ペリカンレストラン
十二月丗一日
やがて十二時になる。ラヂオで、京都知恩院の除夜の鐘の
放送があるのでスヰツチを入れる。世界で㐧三の大鐘だといふ。
なるほど、餘韻が永く、美しい。百八の鐘をきき愈々元旦と
なった。街通りの商店では提灯をつけて、大晦日の仕事が未だ
終はらないらしい、自転車が、飛ぶ、人が馳け足で往來する。
最后のあがきである。除夜の鐘といへば、五六年前、自分は
芝飯倉の品川力君の家で除夜の鐘をきいたことがある。
あの頃は未だ若かったなあと、当時のいろいろなことを思ひ
出す。佐藤春夫氏に推賞された、約百さんはどうしたら
う。秀でた詩人だった丈けに、随分激しい情熱家だった。
よく花を持って遊びに行ったが、今から思ふと、自分乍ら、
よくもああ度々行けたものだと、その当時の心理状態が
可笑しくなる。
(昭和五年 一九三〇年十二月丗一日 日記より抜粋)
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12月31日
愈々今日限りで昭和七年もお終ひである。今年は実に波らん
に富んだ年だった。フーバーモラトリウム、英国金本位呈し、滿洲
事変、内閣瓦解、金彩禁止、―これらの重大事件が国民
生活の根底を左右し、一喜一憂、目まぐるしい一年であった。
まあどうにか今年も無事に暮らさせて頂いたから、今日は
例年の如く骨休めの銀ぶらも出来る。朝雪江を連れてで
かける。曇り日で師走の風が寒いが、ときおり冬の日ざしがも
れて来る。午前の銀座は未だ人足もすくない。五十銭タクシー
で本郷一丁目の日本債権月報社へ行き、小口共有債権三
口と十倍法二口を申込む。これで今年の投資の最終とした。
それから、赤門前の「ペリカン」へ行く。品川力君の経営す
る店である。小ぢんまりした気持のよい店だ。ランチを食べ
る。富士アイスクリームで見覚えた料理法らしく、仲々う
まい。久振りでどもり乍ら話す力君の風貌に接して昔のことを
思ひだした。
(昭和七年、一九三一年十二月三十一日 日記より)
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#富士アイスクリーム #大晦日
↑ 雑誌「海風」 第四年・第一號 (昭和十三年六月発行 広告)
↑「海風」第四年・第二號(昭和十三年十一月発行 広告)
※ペリカンレストラン マッチ (品川工さんデザイン)
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