新解釈『殺し屋1』第2回~この作品の本質はサイコホラーと少年兵
前回は『殺し屋1』という漫画がいかにマジキチな作品かということを説明しました。今回から、その本質を少しずつ解き明かしてみたいと思います。
『殺し屋1』は残虐表現のオンパレードだからマジキチ作品なのか?
古今東西、残虐シーンが多い漫画や映画というのは洋の東西を問わず、いくらでもあります。映画の場合、社会的な影響力の大きさから、世界各国で内容の審査があるため、あまり過激な表現をやりすぎると、映倫などの審査団体からR指定や上映禁止指定を食らいますが…
ちなみに三池崇史監督はR-18指定『殺し屋1』(2001年)の5年後に作った『インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~』(2006年)でこれやらかしてるんですよね。多額の予算をかけて日本で上映できない発禁映画(映倫審査規格外)を作っちゃったというのは、ある意味すごい。伝説。
Wikipediaによるとアメリカのテレビでも『インプリント~ぼっけえ、きょうてえ~』は放映禁止になったようだし、製作費回収できたんでしょうか。
ところが、映画の審査団体が関係ないビデオだと、40年ぐらい前はかなりひどい内容のものが作れた時期があるのです。当時VHSビデオデッキの普及が始まった頃のレンタルビデオ屋で、ホラー作品はアダルト作品と並んでそこそこ需要があったらしい。
日本で制作された作品としては、某凶悪事件の犯人(2008年に死刑執行済)が持っていたことで悪名高いホラービデオ『ギニーピッグ』シリーズが代表的です。あの事件のせいで『ギニーピッグ』シリーズはその後、日本国内では事実上の自主発禁扱いになったそうですが。
私も『ギニーピッグ』についてはWikipediaなどで偶然知り、内容はネット上の情報で断片的にしか知ることができませんし、ホラーマニアでもないのでそれ以上のことを調べる気もしませんが、ホラー巨匠・日野日出志さんが手がけた初期作品はかなりグロかったみたいです。海外では俳優のチャーリー・シーンが誰かから借りた『ギニーピッグ』を見て、本当のスナッフフィルム(実録殺人ビデオ)と勘違いしたとか。
しかし、WAHAHA本舗オールスターズ総出演の3作目から、『ギニーピッグ』シリーズはコメディホラー路線に転向したようです。さすがに40年前のガバガバな基準でも、残虐ホラー路線を貫くのは難しかったのでしょう。
『ギニーピッグ』4作目ではピーター(池畑慎之介)さんが久本雅美さんに謎魔術をかけて「先天性心臓破裂症」を患っている久本マチャミの心臓パーン!というよく訳の分からないコメディ作品になっています。動画は著作権侵害なのでここへの埋め込み(エンベッド)は避けますが、ニコニコ動画などで見ることができます。著作権無法地帯ド○ンゴ。ええんかこれで…。
話題が『殺し屋1』からちょっと脱線してきましたが、面白いので画像だけを貼っておきましょう。これは著作権法で合法的に認められる「引用」です。
パーン☆┗(^o^)┛ってなりましたね、マチャミの心臓が。もうホンットにビックリした。これもうわかんねぇな。鳥になりてぇ。
こうなると単なる面白コントビデオで、「ホラー」と呼べるようなものではありませんね。
ちなみに某凶悪事件の犯人が持っていたのは、女性を生きたままバラバラに解体する2作目ではなく、実はこの久本マチャミの心臓パーン!が収録された4作目だったらしい。マチャミは芸人生活が封印されなくてよかったねぇ。できるじゃない!(ふさ子)
『殺し屋1』の作者・山本英夫氏はおそらく『ギニーピッグ』シリーズの1作目と2作目は確実に見てると思います。Wikipediaに書いてある「油かけ(焼)」「針で突き刺す(針)」「生きたまま解体していく」という元ネタが『殺し屋1』の内容と一致するので。
話を本題に戻すと、まともな読者なら『殺し屋1』の読後感は「気持ち悪い」の一言に尽きると思います。Wikipediaに延々と加筆した私ですら、今でも気持ち悪いと思いますもん。あれを読んで「爽快感」とか感じてる人は相当に頭おかCと思います。
ましてや垣原Tシャツとか着て堂々とNHKに出るとか、こんな女性ありえねー!皆さん御一緒に、ありえねー!ありえねー!ありえねー!
