「他人様は他人様」を忘れずに
「他人様は他人様」なので、過度に関与することはないと思っています。
でも、こんな記事をみかけてしまったら、どんな「名回答」なのか気になってしまって、ついつい覗いてしまいます。
この文章を読んで、ちょっと固まりました。
(・A・)ぇー・・・
意見が違うことを認める程度で済むのなら、めちゃめちゃ簡単です。話は、そんなに単純ではありません。これで「名回答」って思われる方々、大丈夫でしょうか。
例えば、仮に家族がワクチンの後遺症に悩まされることになったとして、その経済的負担をどうするかという深刻な問題があります。
この投稿はドイツのものですが、この手の話はドイツに限りません。
日本でも、ワクチン後遺症については、国が認めてくれていないため、仮に何か問題が起こったとしても、泣き寝入りをするしかない状況です。
そうした状況について、意見の食い違いがあるからこそ、皆さん、揉めているわけです。そして、そのワクチン後遺症によって、家族が背負いこむ経済的負担は、とんでもないことになりかねません。
そこまで分かってます???
いやまぁ、「他人様は他人様」なので、いいのですが・・・なんにせよ、おめでたいものだと思わずにはいられませんでした。
「他人様は他人様」ということで言えば、こちらのニュースでも、あらためてそれを感じさせます。
いろいろとツッコみどころだらけのニュースです。そしてまた、人によっても、いろいろなツッコミ方があろうかと思います。
そのなかで、私としては、とくにこの方の「善意」の部分について注目してみたいと考えます。
この医師の方が、どのようなつもりで、こうした行為に及んだのか、正直、よく分かりません。ただ、あくまでも推測に過ぎないながらも、「コロナワクチンは危険だと思っていた。患者に生理食塩水を打ったこともある」と述べているところをみると、この方なりに「善意」に依る行動だったように思うのです。
そして、そうだとしたら、分からないでもありません。危険だと思っているのに、それを患者に注入するなんて、良心が痛むことでしょう。
この件を巡っては、私の脳裏に「命のビザ」を発給したとして有名な杉原千畝の話が浮かんできました。
組織の規律などではなく、個人の良心を優先させて、目の前の人たちを助けたという美談です。
もしかしたら、この医師の方も、そうした正義感や良心に基づいて、今回の行為に及んだのかもしれません。
ただ、今回の件、杉原千畝の話とは、決定的な違いがあります。それは、その「善意」を向けられた人々が、それを望んでいたかどうかです。
上掲の記事には、「女性は「ワクチンを打ちたくないなら、接種を断ってほしかった。体の中に何を入れられていたのかと思うと、ぞっとする」と憤った」とあります。つまり、その「善意」を向けられた人々は、必ずしもそれを望んでいなかった可能性があるということです。
むぅ・・・どうなんでしょう。
私なりに、記事冒頭の「他人様は他人様」の精神に従うのであれば、ワクチンを望む人には、ただ接種をすればよかったのではないかという気がしています。ご本人が望むのですから、それを勝手に阻むというのは、いろんな意味でリスクを伴います。嘘をつくことにもなります。そして、今回のような事件にもなりうるわけです。
例えば、良心が痛むというのであれば、記事中の女性が言う通り、接種を断るという手もありました。
今の世の中、いろんな嘘が蔓延っています。
世の中には、良い嘘・悪い嘘があるといいますが、仮にその人を救いたいというのなら、嘘ではなく、正々堂々、論じたらどうだったのか?とも思います。
論じたところで説得できない?
いや、説得できないのなら、それこそ「他人様は他人様」です。
こんな社会なので、皆さん、いろんな葛藤のなかで苦しまれるのではないかと思います。この医師の方も、とても深く悩まれていたかもしれません。深く悩んだ結果として、今回の行為に及んだ可能性だって否定しえません。そういう意味では、とても非難なんてできません。
ただ私たちは、こういう話に触れるたびに、自分たちは、周りの人たちとどのように接していくべきか?を考え続ける必要があるのではないかと思います。
そのなかで、いろいろな考え方はあるものの、私なりに、自分の人生が振り回されないための大切な視点として、あらためて「他人様は他人様」を挙げておきたいと思うのでした。