埋 草
埋草
越後タイムス創業第二十二
周年記念號に何か書けとのこ
とでありますが、凡俗なる生
活に終始してゐる私には、文
學的或ひは思想的な心境を持
合せて居りませぬので、到底
お役に立つやうなことは申し
上げ兼ねます。
二十二年と申しますと、人
間としては心身共に漸く一人
前の格好を備へかけるところ
で、血氣さかんなる若者であ
りますが、越後タイムスの二
十二歳は正に圓熟の境に入り
その識見ならびに生活態度に
一點の非を見出し得ないので
あります。私の敬服する所以
であります。
現代の社會は世界もろとも
に、生活の方向と希望を失つ
た人間が、新らしい何ものか
を摑まんとして懊惱呻吟する
焦熱地獄でありまして、この
急迫せる世態を眺めては心あ
るものの一日として安閑とし
てゐられない次第であります
が、さりとて徒らに絕望して
自暴自棄に陷入り或ひは破壊
的行動をとることは斷じて許
されないのでありますから、
我々日本の青年として採るべ
き道は、正義に立脚した平和
的手段に據る、社會樂園の建
設を目指して渾身の努力をつ
くすより他ありませぬ。
世には政治といふものは我
々の實生活を何んの關係もな
いなどといふ人もありますが
これは大いなる考へ違へであ
りまして、現代の社會に於て
は人間である以上、如何なる
人といへども政治の影響を受
けない人はないのであります
近來政黨政治の惡弊が叫ばれ
て種々の不祥事件が發生しま
したが、凡そ如何なる制度に
も組織にも各々長短所はある
もので、要はその長を伸ばし
短を捨つるところに向上進歩
があるのでありますから、徒
らに政黨を撲滅せんとするが
如き思想は如何かと考へられ
ます。
我國には政友、民政の二大
政黨が對立してその掲げる政
策は正反對のものであります
が、その何れが正しきかはそ
の時の國情に應じて判斷すべ
きで、例へば民政黨が金解禁
を斷行した結果は虚弱なる國
内産業を壓迫し、異常なる不
景氣を招來しましたが、若し
昨年九月英國が金輸出再禁止
を斷行した時にこれに追從し
てゐたならば、昨年末政變に
よりせつぱつまつた再禁止よ
りは遥かに好結果を得たに相
違ありませぬ。民政黨の井上
大藏大臣が黨の面目や自說を
固持して、徒らに意地つくで
再禁止の時期を失して結果は
國家の財的基礎を危地に陷入
れしめ、延いては氏の生命に
關する動因となつたのであり
ますが、これは民政黨のつく
つた最大の罪であります。然
し乍ら、濱口内閣成立以來、
萬難を排して强調して來まし
た消費節約の方針は、一方に
於て失業者の増加とはなりま
したが、國内産業の生産費を
極點に迄切詰めさせ、未曾有
の不況時代に際會して猶ほよ
くこれに耐えせしめたことは
大いなる功績を認めねばなり
ませぬ。昨年十二月政友會内
閣が成立しまして直ちに金輸
出再禁止を斷行したことは當
時日本の財界の危機に當つて
その轉落を防ぐ唯一の注射で
あつたのですが、その間日支
事變、国際聯盟問題等の外患
の爲めに、再禁止後の應急對
策を十分に採り得なかつたが
故に、國民の等しく待望した
如き好景氣を招來し得ず、又
々失望怨聲を聞くに到りまし
たが、これとても若しあの時
再禁止を斷行してゐなかつた
ならば今頃我々はどうなつて
ゐるかといふ點に考及したな
らば、思ひ半ばに過ぎるもの
がないでせうか。これら政黨
政治の功罪は誠に複雜多岐に
渉りましてその反面のみをみ
てこれを評するは當りませぬ
五月十五日夕刻に突發した犬
養首相の兇變により、齋藤擧
國一致内閣の出現となりまし
たが、株式市場を始め各商品
市場は、これを弱力内閣と
みて一齊暴落を演じました。
これなども人氣の先走る市塲
としては當然ではありませう
が、組閣日淺く何等實行する
暇もなき内閣に對してその力
の强弱を判定するが如きは早
計の至りとは言はねばなりま
せぬ。昨今の株式並びに各商
品市塲は内閣に對する失望に
加へて米國の金輸再禁止說迄
唱へられ、恐怖的暴落を招來
しましたが、世界的不況に益
々拍車を加へる米國の再禁止
が噂さの通りに實現するもの
とすれば續いてフランスもこ
れに倣ひ、全世界の經濟組織
は完全に破滅を來し、資本主
義の崩壊を目前に迎へること
になりませう。私は株式の買
方として怨言を述べる譯では
ありませぬが、こういふお先
走りの考へ方が日本國民の缺
點ではないかと痛感して居ま
す。種々の惡材料が實現した
ならば、出來る丈け迅速に適
切なる對策を實行するのが政
治の重大使命でありますから
それは當局の手腕を十分に信
頼し、徒らに喚き騒いで破局
に突入するが如きは、國家的
見地からみて慎まねばなりま
せぬ。現今の人氣では今にも
世界は暗闇になりさうですが
こういふ際に確固たる信念を
持つて事態を靜觀し、政府を
して適應策を誤まらしめない
やうにするのが我々國民の義
務であると共に、政治に對す
る正しき理解であると確信し
ます。
私は社命により三十一日朝
九時上野發列車で新潟市へ参
りますので、どうにか時間の
都合をつけて、印象深き柏崎
の海を今一度見たいと念願し
てゐるのですが、多忙のため
駄目らしいのは殘念です。い
づれ機を得て是非お邪魔させ
て頂きたいと思ひます。終り
に際しまして謹んで越後タイ
ムス二十二年の記念日をお祝
ひ申し上げる次第であります
(昭和七年五月二十九日夜)
(越後タイムス 昭和七年六月五日
第一千六十四號 六面より)
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