ちょっと威風堂々としちゃいました。
しかし。『殺し屋1』の読後に受ける気持ち悪さは、単に残虐表現だけに起因するものではないと思うのです。
残虐表現なら、ヤングサンデーで『殺し屋1』と同時期に連載されていた『ザ・ワールド・イズ・マイン』(作:新井英樹氏、1997~2001年)とか、それこそ古典ですが『北斗の拳』(画:原哲夫氏、原作:武論尊氏、1983年~1988年)とか、国内外にもいろいろあるからです。うわらば!
では『殺し屋1』の気持ち悪さの本質は何かと言うと…変態残虐漫画の世界によく来たわね、いらっしゃい。
『殺し屋1』が気持ち悪いのは「サイコホラー」だから
私の個人的な感想ですが、『殺し屋1』の作品の本質はサイコホラーだと思うんですよ。これ、不思議なことにネットでこれまで誰も指摘してないんですけど。
「サイコホラー」はニコニコ大百科の定義によると「大音量やスプラッター描写などの直接的な怖さよりもジワジワとした心理的な恐怖を描いた創作物のジャンル」ということですね。
この作品を通して読むとわかりますが、主人公の「イチ」の殺人はほぼ全て、「ジジイ」によるマインドコントロールによって実行されているわけですよ。
イチが自分の意思を持って殺害した唯一の例外は、バットを持って反撃してきた風俗嬢のセーラだけ。しかも、これはセーラの反撃に対する発作的なもので、自分の明確な意思を持って殺したというわけではない。よって、作中でジジイが、セーラとそのヒモ男を殺したことをイチに問い詰めるシーンがあるわけです。これは映画でもちゃんと再現されています。
殺し屋作品は世界中に数ありますが、名作中の名作といえば故さいとう・たかを先生(1936-2021年)の『ゴルゴ13』(1968年~現在連載中)でしょう。
さいとう先生は残念ながら昨年(2021年)鬼籍に入られましたが、さいとう先生亡き後も50年以上連載が続いているのは本当にすごい。さいとう先生、さいとう・プロダクション、そしてリイド社と小学館に敬服。(それにしても小学館に対する手のひら返しが露骨ですね我ながら…)
『ゴルゴ13』を見ればわかりますが、まともな殺し屋作品というのは、依頼を受けた殺し屋が「自らの意思で」ターゲットを殺害するわけですよ。
これは『ゴルゴ13』に限らず、洋の東西を問わず一緒です。『ジョン・ウィック』シリーズ、『レオン』、『ニキータ』、全部そう。
ところが、『殺し屋1』だけはタイトルに「殺し屋」と銘打っている割には、イチは自分の意思とは全く関係なく、ジジイに刷り込まれた過去のイジメ経験+妄想を基に殺人をやってるんですね。これはひどい。
これが、『殺し屋1』から読者が受ける最大の気持ち悪さだと思うわけですよ。
『ゴルゴ13』を読んで気持ち悪さを感じますか?
