何でもない人生―日記から―/品 川 力 48 一錢亭文庫 / 菊池 與志夫 2022年7月29日 14:35 何でもない人生 ―日記から― 品 川 力 一月二十五日(金) 約束の内村鑑三氏の「信仰日記」を伊藤堅志郎氏に送つた。自分は大へんいゝことをしたやうに愉快な氣持ちになつた。 店に出る時、電車の中で、詩人吉原重雄氏に逢つた。 夜になると、野瀨市郎氏と菊池與志夫氏とでやつて來た一年以上も逢はずにゐたので何から先に話していゝのか困つた。 菊池君が―力君つとむくんいゝのが出來たんだろ―といふ。いかにも彼らしい云ひ草だ。 野瀨君は―結婚は未だか―と飛んでもないことを云つてくれる。 佐藤捷平君の話が出たので彼はいま横須賀で貿易商に勤めてゐる―と話したら、野瀨君の驚きは一通りや二通りでない。 ―捷平君が商賣人ビジネスマンにならうとは、誰れだつて思はなかつたなに違ひない。僕だつて矢張りさうだ。 野瀨君がきたら、いつだつたか(二三年前のことだ)大勝堂の店員が野瀨君を見て、―あの方は五十二位ですか―と眞面目になつた尋ねたのを想ひ出して、ひとりで笑つた。(越後タイムス 昭和四年三月三日 第八百九十七號 五面より抜粋) 三月十七日(日) 親父から菊池與志夫氏が結婚したといふニュースに接した。 北越時報に、高島義雄君の新婦人きん子さんがその新生活の感想をかいて、その中で義雄さんは義雄さんはと繰返してゐる。 勤人の義雄君が每朝出掛けるとき、彼の後姿をいつ迄も窓から覗いてゐると小さくなつた義雄君がやがて振返る、そしてその時お互に涙ぐむといふのだ。 白木屋に福井君を訪ねた歸りに銀座に出ると、佐藤捷平と根津憲三の二君に出喰したので、罪のない話をしながら五時まで一緒に散歩した。 若松甚太郎氏を訪ねやうと思つたが、靴下のアナが氣になつたのでよして、家にもどるとT子さんが遊びに來てゐた。 三月十八日(月) 横須賀の捷平君のところに約束の築地のパンフレット小山内薫追悼號を送つた。 照井榮三氏が見江て、いま「佐渡おけさ」が發賣になつたところだといふ。 いつもそうだが獨唱會間際になると氏の神經は極度にピリ/\してゐる。 招待券を二枚いたゞく。 佐藤右門氏が久しぶりでやつて來てゐた。見れば若い女性と一緒である。時は正に春だ。 大下氏がつまらぬ口を叩かなくなつたから面白い。この間やつつけたのがきいたのだ ワイルドの「獄中記ド・プロフォンデス」を讀んだ。 三月十九日(火) 吉原重雄、神山時雄、伊藤堅志郎の諸氏に手紙をかいた。 十一時ころ店に出る支度をしてゐると妹ヨブが照井榮三氏のところから歸つて來た。 小松平五郎氏に逢つたといふ。清瀬保二氏は昨晩ピアノ練習が遅くなつたので照井氏のところで泊つたとのことだ 小川浩一郎氏が三越のホ―ルで歌つた時氣の毒なほど不出來だつたので、會が濟んでから清瀬氏は一日彼と一緒になつてひどく悄れた小川氏を慰めたといふ話を妹がした時僕はしばらく何んにも云はれなかつたほど、彼等の友情に感激して了つた。 要領の惡い奴ときたらどうにも仕方のないものでO君ときたら、朝の七時から晩の十一時まで働いてその上に文句ばかり喰つてゐる。 伊藤堅志郎氏の好意になつたギッシングの紀行文を讀んだ。まるで詩のやうな奇麗な英文だ。 三月二十日(火) 照井氏の獨唱會の招待狀一緒に東大久保にゐるビーカートン氏に英語をかいたが、どうも英文となると氣が引ける。ことに相手が外人ときてゐるから下手な字なぞ書けない。 とう/\早いところタイプライターで打つた。 伊藤君(女だつた)に一年ぶりで逢つた。貴女は相變らず奇麗だなあ…と御世辭を云つてやつたほか、あと何んにも喋べることがなかつた。 佐藤捷平君から例の名文のハガキがきてゐた。文學思想研究の中の谷崎精二氏のポオの研究を讀んだ。 三月二十一日(木) 九時半ころになつた八時出に氣がついて大急ぎで支度にとりかゝつた。 短い人生だあはてたつてしようがないぢやないかと決めてギッシングを讀み乍ら店に行くと。 O君が萬事やつて呉れてゐたので助かつた。野瀨市郎君が夫人と母堂をつれてやつてきた。菊池君の結婚したことを彼も知らないでゐた。 十時半、店をしまつてから銀座を散歩して、電車に乗ると大勝堂の主人と一緒になつた。家にもどると、吉原、根津、野瀨の諸氏から手紙がきてゐた。 珍らしい來客には田崎龜次氏があつたとのことだ。註、柏崎で田崎龜次氏の家が僕の隣にあつたとき、破れた硝子窓に腰巻があてがつてあつて、それが風になびゐてゐて風景は格別であつたばかりか、そこに如何にもソロバンの先生らしい思ひ付きが遺憾なく發揮されてゐた。そんな事が僕には深い印象となつていまでも忘れずにゐる。 その風流な先生のところに每晩商業の生徒が二人に、それと僕とが珠算たまざんを敎はりに出掛けたものだ。 その歸りにはいつも三人で崖下にある小柳といふ家のトタン屋根めがけて大きな石を投げつけたものだ。 ときには植木鉢も飛んだ。あの深夜にドカンとこだます凄まじい音に、恐怖と快感の二つを同時に味つたばかりかそれはわれ/\倦怠に疲れた若者にとつてこの上もない清涼劑であることを痛切に感じたからで、別に惡氣があつたわけではない。 僕をのぞいたあとの二人はいまの丸見屋の若主人の高橋秀三郎君と、それから四ッ谷の西巻なんとか君だつた。(越後タイムス 昭和四年六月二日 第九百十號 六面より) #品川力 #品川約百 #品川陽子 #照井栄三 #越後タイムス #昭和初期 ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵 ダウンロード copy #越後タイムス #昭和初期 #品川力 #品川陽子 #品川約百 #照井栄三 48 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート