年十二月三十日發行より)
紙の博物館 図書室 所蔵