そういう読者が多ければ、ゴルゴは今頃打ち切りになってるはずです。
『ゴルゴ13』はあえて勧善懲悪のストーリーを取っていませんが、基本的に殺されるのはだいたい悪者です。ゴルゴが誰かに洗脳されて、M16を乱射して善良な市民を殺害するというストーリーは絶対にありえません。
ターゲットを殺すべきかどうか、ゴルゴ自身が自らの基準で冷静沈着に判断して、自らの意思で殺害を実行するわけですね。そのプロセスに読者の「ワクワク感」があるわけです。
一方、イチは自分の意思など全く無く、ジジイの刷り込みにより、時には自己と葛藤しながら殺人シューズを振り回す。相手が何の罪もない下っ端ヤクザでも「うぇーん」と泣き叫びながら平気で顔面や四肢を切断したり、輪切りにする。これって単なるロボットですよね。輪切りにされた垣原組の下っ端3人ほんと可哀想。
この作品に気持ち悪さしか感じないのは、主人公であるはずのイチに人格というものが全く存在しないからだと私は思うのです。
この作品では、イチの同級生の「立花さん」に対する陰湿ないじめ、ス○トロ、果てはレイプシーンが延々と続きます。これがまた読者の不快感をかきたてる描写になっています。実写版映画ではだいぶぼかした描き方になってますが。
原作では「60%の過去の事実を基に、ジジイが40%創作した偽の記憶をイチに植え付けた」ことになっています。(ジジイ本人が語っている)
しかし、映画版ではジジイが100%創作した偽の記憶をイチに刷り込んだことになっている。私は映画版の方が、この物語の本質を分かりやすく解釈していると思うんですね。監督の三池崇史さんや、脚本の佐藤佐吉さんはこの作品の本質を見抜いています。
これは、『殺し屋1』の前身作品に当たる『1 -イチ-』(1993年)を読むと明確に分かります。『1 -イチ-』は主人公こそ同一人物の「城石一」ですが、残虐マンガの『殺し屋1』とは異なり、内容は当時流行っていた高校生の喧嘩バトル漫画です。
他誌における同時期の連載として『ろくでなしBLUES』(作:森田まさのり氏、週刊少年ジャンプ、1988-1997年)、『ビー・バップ・ハイスクール』(作:きうちかずひろ氏、週刊ヤングマガジン、1983-2003年)、『カメレオン』(作:加瀬あつし氏、週刊少年マガジン、1990-2000年)、残念ながら作者同士が喧嘩して封印作品になりましたが原作:佐木飛朗斗氏・作画:所十三氏の『疾風(かぜ)伝説 特攻(ぶっこみ)の拓』(週刊少年マガジン、1991-1997年)などが挙げられます。
『1 -イチ-』は長らく絶版になっていましたが、電子書籍化されたので、容易に読めるようになりました。
『1 -イチ-』では「赤熊大」という番長と、いじめられっ子だった「イチ」がバトルを行うも、関西からやってきた凶悪な転校生・鬼鮫(おにざめ)が学校内で狼藉(ろうぜき)を働いたため、鬼鮫に負傷させられた赤熊に代わってイチが鬼鮫にとどめを刺すという対決を描く漫画です。
ちなみに、Wikipediaで初めて知りましたが『1 -イチ-』は『殺し屋1』の映画の後にセルDVD作品として実写化されてるんですね。イチを演じるのは実写映画と同じく大森南朋さんで、鬼鮫を演じるのはブレイク前の千原ジュニアさん。脚本はイチシリーズをすべて手掛けた佐藤佐吉さん。
『1 -イチ-』を読むとわかりますが、『1 -イチ-』には『殺し屋1』でイチの「過去の記憶」の殺人トリガーを引く上で重要なキャラクターとなる転校生の立花さんも、吊り目の滝原が主導する極悪イジメグループも一切出てこないんですよ。滝原と別のイジメグループは出てきますが、イチによりトイレの中で5人とも半殺しにされます。
『1 -イチ-』と『殺し屋1』が完全なパラレルワールドと言い切ってしまえばそれまでかも知れませんが、仮に『1 -イチ-』と『殺し屋1』が継続した時間軸の作品だった場合、「立花さんはどこ?」「イジメグループの滝原や、双子の健康兄弟は?」ということになるわけです。
つまり、漫画原作でジジイが語っている「60%の事実を基に、ジジイが40%創作した偽の記憶を刷り込む」というのはウソで、映画版のジジイが語っている「100%創作」というのが真実だと思うのです。
この解釈だと、上記のコマでジジイは「東京ハローひまわりテレフォン」のお姉さんに堂々と嘘をついているわけです。流石にこれは私も読みきれなかった。映画製作陣ありがとう。
このことに気づくと『殺し屋1』原作版の陰惨ないじめシーンも、抵抗なく読めるようになると思いませんか?延々と書かれている立花さんの虐待・レイプシーンは全部ジジイの捏造。滝原や健康兄弟なんてのもそもそも存在しなかった。そして、逆に言うとこれってとてつもなく恐ろしい「サイコホラー」だと思いませんか?背筋がゾッとします。
イチはジジイのロボット少年兵
ジジイに洗脳されてロボットのように殺人を繰り返すイチの気持ち悪さは、海外の紛争地域の「少年兵」問題と共通するものがあるんですよね。
イチの設定は作中では「22歳」になってるんですが、作品を読むと言葉遣いが終始やたらと幼稚なことに気づくと思います。特に物語最終盤の垣原とのヤクザマンション内の殺人オニごっこのときですね。語尾に頻繁に「ゾ」がつくという、まるで埼玉県春日部市に住んでいる5才児、クレヨンしんちゃんのような口調です。
INM界隈では、INMファミリーのMUR氏の口調と5才児しんのすけの類似性がよく指摘されますが、INMがニコニコ動画でブレイクしたのは2000年代後半なので、『殺し屋1』が影響を受けたのはMUR閣下ではなく、間違いなくクレヨンしんちゃんの方だと思います。
ここから先はバイオレンスファンタジーの『殺し屋1』の世界から一転して、一気にシリアスな現実世界の話になります。その方が「ジジイ」と「イチ」の奇妙な関係と、この作品の主題を明確にできると思うので。
Wikipedia(2022年6月17日 (金) 19:43 版)には、「少年兵」の定義について次のように書いてあります。
善悪の判断がつかない子供は、残虐なことをやります。最近は都市化の影響であまり見られないかも知れませんが、カエルに爆竹を詰めて爆破したりと言ったようなことを平気でやります。
ですので、残虐さのブレーキが効かない子供をそこらからさらって来て、洗脳して、殺傷力の高いカラシニコフ(旧ソ連で設計された耐久性のある突撃銃)を持たせると、メチャメチャ凶悪な兵隊が出来上がるわけです。
世界的に有名なのが子供兵隊や子供医者を作って国を崩壊させたカンボジアのポル・ポト(クメール・ルージュ)政権。その後も中近東、アフリカ、中南米など世界各地の紛争地域でゲリラ組織や崩壊国家の政府軍が少年兵を活用しまくっています。
ちなみに、ポル・ポトによって破壊された後のカンボジアを武論尊氏が見て、『北斗の拳』の世紀末的世界観のベースにしています。ヒャッハー!
防衛省防衛研究所の小野圭司(おの・けいし)氏の論文「紛争概論-少年兵問題の観点から」によると、紛争地域における少年兵には次のような需要と供給の関係があるそうです。
これを『殺し屋1』の世界に置き換えてみます。
【供給】
・イジメを受けた心理的な傷により、自らを保護してくれる「はぐれ者組織」のジジイに依存する
・空手で鍛えた異常な脚力
【需要】
・イチは真の殺し屋と比較して経費面で安く上がる
・洗脳で戦闘に対する危険感覚をマヒさせる
『殺し屋1』の場合、ジジイにとっての「捨て石」は昇、龍、井上(加納)の3人組とカレンだったので、現実世界の少年兵とは若干異なりますが、紛争地域における少年兵の需要と供給の関係は、『殺し屋1』の主題を考える上で重要だと個人的に考えます。
これ、私も何回か読んで山本英夫氏が仕掛けた「からくり」にようやく気づいたんですが、実はジジイはイチにまともな報酬を払ってません。この点に気づいている読者はおそらくほとんどいないと思います(というか、私もさっきまで全然気づかなかった)。5話で、ジジイはこんなことを語っています。
このジジイの説明が正しければ、安生を殺害したイチの報酬は5920万円です。しかし…ジジイが安生を殺害したイチと面会した後に渡したお金はたったこれだけ。
どう見ても、200万円ぐらいしかありません。そして、イチが新潟のコテージに戻ったときに背中のリュックからドサッと出したお札がこれだけ。600万円。
つまり、ジジイが安生殺害の報酬としてイチに渡した金額は多めに見積もってもせいぜい800万円に過ぎないということです。
そうすると…ジジイの手元に残ったのは
5920万円+5920万円-800万円=1億1040万円!
何というサイコパス極悪銭ゲバジジイ。
ここからはイチのキャラクターの考察に戻ります。イチは鉄工所に勤めているので社会生活はある程度営めていますが、どう見ても5才児並みの善悪判断しかできず、ジジイの言いなりになっているので、完全に少年兵と言っても過言ではないでしょう。
イチは少年程度の善悪判断力しかないので、垣原組の鉄砲玉・金子の息子のタケシとか、新潟のいじめられっ子・ノリオといった小学生と、22歳のイチの波長がピッタリ合うわけです。
風俗嬢セーラの殺害後、スランプに陥り嘔吐を繰り返すようになったイチに、ジジイがこんなことを言います。
つまり、作者の山本英夫氏は、この作品の主題として「ジジイにマインドコントロールを受けたロボット少年兵イチによる、残虐虐殺マンガ」という基本設定をしていたのではないかと思われます。
『殺し屋1』を読んで、特にイチに対して読者が終始感じる「気持ち悪さ」の原因は、単にイチが残虐サディストということだけではなく、5才児並みに善悪の判断もつかず、「自らの意思を持たない少年兵特有のロボット的で異常な残虐さ」という裏設定があるからだろうと思われるのです。
イチとの出会いを切望する変マ組長の垣原による虐待シーン、垣原による井上(加納)とマリア(ヘロインの売人)の虐殺シーンもひどいものです。しかし、あれを見て残虐さは感じても、それほど気持ち悪さを感じないのは、垣原が自らの意思で他人を虐待したり殺害しているからです。残虐度はひどいものですがあの程度の殺人であれば、他の作品でもいくらでもあります。
作品中でもっとも嫌われているキャラクターとして、垣原がイチ対策として呼び寄せた二郎・三郎兄弟というのがいます。しかし、彼らが嫌われるのは女性に対して暴力を振るうからであり、イチのような不気味さ・気持ち悪さはありません。
ゴルゴ13は50年以上もM16を使ってターゲットをサクッと射殺していますが(たまにナイフや格闘技の技を使ったショートキルもやります)、作品中に「気持ち悪さ」「不気味さ」を一切感じないのは、ゴルゴ本人の強い意思でターゲットを殺害しているからです。
『北斗の拳』も、全く同様ですね。仮にラオウに洗脳されたケンシロウが北斗神拳で泣きわめきながらひたすら殺人を繰り返し、北斗神拳で相手を爆殺した後にケンシロウがTNKをしごいて射精するというマジキチな設定だったら、『殺し屋1』と同様の気持ち悪い残虐漫画になって、週刊少年ジャンプ恒例の「10週打ち切り」になっていたことでしょう。
「少年兵イチ」の設定の原点と思われるのが、山本英夫氏のデビュー作『SHEEP』(原作:鷹匠政彦氏、1988年)です。
『SHEEP』はあまりにマイナーすぎて発行部数がかなり少なかったらしく、一度は出版元を変えて再販されているのですが、いずれもAmazonでは古本の入手が困難ですし、ネットオークションでも状況は同様です。
『SHEEP』は電子書籍化もされていないのでネット上の書評をかき集めたところ「平凡な男子高校生が夏休みに目指したのは、中東の戦場だった!!」という書評があり、どうやらグロシーン満載の戦場漫画らしい。
当時の山本英夫氏の絵柄は『殺し屋1』のように陰鬱な劇画調ではなく、鳥山明氏のようなポップで明るい絵柄だったんですけどね…
ですので、『殺し屋1』におけるイチに対するジジイの洗脳の描写は、山本氏の処女作である戦争マンガ『SHEEP』に原点があるように思われるのです。どこかで入手できたら読んでみたいと思います。
まとめます。
『殺し屋1』が気持ち悪いのは残虐シーンに加えて、銭ゲバサイコパスジジイに洗脳され、自らの意思を持たない22歳の少年兵イチを主人公とするサイコホラーストーリーだから。
またひとつ確信させていただきました。
ちょっと長くなりましたが今回の『殺し屋1』考察はこんなところでしょうか。ではまた次回┗(^o^ )┓三
(おまけ)
同じ山本英夫氏の『おカマ白書』で主人公のキャサリン(岡間進也)がなぜかカラシニコフのモデルガンを持っているシーンがあります。
マガジンの形状、ガス還流部の形状などから、7.62mm弾を使用するAK-47ではなく、5.45mm弾を使用するAK-74であることがわかります。ちなみにセレクターの位置は連射モードではなく単発モードです。
ちなみに『SHEEP』の主人公の名前が「日下進也」だったので、山本英夫ワールドの中では何らかの関連性があるのかも知れません。
山本英夫氏単独で著作権を持っている作品は全て電子書籍化されていますが、『SHEEP』は鷹匠政彦氏との共同著作物なので、電子化が難しいのではないかと推測されます。個人的には早期の電子書籍化を希望しますけどね。
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